12月初旬に出す小説の校正作業の締め切りが近く
相変わらず駆け足の文章であるが・・・・
どうも、マスコミがオランダとの友好のみ伝え、国王の「もう一つの顔」を
隠しているのか、無知なのか・・・・・
国王のいわば「素顔」を知らぬ日本人が多いようなので、
国王が来日前に韓国メディアに語った言葉を転載しておく。
ただ中央日報の記事なので100%は信用置きかねる。
だが一国の国王の言葉をさすが、全部は捏造しないだろう。
部分転載である。
これが日本訪問を目の前に控えた上での、つまり日本人にも
韓国人も読めるという状態での発言であることに留意されたい。
つまり「何らかのメッセージ性」は韓国のみならず、日本に対してもある、と。
http://japanese.joins.com/article/277/191277.html
ハメルや韓国戦争…オランダ国王「コリアとは特別な関係」2014年10月14日09時44分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
ハーグのノールドアインデ宮でJTBCをはじめとする一部の韓国メディアと会い、韓国人への賞賛を惜しまなかった。 国際オリンピック委員会(IOC)委員としても活動してきたアレクサンダー国王は、韓国国民の皆が力を合わせて平昌(ピョンチャン)が2018年冬季オリンピック開催地に選ばれたことに大きく感銘を受けたと明らかにした。 それと共に彼は、すでにいち早く発展している地域である平昌が2018年冬季オリンピックを成功裏に開催した後には世界の人々が好んで訪ねる新たな冬の旅行先として急浮上すると期待した。アレクサンダー国王は、皇太子時期に計4回韓国を訪れ、2003年にはIOC委員として冬季オリンピック候補地の実態調査のために平昌を訪れたことがある。
彼は17世紀に朝鮮に滞在後「ハメル漂流記(邦題:朝鮮幽囚記)」を書いて朝鮮を西洋に紹介したオランダ人のヘンドリック・ハメルとの縁をはじめ、韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦して亡くなったオランダ人らを例にあげて韓国とオランダが特別な関係であることを強調した。
彼は皇太子時期に韓国を訪れるたびに常に安らかな印象を受けたとして、今回の国賓訪韓についても大きな期待を見せた。アレクサンダー国王は今回の訪韓に関して「妻と私は国賓訪韓をとても待ちこがれており、両国間の良好な協力を確認して増進するものと期待する」と話した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 宮中晩餐会におけるスピーチと同様、こちらにももの申し上げたい箇所が幾つかあるが、持ち時間が乏しいので、一つに絞る。 >朝鮮を西洋に紹介したオランダ人のヘンドリック・ハメルとの縁 これは、朝鮮でオランダ人たちが虐待され、日本へ逃れ 日本人に助けられて、オランダに無事帰ったオランダ人の
話なのだが、誤解していらっしゃるか、あえて朝鮮側の美談に 加担していらっしゃるのか? Wikiが比較的忠実に事実を再現しているかと思われるのだが・・・ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%A1%E3%83%AB
◆ハメルらは遭難の後の最初の数ヶ月は丁寧に取り扱われた。しかしながら、物珍しさが無くなるとすぐに、彼らは再び朝鮮が岸辺より遠ざけたい異国人となった。日本からのスパイに違いないという憶測が、このオランダ人達の運命に恐らく加わった。
◆ハメルは、彼らが明白な惨禍として被った、後の屈辱のいくらかについても記している。自由を求めて拒絶された彼らは、その地の習慣を厳守しなければならず、かくして朝鮮での幽囚の身となった。
◆朝鮮人が彼らの行動を制限し続けるつもりであることは、オランダ人にとって明白だった。現地の慣習に従えば、彼らは奴隷も同然だった。
◆耐えかねた一行のうちの2人が清の使節に日本への送還を直訴したことは、一行の待遇を悪化させた。
◆時に給与が滞ったときには物乞いをして命を繋ぐこともあった。1659年(孝宗9年)には熱病の流行で一行より多くの死者を出し、1660年(顕宗元年)から1663年(顕宗3年)の飢饉で、全羅兵営が彼らを養いきれなくなった後には、全羅左水営、順天、南原に分散されてしまった。厄介者であった彼らに対して、朝鮮は次第に注意を払わなくなり、彼らは時に綿花の交易のため、周辺を航海することもあった。そしてそれが、後の脱出に繋がることになった。
◆1666年、彼らが囚われてから13年後、ハメルを含む8名が脱出に成功した。彼らはどうにか小船を奪い、オランダとは友好関係にあった江戸時代の日本、現在の長崎県の五島列島に辿り着いた。五島淡路守盛勝は彼らを保護し、オランダ商館のある長崎湾の人工島・出島へ送った。長崎奉行はハメルらをオランダ商館に預け、朝鮮の事情や滞在中の生活について尋問した後に帰国を許可した。オランダ商館長ウィレム・ボルガーの依頼を受け、いまだ朝鮮に滞在している「デ・スペルウェール」号の生存者についても、宗氏を通じて日朝間で送還の交渉が行われ、朝鮮への残留を希望した1名を除く7名が、対馬を経由して日本へ送られ、オランダ商館に引き渡された。
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国王はこのような経緯を知らず、朝鮮側が捏造美化した「お話」を信じこんでいらっしゃるのか・・・・とふと思うのは、韓国にこのような建物があるからだ。
麗水市にあるヘンドリック・ハメル博物館
このような立派な博物館があるということは、これはハメルらオランダ人が朝鮮で餓死寸前にまで虐待され、朝鮮を脱出したオランダ人たちが日本に救われた、という話は歪曲されている、と考えるのが妥当であろう。
さればこそ、国王も韓国とオランダとの絆を示すオマージュとして
語られたのであろう。
だが事実は朝鮮によるオランダ人虐待であり、日本がオランダ人を救い祖国へ戻してやったのである。
オランダにあるハンメル像。
それにしても、訪日を直前の国王の韓国への熱いエール。
日韓の歴史そして、現在の韓国との日本の関係性をご存知の上で
発されたメッセージである。それを我々は腹に据えておきたい。
韓国は日本に虐げられたオランダの仲間。
日本は共通の敵。
オランダの歴史を見るに、徹底した有色人種蔑視でそれは
王室もそうである、というより王室が率先してそうであったのだが、
たかだか70年間でその体質が変わるわけもない。
とすれば韓国人は日本を敵国として看做す同盟国として
準白人のランキングなのかもしれぬ。
先の大戦で、韓国人は日本人として戦っていたことは見事にスルー。
それからこれは、言うにはばかるがあくまでも「一説として」捕虜虐待他の
悪行には韓国人兵(当時は日本人)が多かったという・・・・・
いささか感情的な言い方でもあろうが、とりあえずそのような説も
あることも、国王はご存じないか・・・・あるいは晩餐会におけるスピーチに
網羅された知識からして、オランダ王室がもろもろを
ご存じないわけもなかろう、とも思うのだ。
承知で、事の真偽などうでもいい、正義など国益の前には煙、
あくまでも自国に有利な構造を作る。
オランダ王室にとっては造作も無いことである。
歴史の中でさんざん習熟している。
駆け足の拙文にて。