尾崎記念財団・咢堂塾に向かう道が好きなことは何度か
述べましたが、そのわりに写真を撮っていません。
咢堂塾へ向かう時は、講義内容で頭が一杯でゆとりがなく、
帰りは無事勤めを終えた安堵感で、ほどけていて写真のことは
頭をかすめもせず、それに永田町駅から自民党本部を左手に
国会図書館をやはり左手に通り過ぎ、右手に国会議事堂を
眺めながらの道すがらが好きなのです。
尾崎財団のHPから画像を引っ張ってきました。
講義は午後13時半から15時半なので、夜の風情は知りませんが、
夜は夜でよさそうですね。
永田町は政治のドロドロは別として、土地柄は大変「気」の澄んだ
一等地です。
講義に伺う以外に、催されるイベントにもお招きいただき、後に安倍総理との会食のお誘いを頂いた西田昌司議員や、その政治姿勢が素敵で、政治家には珍しいたたやかな中山恭子議員(日本のこころ)とは、こちらで知己を得ました。
中山先生のところからは、拉致問題に関する資料憲法改正草案をお送り願ったりしています。
時々、会食他でお目にかかる明治神宮・至誠館の荒谷卓館長も、咢堂塾の講師として名をつられておいでです。
元陸上自衛官でいらっしゃり「特殊作戦群」を作られ、初代群長でいらっした
筋金入りの武人です。
私などと飲食をご一緒してくださる時は、気さくで優しく温和駅までの雨の道を相合傘で歩いたこともありますが、性根はとっても厳しくこわいお方です。
市ヶ谷で三島由紀夫が立ち上がった時自分がいたら三島の決起呼びかけに、自分は立ちあがっていたと淡々と仰っていましたが、そうだと思います。
荒ぶる魂を内に秘めた武人です。三島さんと邂逅できていたらよかったのに、これもご縁ですね。
あの当時、三島が獅子吼していたことの私はまるで理解できずにいたのですが、今なら大いなる賛同で頷きます。
これほど、佇まいの美しい日本男子を私は知りません。
荒谷館長の「憲法起草」の勉強会にも出たことがあり
この度は、中山恭子さんから「憲法草案」を送って頂きました。
GHQ憲法など、日本弱体化を狙っての憲法でしかないので、私もまた
早急に憲法改正はしてしまうべし、とする立場なのですが
天皇が、「象徴」から「元首」としての扱いになっている箇所である種の
心情的気落ちをしてしまうのです。
いいえ、本来天皇が「象徴」というごとき心情的領域に押しやられている
現況が健全なわけもなく、「元首」であると明確に打ち出す、そのこと自体に何の異存もございません。
しかしながら、理想・理念とは別に立ちはだかる「現実」というものが
ございます。
今上陛下は、明らかに「平和憲法護持」派でいらっしゃりまた皇后陛下の「A級戦犯」ご発言も放置されたまま、ご訂正もなさいません。
そこにこそ私はGHQが様々仕掛けていった日本弱体化の根っこがあるように感じ、そこのーにかかる黒い霧が晴朗に晴れぬ限りは天皇を元首と仰ぐことは左翼自虐史観の元首を仰ぐことに他ならずしたがってどの憲法改正草案についても、その一点にのみにて躓くのです。
なお、今上陛下を「今上」と呼び捨て連発した
このところテレビで重宝されているらしい若い女性の、不見識は
改めるべきであろうかと思われます。
今上、といえば今上陛下であらせられるわけだから「今上」と言い放ち、
陛下という尊称は要らぬという言い分はそれなりに一理はあるでしょう。
しかし、私は言葉が世間に定着するまでの段階で使われるべきは、より
人々の耳に素直に響き、また受け要られるべき言葉が優先されるべきだと
思っています。
今の段階では「今上」は一般の耳には言い捨てとして響きます。
なので、民の心として「陛下」とそこへつけたい、
冷たい理屈ではなく民の心情の部分です。
「今上」と言い張ってはばからない国際政治学者の若手女性を私は本来の意味での頭のいい方であるとは思いません。
誤変換他後ほど推敲致します。