西陣織の織手が少なくなり、業界でも転職を余儀なくされているということは
耳にしていて、着物の愛好家としてまた日本人として残念なことだと、
かねてより憂えていたのですが、そんな西陣織がイスラム教徒に向けて
活路を見出した、というニュースを今朝見ました。
イスラム教徒の人たち(ムスリム)は、世界のどこに身を置いても
アッラーのおわす方角に向けて日に5度の礼拝を欠かさないのですが
その時、床にひざまずくための礼拝用マットが要ります。
このマットを、ムスリムが好む錦糸を織り込んで作ろうではないか、という
鮮やかな発想の転換が成功を収めるかもしれず、作品は映し出されていましたが、
絢爛としていて、しかし下品に堕さず美しい作品として仕上がっていました。
世界各国にムスリムは多く、これで西陣は息を吹き返すのかもしれません。
ニュースを見ながら、耳に蘇ったのは映画作品の取材で訪れたマレーシアの
街にスピーカーで流されるアザーンの声でした。
イスラム寺院も訪れ、現地の人々と跪き祈りのポーズも取って見ました。
ホテルにはメッカの方角を示す矢印がありました。
取材に同行したのは、和田勉さんです。
そういえば、ご縁の深かった方なのにご供養を忘れている、とそれを思い出しました。
早朝の日拝のとき、先祖供養に加えてこの世でご縁を深く結んだ人々、そして
去った犬たちのことを祈っているのですが、和田勉さんがなぜか抜け落ちていました。
勉さんのNHK卒業作品、初の民放作品、そして初の映画作品を私がシナリオを手がけ、
ご縁の深い方でいらしたのに、申し訳ないことでした。
日拝の時、過去世で私が傷つけた人は特定で分かっているので、その方へ懺悔と謝罪も致します。
それから敷衍して過去世、今生心ならずも傷つけた方々へのお詫びも。
不徳の身とて、心がけてはいても人の心をないがしろにすることも、あります。
それに加えて、お世話になっている方々、健康その他が気になる方々へ向けて
朝の清浄の気を届けるつもりで祈ります。
ちなみに文中のムスリムは、イスラム教徒のことでこの言葉もマレーシア取材中に
憶えました。
アザーンは、礼拝(サラート)」の時刻を告げる定形文言です。
ユダヤ教におけるラッパ、キリスト教における鐘に相当します。
「アッラー・アクバル!」アラーは偉大なり、という言葉もマレーシアで
覚えてきました。
東京は今朝も雨催いですが、皆様どうぞ良い1日をお過ごしあそばしますよう。