先に述べた通り、私は憲法に関しては勉強もしていず、したがって
論じるほどの内容も持ってはいない。
GHQの押し付け憲法ではない、という論もあるのは承知で、しかし
単純にプレスコードで、アメリカ自身がGHQ草案だと言っているので
そうであろうよ、というほどの立場である。
占領軍が、日本のマスコミをコントロールするための禁止事項の一つが、
3 GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
である。
GHQ自らが自分たちの起草だって、言ってるので。
後はベアテ・シロタ・ゴードンというユダヤ系の女性が、GHQの起草メンバーに
いたのは事実で、ご本人があれこれ書き記していること。
憲法に男女同権思想を織り込んだ人、としての認識も一般にある。
*22歳で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局に所属し、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の起草で人権条項作成に関与した。 日本では日本国憲法第24条家族生活における個人の尊厳と両性の平等)草案を執筆した事実が1990年代になって知られ、著名となった。Wiki
あとニューヨーク・タイムズのこの記事(昨年)
http://www.sankei.com/world/news/140509/wor1405090023-n1.html
「安倍氏の最大の政治目標は、第2次大戦後に米軍によって書かれ、押し付けられた憲法を改正することだ」とも指摘。その上で、「安倍氏は憲法が日本の主権に重い制約を課し時代遅れだと強く感じている」と分析し、「安倍氏は憲法の主要機能は政府の権力をチェックすることだと知るべきだ」と主張。憲法は「政府の気まぐれで変更できるものではない」とし、「日本の民主主義が真に試されている」と結んだ。(共同)
《転載終わり》
当のアメリカの新聞が、「第2次大戦後に米軍によって書かれ、押し付けられた憲法」と表明しているのではないか?
「憲法が日本の主権に重い制約を課し時代遅れだと強く感じている」とも。
松本烝治国務大臣が中心として起草した憲法改正案。これはGHQの拒否にあっている。
憲法の翻訳に携わった白洲次郎。終戦連絡中央事務局の参与として、憲法に関わったとされている。
マッカーサーを叱った男」「従順ならざる唯一の日本人」と言われた。
「日本は戦争に負けたが奴隷になったわけではない」という卓越した言葉を発してもいる。
今なら誰でも言えるが、敗戦で打ちひしがれて米国へと草木もなびいていたあの時代に、これを言い放てる胆力。
その白州がGHQ民政局長のホイットニー准将の言葉を記していて、見過ごせない。ホイットニーは、日本憲法の草案に携わった男である。
そのホイットニーが白州にこう言ったというのである。
「あの憲法に関係したスタッフは、ここにいるだけではないんだ。日本には来ていないが、豪州時代にこの仕事に参加した人間が、まだほかに何人もいるのだよ」
GHQ憲法はCIAの前身にあたるOSSという組織が占領後の日本の政策を定めたものがベースとなっていて、OSSにはマルクス主義といわれるフランクフルト学派が存在、二段階の革命を経て日本を共産化しようとしていて、その具現がマッカーサーのGHQ憲法であるという説も見かけたことがあるが、これは私にはさっぱり解らない。不勉強・不得意分野である。
白洲次郎の次の言葉のほうが解りやすい。
「だいたい、一国の憲法を一週間で作ったなどと自慢たっぷりに話すような不謹慎を、ぼくはとらないものである。また彼の細君は、うそかまことか、当時、休暇で日本に来ていた大学在学中の彼の息子が、草案の一章か一項を書いたんだと親バカ流に広言していたそうである。ぼくはそのことを、GHQのさる高官から聞かされたのではあるが、そのとき、この高官もなげかわしいといった表情で語ってくれたのを、今でもハッキリ覚えている」
翻訳者と白洲次郎は、マッカーサーが1週間で作らせた憲法草案を、これまたたった一晩で翻訳するのだが、その時の白州と翻訳者・外務省翻訳官小幡都の会話を白州はこう記している。
「白洲さん、シンボルというのは何やねん?」
小畑氏はぼくに向かって、大阪弁で問いかけた。ぼくは「井上の英和辞典を引いてみたら、どや?」と応じた。やがて辞書を見ていた小畑氏は、アタマを振り振りこう答えた。
「やっぱり白洲さん、シンボルは象徴や」
新憲法の「象徴」という言葉は、こうして一冊の辞書によって決まったのである。
《転載終わり》
余りのイージーさに白州は、2月15日にGHQ草案の検討には時間を要するとコートニー・ホイットニーに宛てて書簡認めているが、これはGHQから不必要な遅滞は許されないとして却下の憂き目にあっている。
ホイットニーの「大学生の息子が草案の一章か一項を書いた」という言葉の
真偽は、白州の残した言葉によるしかないのだが、あながち嘘でもなかろうか、と思われるのが、憲法作成に参加したベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)という若い女性の存在である。
この時彼女はわずか22歳(!!)であった。
しかも彼女の思想は、日本で生い育った彼女の家のお手伝いさんである
網元の娘に影響されている。その影響のもとに、「日本女性は虐げられている」という主張で憲法改正に携わったというのだから、これにも日本人なら虚脱しないか。
網元の娘、たった一人の証言で。
日本女性が虐げられていたかどうか、西部劇の女性たちが
コルセットで締め付けられ(西洋版の纏足である)、何かというと失神、男たちが席巻していたアメリカを思えば日本がさほど特殊であったか?
