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Channel: 井沢満ブログ
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神とは何か

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大仰なタイトルでいささか気恥ずかしいのだが、しかし他にタイトルが
見当たらなかった。

今回はたまに綴る、怪しげな領域の話なので
苦手な方はスルーされたい。

今、聖地シャスタ山に2ヶ月半こもって修行なさっている方に
私や私と接する人や持ち物、衣服に降る、あるいは「湧く」金粉に
ついてメールでうかがったら、幼い頃から私を見守っている
大天使ウリエルがそばに来た時という合図だ、というお答えだった。

ウリエルというのは、東洋人のセンサーに映じる時は
「弁財天」ですよね、と問うたら技芸サポートという意味でならそうであろうと。
しかし、その働きはウリエルのほうが広い、と。

神は光であり、波動であり形は本来ない存在であり
受け取る人間の地域性や知識により感知する姿が
異なる、という私の以前からの説もその通りだと
お答えを頂いた。

となれば、不動明王が大天使ミカエルと同質である、という
論は成立する。その方も肯定していらしたし、私も以前から
そう感じていた。

たとえば宇宙の根本神としての大日如来が日本ではアマテラスとなり、
エジプトではラー、ヒンドゥーではヴィシュヌ、中国では義和、
北欧ではソールであった、という思考も出来るとつい最近まで
思っていた。

しかしラー他は、おそらく太陽そのものへの信仰であり、
しかしながら大日如来やアマテラスは、「太陽に表象されるところの」
ある人智を超えたあるエネルギーの総体ではなかろうか、ところの
現在では考え方を進めている。

そして大日如来、アマテラスと原語で規定したところから
すでに神という本来は遍く存在への制約が始まるのではないか、と。
アマテラスと称したところから、日本という地域限定の
神になるのではなかろうかというのが、現在の私の
思考である。

そして時代は地域限定の神から、もっと地球規模の神となり、
それは地上の神を突き抜け、いよいよ根本神(SOMETHING GREAT)への
認識を人類は歩み始めるのではなかろうか、と。

神々という名の複数の神は、根本神の分波のごときものであろうと
私は解釈している。光の雫、といっても良い。

話が私の手には余るサイズになったので、元に戻す。

神とは本来不定形の光(高い波動)であるので、大日如来は
必要に応じ、不動明王となるわけである。
密教に於いては、不動明王は大日如来の化身であると
説かれる。この融通無碍の感性で捉える神は、
現在地球上の我々の規定を遥かに超え、飛翔する。

西欧の人々の感性のスクリーンに映る大天使ガブリエルは、
東洋人の感性では観音に近いであろう。だが、ミカエルと不動明王ほどの
近似値性はない。ミカエルと不動明王は画家がそのインスピレーションで
描く時その手に剣を持っている。だがミカエルは剣ではなく
炎が燃え立つ松明であることもある。普通は炎の色だが
私が感知するのは、なぜだか鮮やかな紫だ。

大日如来とて、固定化された形で存在するわけではなく、たとえば
密教の金剛界と胎蔵界では、その結ぶ印を異にする。

わが内なる神がいずれその鞏固な定形を失い、融通無碍の光となった時
人は本来の神と対面するのかもしれない。

 

補遺 私と金粉を共有してから後、お一人でいる時も金粉が現れる
お方もいるかと思いますが、その時はウリエル(名前は何とでも。高次元の
存在)に、何のメッセージを伝えに現れたのか、それとも
単なる祝意なのかを問うてみてください。

ただ、かそけき風のごときメッセージなので、胸が波立っている時は
感知できません。

 

かそけき=幽き 儚い、夢幻の、たまゆらの

 

誤変換他、後ほど。

 

 


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