救急救命室にいる私の知人だが、今月の4日に心肺停止で蘇生措置が
施され、しかし意識は戻らぬままで、心臓は人工的に動かされながら
いまだ生きながらえている状態なのだそうだ。
それを生きている、といえる状態ならば、だが。
頭の片隅に、「その時」のお知らせがいつ来るか、と重くあるのだが、
連絡が来ぬままなので問い合わせみたら、上記の答えだった。
私は飼い犬を通じて長いお付き合いだったので、Eさんの死生観は
遠いご親族の方より存じ上げている。
毎日の散歩で、ゆうに日に2時間から3時間、犬達のリードを手に、
あれこれ語らっていて、それが10年間を超えている。
言ってしまえば、措置は要らぬからさっさと逝かせてください、が
Eさんの希望である。
しかし単なる他人の私に何の発言権もない。
今はむしろ、早く肉体の軛(くびき)を離れられ、自由な世界に
開放され、誰よりも何よりも熱愛されていた愛犬と
再会させてあげたい。
・・・・・・というよりも、もう魂は放れていらっしゃると私は思う。
魂のことはひとそれぞれ考えが違うだろうが、私のように
霊感的要素は強くはないが、幾つかの過去世の記憶、また死者との会話など、
多少の異界の体験をしていると、それはあるとしか言えず、
肉体は単なる魂の容れ物、ないしは
宙に漂い出す魂をこの地球に繋ぎ止める鎖のようなものでしかない、と
単純にそう思っている。
魂が抜け出した肉体はもう、その人そのものではない単なる
抜け殻である。
たまたまテレビで尊厳的な死を取り上げていて、見ていたら
たとえ意識が失せた状態でも肉体が生きている限り、
この世にいたいので、生かしておいて欲しいという人が、
それでも10%もいるそうで、私などはため息混じりに驚く。
意識なくこの世にあって、器具の力で延々と生き延びて何になろう、というのは
私などのように、この世への執着がもともと希薄な者が言うことなのであろう。
魂の不死を知っていればそう肉体的な存続に執着することも、ないのではないろうか。
人間として、最小限心得ておくべきことが霊的なことだと私は思うが、生きることを教えても、死ぬことを教える教育はない。
いかに死ぬ権利を守るか、いつかドラマで描いてみたい世界ではある。
身寄りのない、あるいは薄い人の死に際の意志をどう汲み取るか良心的な医師は苦慮するらしいが、人は常にその意志を記したカードを所持してはどうか。
それを国の施策として行わせては。
私はもう何十年も前から「日本尊厳死教会」の会員であり、要するに
過剰な延命はして欲しくないというリビングウィルのカードを保持しているが、
延々と生きながらえていて、最近保持しているのかどうか忘れている。
あとでチェックしてみることにする。
身内には早くからその意志は伝えてあるのだが、時が経ちすぎていて忘れているかもしれない。再度伝えておこう。
それにしても脚本家が政治を語ることを時にいかがなものかと時に
思いつつ、またそれ以上にスピリチュアルなことは語りづらい。
双方、重要事ではあるのだけれど、人は生きることに忙しく、
関心が希薄な分野ではある。
解散総選挙も無益なことであろうが、投票に行く人達も本気で
政治を考えぬいて行く人ばかりではない。
政治にしろ魂にしろ、多少は耳を傾けてくれる人々がいる
私などが言葉を発することに、少しは意味があるだろうか。
今救急治療室に横たわっているEさんのことは「わが家」の公式HPに