ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏が決まり
二重の意味で喜ばしく思っています。
帰化なさって、英国人でいらっしゃるようですが長崎育ちの、ご両親は
日本の方でいらっしゃるとか。文学の名と共に「日本」の名が
世界を駆け巡るのが素直に嬉しいことが一つ。
それと、ある英国映画を見てその作品の上品で静かな佇まいに
感銘を受けたのですが、最後にクレジットを見たら原作者の名が
日本人であることに驚き、それは「日の名残り」であったか。
ともかくイシグロ氏の原作であったわけです。
そんな良質の作品が受賞したことへの、祝意もあります。
しかし二重の意味で、というのはそこではなく村上春樹氏が
今年も受賞に至らなかった事を、幸いに思います。
これも二重の意味で、村上作品が賞を逸したことを喜びたいのです。
まず質として。村上ワールドを好きな人達はむろん、それは
自由なのですが、私の価値判断では村上作品は文学たり得てはいません。
まず日本語のずさんさ。ずさんというより、英文脈でおそらく日本語を書かれているのではないか、横のものを無理やり縦にしているような違和感を覚えます。
日本語の本質は、響きと調べにありますが村上氏の書かれる言葉にはそれが著しく欠如しています。
といっても、処女作を読んで辟易として以来、作品に接していないので素晴らしい作品もあるのかもしれません。
文学(とも私は思っていませんが、言えば単なる読み物ではないか)と、思想は本来別物です。いかなる思想が作家にあろうと、作品の良し悪しで判断されるべき筋合いにあります。
が、村上氏はその作品中においても、日本が一方的加害者であるという史観に基づいた記述をなさっています。
南京侵攻について、日本人は永久に謝らなければならないなどと、あたかも中国や韓国で聞かされているごとき、日本毀損談話を新聞紙上で語ったりなどなさり、受賞に至ればその自虐史観がなおのこと、世界を駆け巡り中韓を喜ばせるかと思うと、受賞に至らぬよう毎年祈る思いでいます。
大江健三郎氏の壊国史観も困ったものだとは思いますが、しかし作品の幾つかは立派に受賞に値するものがあるので、その意味では受賞に違和感はありません。
村上作品を好きな人は、むろん自由ですが、ただそのかたわら村上氏が日本毀損者である事は、念頭に置いて頂きたいと思うのです。
毎年画面に現れるハルキストと言われる人々の姿に、日本人として、それと元来の小説好きとして激しい違和感を覚えます。
誤変換他、後ほど推敲致します。