ネットで申し込んであった蜻蛉の帯が届いた。紺とくすんだ金のリバーシブルで
面白いのだが、蜻蛉の柄帯の季節感がわからない。
蜻蛉柄の着物本体は絽なので、これは問答無用で夏だが、
蜻蛉柄の印傳は、何となくいつでも構わない気がする。
私個人の感覚では、帯は着物と印傳の中間に位置するような
気がする。草履の鼻緒もこれに準ずる。
調べてみたら、とりあえず俳句の季語を基準にすればよいらしいが、
蜻蛉の季語は秋である。
しかし、感覚的には夏も含まれるので、構わないと思うがどうだろう。
季語は旧暦に準じてあるのだし、現代では決定的な判断基準にはならないような。
初蜻蛉と詠めば、蜻蛉に初めて出くわした季節だろうし、あの華奢で儚げな糸蜻蛉の季語は夏である。
しかし春に初蜻蛉に出会うからといって、春先に蜻蛉の帯は違和感。
結局自分の感性が頼りか。
着物は時にややこしいが、四季の移ろいに敏感であった祖先の決め事を
そめそめと考えこむのも、日本人ならではのこと。楽しいではないか。
暮らしにはどうでもよさげなことを、約束事という美意識の鋳型で
思いつく日本人の感受性が、面白いと思う。
ところで、絶やしたくない言葉ということで「そめそめと」と敢えて書いた。
Goo辞書からコピペで拝借すると・・・・
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/131461/m0u/
そめ‐そめ【染め染め】 [副]《「そめぞめ」とも》 1 墨痕(ぼっこん)あざやかに書くさま。「五大力菩薩(ぼさつ)と、―と筆を動かせける」〈浮・永代蔵・一〉 2 情のこもったさま。しみじみ。
「初めのほど嘲(あざけ)りしことのくやしく、―と返事をして」〈浮・五人女・三〉 むろん、2の意味で使った。これまた、日本ならではの情感がみなぎった言葉ではないか。 しかし、いちいち解説しながら使わなければならない言葉は、実用には供さないだろう。
1の「墨痕淋漓」と2の「しみじみ」が、なにゆえ共存するのか、ふしぎなところ。
1の「墨痕鮮やか」での使い方はしかし、もはや廃れているだろう。
去りゆく言葉たちの供養をしたいと思うことがある。 「言葉供養」あるいは「言の葉供養」という題名で、文章をいつか書いてみたい。 三島由紀夫の小説で知った「弱日(よろび)」という言葉ももはや、使う人はいない。
名残り雪ちらつく季節に、射す陽射しでありこの場合の「弱」は、「しなやか」「若い」
の意味を含む。要するに「薄日」とは別の言葉である。 謡曲「弱法師(よろぼうし)」の「弱」がいかなる意味か解らない。
後で漢和辞典を引いてみるか。 和の色の呼称は、微妙なグラデーションをも含み、その繊細さに息を呑むほどだが、
日本語という言葉もまた、グラデーションを持っていた。
弱日と薄日との微妙な差異にこだわるのが、古来の日本人の感性であった。 言葉とともに色彩も失せていくようである。
和服にまだ、幾らか日本の色が息をしている。
大切にしたい。 後述 弱法師 よろよろした法師,また,乞食坊主。 弱を「よろ」と読むのは今のところ、弱日とこの一例しか見当たらない。
古文に詳しければまだ、あるだろう。