最新号の「週刊新潮」に本郷和人、東大教授が年少者向けに著した「やばい日本史」が
取り上げられていて、面白かった。
年少者向けなので、書けなかった部分を本郷教授は「新潮」で語っていらっしゃる。
老いさらばえた清少納言が、押し入って来た政敵に向かい「あたしは、女だよ、殺さないで!」
と叫んで、着物の裾をめくりあげ秘所をさらしたなどというくだり、笑った。
枕草子で「ブサイクな男女が昼間っからいちゃいちゃしてるのは気持ち悪い」などと
書き散らし、身分の低いものを罵倒した納言が晩年は落ちぶれ果て、陰部を
見せなければ男か女か判らないほど着物も粗末で容姿も凋落、という
ことで因果応報。眼の前で兄が殺されたとなれば、納言としては
必死に、「見てみて、ちんちんついてないし」と裾をめくったのだろうが、
哀れではあろう。
本郷教授はまた「歴史を知らないと、おかしな歴史観を信じて恥ずかしい主張をする
ことになる」とLGBT問題における杉田水脈氏を言外に軽く一蹴。
「LGBTは日本の伝統的な家庭観・男女観を壊すと言って毛嫌いしている
人たちがいますが、日本の伝統では男と男の恋愛は普通のことだったんです」
として、武田信玄、藤原頼長らの武将たちの例を引き、彼らは妻子もいて
側室まで持っていたことに触れて子の有る無しで「非生産的」と決めつけた
杉田論文を笑い、武士道においては「魂のつながり」として男女の恋愛より崇高であった、と述べられている。
当時は、ごく当たり前のことでBGという区分けなど存在もせず、
それゆえ頼長に到っては、男との情交をあっけらかんと
日記に書き記していて、ここまで書くかと現代の目で見れば
呆れるほど。有力武将の日記ゆえに、いずれ人目に触れるかもしれぬのに、
悪びれてもいず、無邪気な書きっぷりである。
武将のみならず、庶民の間でもそうであったのは陰間茶屋の隆盛で
明らかであるが、フィクションで言えば一例が西鶴の「好色一代男」であり、
世之介が相手にした女が、3,742人、男が725人。
と、記されていて物語の書き手としてのセンサーが、当時の実情を数値化した
ものではあろう。
東大にいらした上野千鶴子教授の研究室を訪れた時、浮世絵の
コレクションを見せて頂いたが、男女が7,男男が3ぐらいの
割合で、まぁ現実にもこの比率だったかなと思ったことを
覚えている。現代でもそれはさして変わってないように思う。
あの時代のように、当たり前のこととしての容認度が薄いので
表に出にくいだけのことで。
明らかなタブー視は、敗戦後に流入して来たアメリカンピューリタニズムに
よる。GHQ押し付け史観の一環ではあった。
戦前は、まだ日本は同性間のそれへの禁忌はなく、西郷どんの
男性僧侶との心中未遂事件などが有名である。
史料を紐解けば平安時代にまで遡る。
宗教的教育、その時代時代で移ろう「常識」の先入観で
タブーとなっているが、それらは世に連れ時に連れ変動するもので
絶対的価値観ではない。世界の歴史も同じことで、ギリシャの
兵士たちやプラトンを例に引くまでもなかろう。
LBG拒絶は個人的自由だが、それをとりわけ政治家が表立って表明するのは、
よくない。批判するなというのではない、批判する前に学びなさい、
でないとみっともないことになるのだよ、と杉田氏には
忠告しておきたい。この問題に関して敵も味方も、左翼も
保守も関係ないのだ。ただ、一連の騒動は教養の欠如がもたらした
茶番劇なのだ。賛美も過度の擁護も無用だが、
事実を事実として見ていない者が、論文は笑止でおこがましい。
その論文を政争の具に変換しての一連の騒ぎも、また。
無知がもたらしたカラ騒ぎが落ち着いた今、ふと書く気になった。