少なくとも纏足とコルセットはなかった。また秀吉の妻や、山内一豊の妻の
ように、したたかに夫を可愛がりつつ尊敬しつつ、手のひらの上で転がしていた
女性たちも珍しい事例ではない。
ベアテに「日本女性の地位がいかに低いか」を吹き込んだお手伝いさんの名前は、小柴美代という。美代がどれほど、日本を観察、世界のレベルから俯瞰してベアテに伝えたか解らぬが、当時の網元の娘にさほど学識があったとも思えず、身辺の愚痴レベルであったかもしれないではないか。
と、以上のことに加え、私が憲法を好きでないのは、その日本語の醜さにもよる。
これ、読んですっと頭に入ります? 私は、この文章の言葉の選択、配列、
違和感しきりなのです。
それと世界の実情を見るに「正義と秩序を基調とする国際平和」を誠実に希求って
嘘っぽくないですか。
「国の交戦権はこれを認めない」
この文章、平気ですか? 「認めない」ですよ。
国の交戦権はこれを用いない、ではなく「認めない」
この主語って、誰なんです? 認めない、って誰が? GHQ,アメリカじゃないでしょうね。
それに、自衛隊の存在が何とも曖昧です。
自衛隊が出来たきっかけは、朝鮮戦争です。韓国に援軍を送るアメリカが
日本に要求して出来たのが「警察予備隊」です。
アメリカに要求され出来た警察予備隊 → 保安隊 → 自衛隊
憲法を押し付けてきたアメリカが、まっさきに憲法破りをしている、とも
言われるゆえんです。
*日本に再軍備を認める事は、時の陸軍長官ケネス・ロイヤルから国防長官ジェームズ・フォレスタルに提出された答申「日本の限定的再軍備」で1948年5月に確認された既定の事項だった。Wiki
アメリカの都合で、軍備させられたり放棄させられたり?
あ・・・・書くか書かないか解らない本のための文体模索中で、「ですます」で書くことにしてたの、最初のほう忘れてました。
それはともかく、憲法相当の悪文だというのは、解りますよね。
少なくとも、日本語を愛し大事にしている人の手になる文章ではありません。
私は国語は、その国の国体そのものだとさえ思っているので、この
杜撰な日本語を日本国憲法と呼びたくない思いがあるのです。
うがてば、GHQが提示した英語を直訳したまま推敲もしてないのか、と。
この「戦争放棄」を後生大事にする人たちがいるわけで、私とて戦争放棄には
賛成です。但しどの国も放棄してくれるなら。・・・・・
放棄しているのは日本だけでしょう。
スイスは、国民皆兵制でちょっと放棄とは趣を異にすると思います。
というと、侵略するよりされるほうがいいじゃないですか、という人がいて
驚いたのですが、その人はいいとして子どもたちもそれで、よろしいとするのは
エゴではないでしょうか。
チベットでの殺戮・強姦・拷問を知らないのでしょうか。侵略されるというのは、そんな
生易しいものではありません。目の前で、大事な存在が殺されたり暴行を受けている時に
「戦争放棄」「九条」と叫んでみても、虚しいと思いますが。
上記の文言を水戸黄門の印籠のように侵略者の前にかざして、相手がは、はーと
ひれ伏してくれるかどうかというのが、改正に賛成か反対かの分かれ道になるのでしょうか。
朝日新聞の調査によると、
http://www.asahi.com/articles/DA3S11734821.html
憲法記念日を前に朝日新聞社は憲法に関する全国郵送世論調査を実施し、有権者の意識を探った。憲法改正の是非を尋ねたところ、「変える必要はない」が48%(昨年2月の調査は50%)で、「変える必要がある」43%(同44%)をやや上回った。
という結果だそうです。
半々に二分されているということですね。
ちなみに憲法は押し付けではない、という説を唱える人は作成に日本人が関与していたから、
ということを上げます。
憲法学者の鈴木安蔵、他計7名が「憲法草案要綱」を作っていたのは事実のようです。
内閣は別途、別の草案を用意していたが、GHQは鈴木安蔵らのを草案として
採用した、と。
ゆえに、GHQの押し付けではないという論法です。
一理はとりあえずあるのですが、しかし採用不採用の採択権がGHQにあったという点で
私はやはり押し付けではなかろうかと思うのです。
前期述べたように、ベアテ・ゴードンのような日本人ではない人物の意見も取り入れられて
いますしね。
それにどうでしょう、平和憲法が素晴らしい、素晴らしいと褒め称えているのは
日本人にしかいないような気がしませんか。
外国人が日本の憲法を褒めているのを見たことがないのですが。
あまり褒めると「じゃあ、なんであなたの国は持たないんだ」と言われるからではないのですか?
