天皇とは、ひたすら国家のため、民のために祈る存在であり、
他は余事、なさらなくてもよいことです。
国事行為も、摂政にまかせればそれでよいこと。
いよいよ祭祀も大儀になられたら、それも代行を立てられれば済むこと。
それが現在は、祭祀がなおざりにされ、お出歩きが「公務」と成り果てていて
それは本来の天皇のお役目とは異なります。被災地ご訪問など、ありがたいお気持ちではありますが、天皇陛下におかれましては、それが象徴天皇のあるべきお姿とお考えのようですが、違うと陳情申し上げる忠臣が昭和の御代で絶えていて、現在は天皇陛下が制御システムのない巨大な権力をお持ちになられたかのように、拝察致します。
わたくしが不遜の心で申し上げているのではなく、昔は民に不敬罪があったと同様に不心得の皇族への懲罰が定められていました。
今はなぜか、あたかも天皇無謬説を踏まえたかのような現状です。
想像するに・・・・・GHQが《象徴》として据えた時点で安心して、それまでの懲罰要項には目もくれなかったのかもしれません。
「お気持ち」のNHKリークが、実はリークなどではないことは、愛国派の識者の方々がよく御存知の通り、皇室の“中心部”が意図的に公共放送であるNHKを使った、ということです。内閣にも事前に通達されていたことなので、リークを受けて、政府が動いたのではありません。リークは国民を味方につけるための、戦略であったのでしょう。
わたくしも、少々腹をくくって述べていますが・・・・
内閣も退位賛成の国民の九割に抗う力はないのです。安倍さんが独裁の何のと言われていますが、案外実は国民なのですね、最終的力は。
ただ、その力を持った者たちが余りにも無知、そして愚かです。
摂政制度を否定なさらねば、何も政府を煩わせなくてもご自身は
円滑に引退され、実質的譲位が可能なのに、なにゆえ摂政を
頑なに拒まれるのか、理由が全く明らかではありません。
表向き、説明はありますが説得力薄く、ということは
他に動機がおあり、と思うべきでしょうか。
祈りが全てである、というのはわたくしが思い込みで主張しているわけではありません。
宮中祭祀の基本姿勢は、13世紀前半の順徳天皇(第84代)が著された『禁秘抄』の冒頭に掲げてございます。
「一、賢所(かしこどころ)。凡(およ)そ禁中の作法、神事を先にし、他事を後にす。旦暮あけくれ敬神之叡慮解怠(えいりょけたい)無く白地(あから)さまにも神宮竝(なら)びに内侍所(ないしどころ)の方を以て、御跡(みあと)と為(な)さず」
すなわち
「宮中の作法はまず第一に神事、その後に他のことがあって、朝夕に神を敬い、かりそめにも伊勢の神宮、また賢所に足を向けて休むようなことがあってはならない」
そして、先帝の方々のご遺訓は守らねばならぬ、と詠まれたのが明治天皇です。
上つ世の御世のおきてをたがへじと 思ふぞおのがねがひなりける
御遺訓(おきて)を違わぬようにと心がけるのが、朕の願いである、という意味ですね。
宮中祭祀には、15世紀後半の応仁の乱以降は中絶したものがあり、また明治維新直後は途切れていたのですが、明治41年の皇室祭祀令で新しい祭祀が創出され現在に至ります。
それぞれの祭祀に対応する国の祝祭日が定められ、たとえば収穫祭である新嘗祭は、勤労感謝の日としてそもそもの意味を喪失しています。
宮中祭祀に関してはこちらが詳しいので、志ある方々は学んでください。
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tp://www.nihonbunka.or.jp/knowledge/saishi
敗戦後日本の伝統破壊を行うことを至上目的としてGHQにより、名称がことごとく変えられ、祭祀から国民の目が逸らされました。
皇后陛下のご実家、正田家がGHQと密着したお家であったことは、述べました。
またGHQは、本来国事行為であった祭祀を天皇の私的イベントとして格下げしてしまいましたが、行われている内容は従来のものと変わりありません。
ただ、祭祀がおろそかになっているのが、遺憾ながら現状で皇太子殿下に移譲されたら、おそらく天皇による祭祀の伝統の糸はそこで、ぷつりと断ち切られるででしょう。
ちなみに祭祀には天皇自ら行うものと、掌典長が行い天皇はそれに立ち会うものと2種類あり、言わずもがな前者に重きが置かれていますが、それが絶えつつあるようです。
宮中祭祀の起源は、『日本書紀』にある「神勅(しんちょく)」に求められます。
皇后陛下にも祭祀のお役の幾分かはございますが、畏れながら皇太子妃殿下におかれましても、お着物すら厭われるようではおすべらかしに十二単の祭祀はご無理、即位の儀も洋装と簡略化されるのではないでしょうか。
皇太子妃殿下は、宮中三殿をお避けのようにお見受けします。
皇族が海外に赴かれる場合は、必ず宮中内神殿へのご挨拶が出立時、帰国時と義務付けられているのですが、なさってはいらっしゃらないようです。
他の特定宗教をお持ちのゆえなのか、ご体調のせいなのか詳(つまび)らかには、存じあげません。
伝統の希薄化は、民族としてのアイデンティティの消滅への道であり、まさに71年前、GHQが目論んだ通りの道筋を宮中は辿っているようです。
明治天皇にも、昭和天皇にも国を祈り、民を想い祈るお歌がたくさんございますが、平成になってあまり見かけません。次代がどういう名称になるか解りませんが、次代には新天皇が祈りの和歌を詠まれることは絶えるのではないでしょうか。
新皇后陛下になられるかもしれないお方は、歌会始のお席にすらお姿を現されません。
皇室に「不適応」というほど、皇太子妃が苦しまれ、またご家庭を何より優先される皇太子殿下にとっては、弟君に全てを委ねられ自らはお引きあそばされ、ご伴侶とご自身の養生を専一になされば、穏やかにお暮らしになれるのではないでしょうか。
客観的必然性が甚だ希薄な生前退位で皇室典範をいじるより、そのための制度を特措法で設置するほうが、理に叶っているのではないでしょうか。
伝えられていることに間違いがなければ、学生時代の今上陛下は学友に、「午前中働きに出て、夕方には引けて残りの時間は家庭生活を大事にしたい」(大意)とおっしゃられていたそうですが・・・・・・
天皇陛下というのは、畏れながら職域ではなく「ご存在」です。辞める辞めないの次元には、ございません。
ご退位などという、政府をも巻き込んでの大騒動で、本来トランプ政権に移ったことで、精力をそちらへ傾注せねばならない安倍総理の足を引っ張るのは、残念です。余りにも国民が無知で生前退位に賛成が9割とやらなので、政府も愚昧の国民と天皇陛下との板挟みで、身動きが取れず苦慮しています。
「特措法」はその政府の呻吟の果てのギリギリの妥協案です。
繰り返しますが、退位なさらなくても、摂政をお立てになれば実質的退位が、簡単にお出来になるのです。ただでさえ、諸事に忙殺されている政府を煩わせることもありません。
NHKでのお気持ちリーク前、内閣に退位と移譲の通達がなされた時、
内閣の反応は「摂政をお立てあそばしてください」といくことであった、と
聞き及んでいます。
それが、天皇陛下に拒否され現在の騒動と混乱になっています。
*誤変換他、後ほど推敲致します。