言葉の暴力も含めて、母親から幼児期から少女期にかけ、そして
大人になってからも受け続けた虐待について、体験をいまだ
コメント欄に頂いています。
公開を望まないコメントなので、お応えも致しづらくただ漠然と
お返事を差し上げているだけですが・・・・
一つ、母親からの虐待について頂いたコメントで、これが虐待、と
定義できるごときキーワードを幾つか拾えたので、私なりの
考察も含め、整理してみます。
被虐待者の特徴。おとなになってからも。
■心が重く晴れ晴れとせず、この世を生きづらく感じる。
■実は腹から笑ったことがない。(本人、自覚していないことが多い。
何らかのきっかけで、一瞬母親からの影響を脱した瞬間、
笑って、その笑いが純粋であることに気づいて、自分でびっくりする
ケースが有る)
■親から否定され続けてきた結果、自己肯定感が低い。
■親の虐待という現実から目を背けて来た結果、他の現実とも直面できず、
どこか現実感が希薄な生を生きさせられている。
■不安定で悪しく女性的な母親の、感情のはけ口に使われてきた。
■とりあえず世間的な基準から見れば、大事に育てられたのに、
何かしら、まっとうな愛情を得たことがない・・・・という心の飢餓感がある。
■愛し愛し合える伴侶と巡りあったら、その飢餓感が癒やされる、と
信じていたが、いざ巡りあってもそれはそれ、満たされながら
親への飢餓感はそのまま残っている。相手が親としての包容力を
持てる人なら、多少は補えることもある。
■ある人間を一見正当に批判する時、対象は男女問わずだが、女性に対してより批判がきつく、その批判には個人的憎悪さえ伴うことがあり、これはその女性に母親を重ねている。
■男児の場合は女性の肉体に、長じても嫌悪感を抱くことがある。「あの、アマの腹の中にいたかと思うだけで、吐きそうなくらい気持ちが悪い」と顔を歪めた、ある50歳代の知識人の方の告白を聴いたこともある。
・・・・・・・・・・とりあえず、現時点ではこんなところです。全ての要件が
被虐待者にあてはまるというわけではなく、特徴を何種類か
抜き出してみただけのことなのですが。
スピ系ヒーリングに走り、インナーチャイルドの癒やしを試みる
人も多いのですが、上手くいったためしを知りません。
それほど根深いのです。またヒーラー自身が被虐待者でないと、
気持ちが解らず、ごく浅い理解しか持てないので、かえって
「誰にも理解してもらえない」というトラウマを持つことさえあります。
自らが虐待された体験を持たぬまま、薄っぺらく「許し」などを
説くので、許せないそのことに葛藤が更に生じたりします。
自分が虐待してきたのではないか、というお母さんからの
書き込みを頂戴することもありますが、いずれも虐待などと
いうレベルではありません。たとえ手を上げようと根底に
愛のある無しが分かれ目なのであり、また反省し自らを
省みる親は、虐待などしません。
虐待親の顕著な特徴の一つは、「私は悪くない」と思い込んで
いることです。「あなたが、いい子ではなかったじゃないの」
「私の至らないことばかり批判する。よくしてやったことには
全く触れず」
いい子も何も、ただその子が胎内にいただけで、
またこの世に存在していただけで、勘に障って
自分が叩いたり、言葉の暴力で傷つけ続けたり、
無視したりしていたことには、思いが至らないのです。
中には、母親に捨てられた状態で祖母に育てられ実はその祖母が
精神的虐待者であったことに気づいた人もいます。そして
後にその祖母とともに母親に引き取られるのですが、今度は
母親から虐待を受けるという二重の被虐体験で、心がねじれた
人もいます。
虐待というと、死に至らしめるような、報道に見る派手なものを
想像するせいか、日常に潜む虐待を虐待と認識しない
親子も多いのです。親は尚更、自分が虐待していることに
気づきません。
そして、親がその子の一生を壊し続けます。
普通、何も考えなくても子には親が持つ自然な愛があります。
だから少々間違ったしつけであっても、手を上げても、無問題なのです。
子供は実に正確に親の心を反映するので。
だから虐待親のほうも、心に病理を抱えています。
概ね、虐待は気づくまで親から子へ、子からまた次の
子へと虐待の連鎖が続きます。
親を許す必要はありません。というより、ほぼ不可能です。
生涯懸命に努力しても、親との和解、親への許しが
不可能であることに、晩年静かに思い知る人も多いのです。
それよりは、まず親を愛せない、親を憎み続ける自分を
許してしまいましょう。
憎しみを向けるには、また人に打ち明けるには親が高齢になり過ぎ、
また肉体的に弱り、それでも許せずなまなましいほどの憎しみから
抜けだせないでいる自分を責める人もいますが、必要ありません。
それだけ酷いことをあなたの親はあなたにしたのです。
許せない自分を許してあげましょう。晩年に至るまで、親に
あなたの人生を台無しにされることはありません。
そして周りに虐待の体験を話す人がいたら、批判がましいことは言わず、
またアドバイスも要らず、黙って聴いてあげるだけでよろしいのです。
そういうことをあなたに告白するというのは、あなたに心を許した証ですが、
そのあなたから批判する、あるいお説教するという形で突き放されると、
その人はより傷つきます。黙って頷いていればそれだけで、十分です。
また告白する被虐体験者は、相手をじっくり見極めて行わないと、
まずもって、あなたは世間の常識的反応に更に傷ついていまいます。
世の中の大抵の人達は、子が親を激しく憎み続けるという現実を
受け入れがたいので、何かしら告白者を批判、否定しがちなので、
それは、そう受け止めるほうが実は健全なのですが、相手は
心の根深いところで病んでいる人たちなので、親子関係における
「健康者」の言葉は通じません。
面白いことに、被虐待者の告白に理解を示すのが男のほうに多いのです。
女性が概ね否定、批判します。
コメント欄に書き込まれるのは、母と娘との関係が圧倒的に多く、父親や
兄から受けた性的虐待(これも多い)については書き込まれません。
タイトルを「母を憎む」としたせいでしょうか。
むろん、父親や兄からの虐待を書いてくださっても結構です。
私は黙って聽かせて頂きます。
本当は、虐待された親なり、兄弟なりに直接ぶちまけて罵り
泣きわめくのがいいのですが、それは概ね出来ません。
次善の策で、手紙を書いても心の開放の一助にはなり、
手紙は焼いて捨てていいのですが・・・・そういう形でも
虐待と向き合うのがつら過ぎて出来ない人も多いのです。
というわけで、コメント欄に長文でもいいし、何度でもいいので
思いの丈、吐き出してください、受け止めますと提案しています。
《非公開で》、とタイトル欄にきちんと言葉で指定してください。時折、
判断に迷うことがあります。
公開という形で書いて、自分だけではないという体験の共有も
解放の一助にはなると思いますが、公開非公開はどうぞ
お心のままに。