高倉健さんと縁が出来そうになっては、潰えて来た話はこの間書いた。
何度か玄関先まで行くのだけど、戸は開けられぬままだったご縁である。
自分のほうが断ったこともあれば、他の理由であったこともある。
健さんが久々にテレビの連ドラに出られたことがあり、いつもなら
絶対に私に声をかけてくださるプロデューサーがその時は
他の作家へ依頼したというようなこともあった。
健さん主演の映画の依頼を私が、あっけなく断るその現場にいたのが
そのプロデューサーであったので、それが原因なのかどうか
お訊きしていない。
テレビでは健さん讃美一色で、私などひねくれ者は少々、
気恥ずかしくなるのだが、かといって健さんが人格的に優れ
人としても仕事人としても誠実でストイックな方であったことには
異論がない。
生前共演したことのある某女優さんから「高倉さんはお姫様よ」
と耳にしたことがあり、その真意は聞き返さなかったが、
およそものを創造する人間に、女性的要素が皆無などということはあり得ないので、おそらくはそういう意味なのだろうと聞き流した。
実生活では寡黙ではなくむしろ饒舌な方であった、とも複数から聞く。
考えてみればその時々の役柄の他に、健さんは終生高倉健という
寡黙な「男」を演じ続けてきた方であると思う。そのことの凄みに私は
ひれ伏す。余程の意志がなければ日常生活を演じ通せるものではない。
ストイックである。
いったい、どこで息をついていたかというと、海外の某所であるのかもしれない。
海外に向かうときの健さんは、リュック一つを背負って、いつにも増してお喋りで、
文字通り去りゆく後ろ姿がスキップなさっていた、と遭遇した女優さんが
話してくれた。
その海外の某所にきっと、素顔の健さんがいらしたのだと思う。
そして健さんをくつろがせる誰かが。
私生活が謎だとされるが、謎も何もオフの時は専らその海外の
某所にこもっていらしただけだ。日本人で見かける人とてない某国某所。
しかし、男を演じていらしたと言っても、持って生まれたフェロモンはおありで、
私が豪州にいる頃だから昔も昔、あちらの女性が高倉健に眼の色を
変えていた。
高倉健さん主演の「旋風太郎」という映画のロケを別府駅の埠頭で
見かけたことがある。
ところがそこにも、健さんの姿はなく若い日の三田佳子さんがいらした。
よもやそこで見かけた女優さんと後年、公私ともに親しくお付き合い
させていただこうとは、夢にも思わなかった頃であるが、縁ある御方とは
こうやって先触れのように一方的にながら出会う。
白川由美さんもそうであった。
三田さんはその後都内で、車中にいらっしゃるお姿を拝見したこともある。
お付き合いが生じるまだうんと前の話である。
そして高倉健さんに関して言えば、あちらが私の名前を書簡で
書いてくださるほど近くまで行くのに、現実にはかすりもしないのである。
これもこれなりの「御縁」であろうか。
そもそも、あちら側から会いたいと言って来た時、なぜ
私は行かなかったのだろう。
地方のロケ先だった。
若気の至りで今まで話すことはなかったのだが、「人に物を頼むのに、
自ら出向かず、出て来いとは何だ」というごときことであった。
今書きながら顔から火が噴き上げる。
まだ駆け出しの新人の頃である。鼻っ柱の強い生意気な新人として
私は評判が悪かったけれど、それにしても酷い。
とにかく尖りまくっていた。
・・・・・今はもっと平らである。さすがに。