思わぬ記事で、思わぬ方のお名前を拝見した。
>護憲派やリベラル系議員でつくる超党派の「立憲フォーラム」(代表・近藤昭一民主党衆院議員)が行った「憲法9条」にノーベル平和賞を授与することを求める署名に、自民党の金子恭之、長島忠美両衆院議員が名を連ねていたことが9日、分かった。両氏は「勘違い」などを理由に署名の撤回を申し出た。
長島議員は、ドラマと小説(「花嫁の父」「ゆきの、おと」)がご縁で知己を得て
ドラマと小説の宣伝隊員になって頂き、議員会館でお目かかったり、山古志村取材の時には、自宅に招いて頂きスタッフや出版社の方と一緒に、
余りの美味しさに脳天が痺れるほどの白米や、地元で採れた山菜を
食べさせて頂いたことがあり、またご自身のパーティにも招いて頂いた。
長島議員が「立憲フォーラム」の署名に参加することはあり得ないから、
言葉通りうっかりミスなのであろう。
立憲フォーラムのメンバーは、民主党の菅直人元首相、横路孝弘前衆院議長、共産党の志位和夫委員長、社民党の吉田忠智党首であり、そんな船に自民党の議員がまず乗り合わせることはなかろう。
さて憲法であるが、私自身は学びが浅くそれについて解説すべき語彙の
持ちあわせなく、それゆえ新憲法の制定を主張なさっている明治神宮至誠館の
荒谷卓館長にもろもろご教示願いたく、食事を共にするお約束を得ていたのが、
身辺のご不幸で流れた経緯はこの間書いた。
と、そういうふうなので私は基礎をしか知らぬまま、しかし現憲法には
反対を表明しているのは事実である。
だが、反対を表明するにさしたる学習を必要とはしない。(学習しなくてもよいという意味ではむろんない)
現憲法に反対の理由は明確であり、戦後69年間の日本の平和が
担保されたのは「平和憲法」の存在に帰するものではなく、日米同盟の
存在によるからである。
平和を表明すれば、侵攻を免れるなら世界中が九条を持つ。
永世中立国を表明しているスイスさえ、徴兵制があり各家庭に
武器を備え、いざというときには国民個々が立ち上がる気構えを
世界に示している。
九条ありてなお、拉致問題は生じているし多くは返されず、
また竹島は不法占拠されたままである。
マッカーサーの日本占領時代の基本統治政策が「日本弱体化」にあったことは、
自明の理であるが、そのGHQに押し付けられた憲法が、日本を護るより弱体化が目的であること、これも当然のことではないか。
と言うと、アメリカからの押し付け論へのアンチとして憲法作成に
日本人が関与していたことを述べる人たちがいるが、一体
誰を指しているのであろう。
この辺りは、私は不勉強であることを告白しておく。だから真っ向からの
反論ではなく疑問形である。
多少は調べたが日本人の「関与」は記述されているが、直接作成した人物には
出くわさない。関与程度なら、それはアメリカからの押し付けではないという
アリバイ作りにむしろアメリカが置いたのではないだろうか。
更に、反日傾向が強いNYタイムズの記事がある。
http://www.sankei.com/world/news/140509/wor1405090023-n1.html
米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は8日、安倍晋三首相が憲法9条の解釈を変更し、集団的自衛権行使を容認する意向であることに関し「民主的手続きを損なう」と批判する社説を掲載した。「日本の平和主義憲法」と題した社説は、憲法9条がノーベル平和賞候補になったと紹介。安倍氏がハードルの高い改憲ではなく、解釈変更により「9条の無効化を追求している」と指摘した。
「安倍氏の最大の政治目標は、第2次大戦後に米軍によって書かれ、押し付けられた憲法を改正することだ」とも指摘。その上で、「安倍氏は憲法が日本の主権に重い制約を課し時代遅れだと強く感じている」と分析し、「安倍氏は憲法の主要機能は政府の権力をチェックすることだと知るべきだ」と主張。憲法は「政府の気まぐれで変更できるものではない」とし、「日本の民主主義が真に試されている」と結んだ。(共同)
《転載終わり》
当のアメリカの新聞が、「第2次大戦後に米軍によって書かれ、押し付けられた憲法」と表明しているではないか。
「憲法が日本の主権に重い制約を課し時代遅れだと強く感じている」とも。
私が知っている憲法への日本人関与は、松本烝治国務大臣が中心として起草した憲法改正案だけだが、これはGHQの拒否にあっている。
