PCの音声を、女性の声でと指定した男が、その発達したPC機能がきめ細かく発信してくる
言葉に惹かれ、恋してしまう・・・・と、機械に疎いので上手に説明出来ないが、
そんなアメリカ映画(だと思う)をDVDで観た。
相手の実像は無視、恋に恋するという、恋の本質が現れた作品である。
いずれの恋も、相手を知るまでのバーチャル、幻なのだ。
パソコンの出会い系掲示板で生じる恋心も珍しくないが
むろん幻想である。
恋による美化の時期を過ぎ、相手を知る頃になってもまだ続いていれば
恋が愛へと変わり、年数を経るごとに深まって行く。
PCに対してバーチャルな恋をする、と同じ発想で、コミックの原作を書いたことがある。
それが、30年ほども前のことであったから、時代の先取り的には早かったかもしれない。
「少年マガジン」に単発として載り、読者アンケートで2位の評価を得た。
通常アンケート上位に来るのは、連載もので人気が定着している作品なので
単発で2位獲得は異例だった。
売れた本もあり、コミックの世界で順調、編集者の方々にも随分お薦め頂いたが、テレビのほうが面白くてコミックの世界からは、じき抜けた。
題材によってはコミックのほうがいいものもあるし、今なら何か書いてみたいものもあるのかもしれない。
勉強を兼ねてこのところDVDをまとめて観ているが、私はウディ・アレンがどうも
生理的にダメなようだ。
素材はどれも面白く感じるのに、見るとつまらないのだ。
最近見たのは「ブルージャスミン」という映画で、おそらくテネシー・ウィリアムズの
「欲望という名の電車」に着想を得ている。
美意識豊かだが、高すぎる誇りが嘘をつかせてしまい、やっと
男に巡り会うが、その嘘ゆえに破綻してしまい、最後は気が狂って
精神病院送りになる、と「欲望という名の電車」のほぼそのままの
話の仕組みであるが、「欲望」のヒロイン、ブランチの狂気も嘘も
美しく心を打つのに、ウディ・アレンの造形したヒロインには全く
感情移入が出来ないのは、どうしたことだろう。
作家の品位のごときものかもしれない。テネシー・ウィリアムズの作品には
「滅びの美学」があるが、ウディ・アレン版のヒロインには愚かしさしか
感じない。ブランチの嘘は誇りと彼女(と作家)の美意識に根ざして切ないが
ウディ・アレンのヒロインは単に傲慢で、見栄っ張りからつく嘘だけなのだ。
ウディ・アレン版でヒロインを演じるケイト・ブランシャットは、巧みに演じていて
世評も高いそうなのだが、後味が悪かった。
天才と目されているウディ・アレンに対して僭越だが、他の作品は
さておき、「ブルージャスミン」に関しては「欲望という名の電車」から
換骨奪胎したものの、テネシー・ウィリアムズ作品の読み違い、「詩」の高みにまで
純化、達することは出来ずに不発だった。