平和憲法に本当に平和を維持する力があるのなら、私とて平和憲法護持と言うに迷いはあり
ませんが、日本以外のどの国も全く持とうとはしない、この70年間持とうという意見すらないのが
答えなのではないのでしょうか?
日本のとりあえず戦後70年間の平和が憲法のおかげなのか、アメリカの核の恫喝力の
おかげなのか? あるいは「たまたま」の僥倖なのか。今日はじっくり考えるための
「憲法記念日」にしたいものです。
平和憲法ありて、竹島は盗られ、漁民が4千人近くも半島に連行され、北朝鮮には
いまだ戻らぬ拉致被害者ありという現実も踏まえつつ。
世界の力の均衡は結局、核保有の有無によるという現実も。
平和憲法と連動して、非核三原則まで日本にはありますが、こんなもの
言ったら、どこかの国を喜ばせるだけだと、私は思いますが。
ゆえに、核を持てとは言わぬけれど、せめて「その気になったら、いつでも持つぞ」
という示威は、しておいたほうがよいと思います。
非核三原則じたいは、阿呆な村山談話や河野談話と同じく、今更覆すのも
おおやけには困難なのでしょうから、言外の威嚇、というやつです。
下手な真似したら、いつでも日本はもってやるぞ、と。
あんなもの、1ヶ月もあれば保有可能でしょう。
いや、(実は、持ってるんだもんねー。ふふふふ)ぐらいの
はったりは必要でしょう。
日本の卓越した技術力が、実は抑止力になっているということを国民はもっと
心得ておくほうがいいですね。
原発も最終的には、代替エネルギーに変えるべきではありますが、拙速に
止めると国力の激減を招き、核のハンドリングの技術をも手放すことになる、
それは考えておいたほうがいいですね。
日本が廃絶しても、韓国の原子力発電所はほとんどが日本海側に
建てられてあり、事故があれば偏西風で日本に吹きつけて来ます。
韓国日本間の距離は、福島東京間の距離より短いことをお忘れなく。
中国も同様、核実験による放射能はすでに日本に来ていますね。
黄砂被害と共にもろもろの対策費を日本がODAで渡しているのも
被害国がなんで? と思いますけどね。
核持たぬ国はとかく、発言力が弱いなあというのは、リアルにあるわけで。
だから持てとはいわぬけれど・・・・と、また元に戻るわけです。
核兵器なんて、そりゃあ悪魔の所業ですが、しかし現実それらを保持している
国があり、彼らは平和憲法を持つことなど発想ゼロ、核兵器も手放そうとはしません。
それが世界の厳しい実相です。
付記 長くなり過ぎるので、触れるのは止めておこうかと思ったのですが・・・・
「憲法前文」の日本語の酷さをコメント欄に書いてくださった人がいらして、むらむらと
全文掲載してくなりました。
まあ、見てください。この日本語の体すらなしていない、基礎的助詞の使い方すら
ままならず、訳文にすらなっていない見苦しい日本語を。私はこれを書き換えるためだけにでも、憲法改正派を名乗ってもいいくらいです。
この醜いシロモノを後生大事に抱え込む気にはなれないのです。
国語(それはどの国家でも)は、その国の国体と同様だと私は
考えているからですが、こんなもの、言葉ですらありません。
憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。