あと知識があるのは、憲法の翻訳に携わった白洲次郎。終戦連絡中央事務局の参与として、GHQ憲法に関わったとされている。
私はいみじくも今、日本憲法と書かずGHQ憲法と書いたが、実質はそうであろう。ノーベル賞が与えられるとも思わぬけれど、仮に授賞するなら相手はGHQの今は天国にいる方々にであろう。日本国民は憲法にはそういう意味では関わりがない。何も「寄与」などしていない。
白洲次郎は、けれん味もある男だが当時の日本人としては背筋をきちんと
伸ばした人であったとは思う。「マッカーサーを叱った男」「従順ならざる唯一の日本人」と言われた。
また、「日本は戦争に負けたが奴隷になったわけではない」という卓越した言葉を発してもいる。
今なら誰でも言えるが、敗戦で打ちひしがれて米国へと草木もなびいていたあの時代に、これを言い放てる胆力。
その白州がGHQ民政局長のホイットニー准将の言葉を記していて、見過ごせない。ホイットニーは、マッカーサー憲法の草案に携わった男である。
そのホイットニーが白州にこう言ったというのである。
「あの憲法に関係したスタッフは、ここにいるだけではないんだ。日本には来ていないが、豪州時代にこの仕事に参加した人間が、まだほかに何人もいるのだよ」
つまり・・・・
GHQ憲法(マッカーサー憲法)の草案作りは、日本の敗戦が決定される前から、行われていたということである。
日本人の参与があったから、押し付けではないという論理はこの事実からも
無理があるのではなかろうか。
GHQ憲法は1周間で作り上げられて、いかになんでも無謀である。
一国が規範として仰ぐ憲法がたった1週間。
しかし、その前に助走期間があったとするなら、それなりに
得心も行く。
GHQ憲法はCIAの前身にあたるOSSという組織が占領後の日本の政策を定めたものがベースとなっていて、OSSにはマルクス主義といわれるフランクフルト学派が存在、二段階の革命を経て日本を共産化しようとしていて、その具現がマッカーサーのGHQ憲法であるという説も見かけたことがあるが、これは私には解らない。不勉強分野である。
白洲次郎の次の言葉のほうが解りやすい。
「だいたい、一国の憲法を一週間で作ったなどと自慢たっぷりに話すような不謹慎を、ぼくはとらないものである。また彼の細君は、うそかまことか、当時、休暇で日本に来ていた大学在学中の彼の息子が、草案の一章か一項を書いたんだと親バカ流に広言していたそうである。ぼくはそのことを、GHQのさる高官から聞かされたのではあるが、そのとき、この高官もなげかわしいといった表情で語ってくれたのを、今でもハッキリ覚えている」
翻訳者と白洲次郎は、マッカーサーが1週間で作らせた憲法草案を、これまたたった一晩で翻訳するのだが、その時の白州と翻訳者・外務省翻訳官小幡都の会話を白州はこう記している。
「白洲さん、シンボルというのは何やねん?」
小畑氏はぼくに向かって、大阪弁で問いかけた。ぼくは「井上の英和辞典を引いてみたら、どや?」と応じた。やがて辞書を見ていた小畑氏は、アタマを振り振りこう答えた。
「やっぱり白洲さん、シンボルは象徴や」
新憲法の「象徴」という言葉は、こうして一冊の辞書によって決まったのである。
《転載終わり》
白州の「証言」を信じるとして、日本人なら虚脱しないであろうか。
憲法作成の楽屋の茶番劇にである。
余りのイージーさに白州は、2月15日にGHQ草案の検討には時間を要するとコートニー・ホイットニーに宛てて書簡認めているが、これはGHQから不必要な遅滞は許されないとして却下の憂き目にあっている。
ホイットニーの「大学生の息子が草案の一章か一項を書いた」という言葉の
真偽は、白州の残した言葉によるしかないのだが、あながち嘘でもなかろうか、と思われるのが、憲法作成に参加したベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)という若い女性の存在である。
この時彼女はわずか22歳(!!)であった。
しかも彼女の思想は、日本で生い育った彼女の家のお手伝いさんである
網元の娘に影響されている。その影響のもとに、「日本女性は虐げられている」という主張で憲法改正に携わったというのだから、これにも日本人なら虚脱しないか。
網元の娘、たった一人の証言で。
日本女性が虐げられていたかどうか、西部劇の女性たちが
コルセットで締め付けられ(西洋版の纏足である)、何かというと失神、男たちが席巻していたアメリカを思えば日本がさほど特殊であったか?
