ずっと探し求めていたこれぞという呉服屋、というよりは
着物のメンズショップを神田明神下に見つけてから、
仕立て上がりの着物を受け取りがてら、スマホの
万歩計の数値を上げるべく駅から
延々歩き、まず昼食を界隈で取ってから、
神田明神のご祭神にご挨拶、それから着物の店へ、
というのが定番のコースになりました。
戦後数年目に日本中を席巻した流行歌「お富さん」に、
有名な冒頭の歌詞「粋な黒塀 見越しの松に」というのが
ありますが、黒塀というのは柿渋に灰や炭を溶いたものが塗った
塀であり、いい色の黒になるので「粋」と言われたようで、
日本語の多彩さの一つにこの「粋」というのがあるのですが、
外国語におそらく翻訳不可能です。
ChicとかSmartとでも訳すのでしょうが、何かが欠落しています。
粋という言葉にこもる心意気のようなもの・・・・・と言っても
さあその心意気に当てはまる外国語もなさそうです。
粋というのはおそらく江戸限定かと思われます。
大阪京都も、文化が極みまで発達した街ですが、粋とはちょっと
違う。江戸の粋には気風(きっぷ)が添う。と、気風もまた
翻訳不能語かと思います。
さて脇道に逸れましたが、神田明神下に行きすがら
黒塀に見越しの松の、うなぎ屋があります。
見越しの松というのは、黒塀と一対の言葉で
塀から見える松のことで、独特の風情があります。
ランチタイムでも貸し切りになっていることがあり、それを知らせる
漢字だけの粋な木札が玄関に下げられるのですが、文言を
忘れました。一度寄ってみたいと思いながら、果たしていません。
のれんも日本特有でしょうか。石畳に打ち水も日本ならでは。
お昼を食べに寄らせていただく、あさ野さんです。
のれんの趣味で、味が分かると思いませんか。日替わりの焼き魚を
メインに、普通の家庭のお惣菜が取り放題に並びます。
普通の家庭といっても、さてその普通の家庭のお惣菜が
今はもう珍しい。名物の鯖の味噌煮の日は、混みます。
月に2度しかない鯖の味噌煮の日に、私は狙いすましたわけでもなく、
2度遭遇していますから味噌煮に関しては強運でしょう。
弟に教えたら、彼は夜寄っているようで、瓶の中の沖縄の古酒を
飲んでへべれけになっているそうです。
こちらか、神田明神男坂の下の天麩羅屋「みやび」で
お腹をこしらえてから、メンズ着物店に行くのですが、
このみやび、歌舞伎の役者さんも訪れる名店ですが、
ここも、しじゅうランチタイムなのに貸し切りになっています。
店内リフォームで、4月30日から7月まで休むそうで、
それまでに一度、顔出ししないと。
芭蕉の柄に一目惚れして「Y.・・・・・」仕立てて
もらいました。泥染め大島紬の芭蕉草木染めです。
これはこちらの店にしてはある程度の価格ですが、しかし全体に
たとえば有名百貨店の半分とか3分の1なので、若者に寄って
欲しいと思います。また向井理くんが出た番組のように、ここを
取り上げてくれると、嬉しいのですが。
品揃えの感性が若々しく柔軟なのが気に入っています。例えば私は
従来の男物がとにかくつまらなくて、女ものの反物で
仕立ててもらうこともあったのですが、ここは感性が
新しいのです。
たとえば、綿麻の浴衣地の模様は有名な画家の絵から取った
蜘蛛と蜘蛛の糸、蜘蛛の糸にかかりそうな蝶々や虫が
あしらってあり、一瞬どきりとします。
浴衣地ですが、羽織を着れば普通の夏着物としても
着られます。
値段の安さは、訊いてみたのですが・・・・・・
仕入先は一箇所ではなく、例えば泥大島はこの職人さんから、
というふうに何箇所も直接、取引があるようなのです。
伝統破りのセンスだし同業からは、疎まれることもあるのかもしれぬ、と想像したりするので、私が余り肩入れして騒ぐのも、却ってご迷惑かも
しれません。それに店名をフルで入れると、検索でやたら私のブログがヒットするので気恥ずかしく最近は、伏せるか「Y.・・・・・」と表記しています。
いっとき、コシノジュンコさんが作務衣などをデザインされ
斬新素敵だったのですが、男の着物はやられなかったのでしょうか。
「Y.・・・・・」は若者が着られる着物、そして少々無理すればあがなえる
価格なので、ついつい宣伝してしまうのですが。
h ttp://openers.jp/article/893308
こちらでは、仕立て上がると畳紙(たとうし)に収めた着物を箱に入れて
渡してくれるのですが、これが箪笥代わりに重ねて使えます。
着て、吊るして汗を飛ばしたらさくっと畳んで箱のなかへ。
防虫剤、匂い袋、乾燥剤などと共に。
やれ桐箱だ桐の箪笥だというと、億劫ですが紙の収納箱も
若者がとっつきやすい要素でしょう。
それにしても、着物は畳んでしまう時、その直線性に改めて
思い至ります。実に機能的に平らになってしまう、折り紙発祥の
国の衣類です。
そして畳紙の利便性も素晴らしと思います。こより、と言っていいのかどうか
結ぶ紐まで紙。なんだか優しいのです。
着物は着る回数が勝負、まとうごとに主に馴染んで一体になるので、
なるべく普段も着るべく、今日は滅多に袖を通さない着物に
風と陽を当ててあげようと、出したはいいが、なんと袷でした。
男は肌着を何枚も下に重ねられるので、単衣で仕立てておくほうが
使いまわしが利く、という知識を持っていなかった頃仕立てた着物です。
あさ野のお母さんは八十を越したくっきりしたお顔立ちの江戸美人さんですが、今日は私が和服だったので、着物談義でした。
お歳の割に柔軟で、男も長襦袢に白を着ても別にいいの、やら
今は、盛夏でなくても絽や紗の羽織を着ることもあるのよ、と
若者顔向けの柔らかい感性です。長襦袢は飽きたら
染めなおして遊ぶのよ、とも言ってました。
おそらく、専門家からは異論が出そうですが、冷暖房の発達した
現代、着物の常識も半世紀前とは変わる部分はあって
いいでしょう。
かつては神田明神下でも芸者衆がきっちりいっせいに
衣替えしていたようですが、何月から袷だ単衣だと
言っているとその気難しさに若者がより敬遠しないかとも
思うのです。最小限の約束事を心得たら、後は自在にで、
よろしいのではないでしょうか。
この間、私が着物を勧めた若者は着物の下にワイシャツとネクタイ、
革の帯に、革のサンダル、白い夏帽子でなかなかのものでした。
以下は少々愚痴めきますが・・・・男の私ですら、庶民の私ですら
着物の伝統を大事にしたく、着慣れるよう、身に馴染むよう
日々努めているわけですから、まして日本の伝統を最も
大切に保っていただきたい場所では・・・・・お願いしますよ、
としか申し上げられません。