一国を侵略、その国の国民を奴隷化するためのノウハウのひとつに、
放送局を押さえるというのがありますが、まずGHQはNHKを押さえました。
新聞と雑誌には、プレスコードを適用。要するにあれ言っちゃいけない、
これ書いちゃいけないという報道管制です。
敗戦後の被占領期に連合軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策の一環として、NHKの第一、第二放送を使って『真相はこうだ』という番組を10回にわたって放送させました。
脚本はアメリカ人が多かったGHQ担当。登場人物は軍人と、民主主義者である文筆家という、ワルモノ、イイモノ対比の構成だったよう。
音楽を多用して、満州事変から終戦に至るまで「軍国主義者の犯罪」を
暴く、というドキュメンタリータッチのドラマだったそうで、聴くだけでお腹いっぱいな内容のようですが、敗戦当時の打ちひしがれていた日本人に「日本が悪かったのだ・・・」と、力なく思わせる効果は絶大だったかと思われます。
再放送を繰り返し、毎日流された30分の洗脳番組ですね。
毎週日曜日、夜8時からの放送でその前にかならず、当時の人気番組を持ってきてその流れで、日本国民が必ずGHQのこのプロパガンダ放送を聴くようにするという、GHQ政策はどれも細心の注意が施されています。
こうしてみると、NHKは昔も今も国民が毎日無意識に読む「教科書」だということですね。時々フィクション、ノンフィクション、報道を問わず偏向を指摘されていますが、厳正に中立を守って欲しいと思います。
アメリカはこうした放送媒体を洗脳の道具として使うかたわら、盗聴などの通信傍受を行っていました。
わたくしの友人であった台湾出身の人は、父上が外交官であったので、
電話盗聴など日常茶飯事であったと、語ってくれたことがあります。
亡くなってしまいましたが、もっと詳しく聞いておくのでした。
占領下の日本で開通された手紙は2億通に上るとされていますから、
占領軍がいかに細心に日本弱体化のための布石を打っていたか
わかりますね。
不穏日本人の動向を探るための告発者が日本人から4千人採用され、
彼らは終生、同胞を売ったという良心の呵責に苛まされたようです。
暮らし厳しく、人が飢えていた時代に仕方なかったこととはいえ・・・・。
1945年12月には、GHQの指令により「民主化」の名目で、教員組合が編成されました。むろん「日本は悪い国でした」という、子供たちへの刷り込み教育が目的です。いまだに続いているのが、脅威ですね。GHQの長期の読みの的確さ。
ただGHQが困惑したのは、考えていたような野蛮国では日本はなく、アメリカよりも教育制度が優れていたことなのです。東アジア諸国では軍を抜いていたのですが、女子の教育に関しては古代中世から行われており、アメリカよりも先進国であったのです。
日本語を、ローマ字にしようとしたアメリカ人が、事前調査を15歳から64歳まで1700人を任意抽出、漢字の読み書きテストを行ったところ、出来なかったのがわずか2,1%。識字率ではなく、「漢字の読み書き」です。これは世界でも脅威のトップクラスなのでした。
仰天したGHQは、日本側にテスト結果の改竄を日本に要求しましたが、
調査官であった言語学者の柴田武が毅然として、はねつけます。
あの時代になんという勇気だったでしょうか。
柴田武が、命を賭けて拒否してくれていなければ、カタカナひらがな漢字で構成される、姿も美しい日本文字はこの世から消え果てていたかもしれません。
言葉の滅亡は民族の滅亡でもあります。
日本語が国の防波堤である、とわたくしが主張するゆえんです。
思うに日本語の良さは、響きと調べ、姿(書き文字)の三要素からなっているというのが、わたくしの持論ですがこれはいずれ、述べてみたいと思います。
GHQが日章旗掲揚、国歌斉唱を禁じたのは1945年、終戦の年に即です。
国旗国歌を軽視する人が多くいるのですが、一国を守っていくのにこの二つの象徴的存在が、いかに大事かGHQの禁止で逆証明されているのではないでしょうか。
いずれにしても、1945年の国旗国歌の禁止、教員組合の結成、1947年の教育基本法により、日本はそれから70年間、自国を自ら蝕んで行くこととなります。
GHQがそういうふうに仕掛けて去ったのです。
反日の本体が日本人であるという、自虐の種子を植えこんだのです。