少なくとも纏足とコルセットはなかった。また秀吉の妻や、山内一豊の妻の
ように、したたかに夫を可愛がりつつ尊敬しつつ、手のひらの上で転がしていた
女性たちも珍しい事例ではない。
ベアテに「日本女性の地位がいかに低いか」を吹き込んだお手伝いさんの名前は、小柴美代という。美代がどれほど、日本を観察、世界のレベルから俯瞰してベアテに伝えたか解らぬが、当時の網元の娘にさほど学識があったとも思えず、身辺の愚痴レベルであったかもしれないではないか。
しかし美代の言葉をベースにベアテは日本国憲法、もといGHQ憲法の憲法24条草案づくりに22歳で携わったのである。事実である。日本人は余りにもこういう、ある種のお手軽さを知らず、平和憲法を錦の御旗に掲げて「平和!」「尊い!」と叫ぶのである。
平和と叫んで平和が保てるなら、チベットへの中国の侵攻はない。
末筆になるが、私が美輪さんとの交流をちらっと書くと、美輪さんの政治的立ち位置について書いてくる人がいて、気持ちは解るのだが・・・・
私が表明している政治的立ち位置とは異なる方なので、いぶかしいのだろう。
これに対しては後々のこともあるので、記しておく。
まず、美輪さんとの付かず離れずのお付き合いが始まったのは
(日常接触があるわけではなく、お会いするのは楽屋かテレビ局の
番組でご一緒する、その程度であるが)美輪さんがまだ政治的発言を
なさる以前に私は存じ上げていて、そういう私も政治的言語は全く
所有していない頃始まった交流である。
人はその政治的信条により付き合ったり交際を断ったりするものでもないだろう。中にはそういう人もいるかもしれないが、思想は思想として付き合う人のほうが多くはないだろうか。
美輪さんとは電話でだが、ほぼ50分前後政治の話はさせて頂いたことがある。
私とは平行線である。
しかし、だからといって美輪さんは私を排除はしないし、私は美輪さんの政治的意見には与しないが、アーチストとしての敬意で、楽屋には伺う。
世界でも比類なき芸術家であると思うし、また霊性については私は
個人的にしたたかに思い知らされることがあり、それが本物であることを
承知している。
ステージでは、明らかに次元が異なるほどの変容を、ある一瞬劇場内に
もたらす。
お人柄はあたたかくこども好きで、義理堅い。
ついでに釈明をもう一つ。私がソウル生まれであるとして、在日説をまたぞろ流している人がいるようだが、私が生まれた当時ソウルには多くの日本人が居留していて(なぜならそこは当時日本だった)戦争終結と共に、祖国日本へ引き上げた中の私は一人である。誕生して以降のソウル滞在は、数ヶ月である。
略歴に京城(ソウル旧名)と書かれていたのだが、それではもはや解らぬ人が多い時代になったであろうと、自ら京城をソウルと書き換えたのだ。
隠す気もないし、偏見があればわざわざ書き直したりもしていない。
あと、いかなる宗旨宗派にも属していないのでそれも表明しておく。
今は神道をいくぶんかずつ学び始めているが、内館牧子のように
そのためにわざわざ大学に通うほどの熱心さはない。
もっとも彼女の場合は、相撲という個人的興味にからめての神道学習で
あると思うが。