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ご縁

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近いうちに明治神宮至誠館の荒谷卓館長と会食の予定だったのだが、
身辺にご不幸がおありだったようで、キャンセルになった。

出自は陸上自衛隊特殊作戦群初代群長でいらっしゃる。

防衛のこと、憲法のこと、皇室のこと、神道のこと、忌憚なく伺い
学ばせて頂きたかったので残念である。
卑近なことでは、明治神宮の総代に舛添さんがなられ、私は
ひどく不本意な思いをしているので、それに関することも
事情とお考えを伺ってみたかった。

ご縁があればいずれ、またお目にかかる折があろうが、
ちょうどブログにのどくろのことを書いていた最中に、
キャンセルのお知らせが来たので、それもまた
シンクロニシティであろうか。館長との会食の場が
私がのどくろを食べに訪れたと同じ系列の店であり、
私が設定したわけではないのだが、偶然そうだった。

荒谷館長は一度ご紹介したことがあるが、私が最も
美しい日本男子と思う中のお一人である。
その姿勢を含めてのことである。

コメント欄に市川雷蔵を和服のイチローと表現した方がいらして、
言い得て妙だと思ったのだが、荒谷館長もその系譜であろう。

結びー神道とその精神性

 

端正であり毅然としていて、そして「いなせ」な日本の男である。

一度、人を介してお会いしたこともあるのだが、今思うと冷汗三斗(れいかんさんと)なのだが、
拙著「ゆきの、おと」(「花嫁の父」原作)の宣伝マンをやっていただいたこともある。

 

この画像を持たなかったのでネットで探した。

そしたらついでに、村井 嘉浩宮城県知事がドラマの応援隊をやってくださった時の画像が見つかった。「母。わが子へ」である。

舞台が被災地であったことからの、ご縁であった。

そういえば・・・・村井 嘉浩知事も自衛隊出身ではなかったか。
村井知事にお会いしたことはないのだが、靖国神社に奉納の灯籠が
ほぼ隣り合わせで飾られていた。
これも合縁奇縁であろうか。

 

後記 みたま祭りの画像を送って下さった方がいらして、見たら「お隣り」だった。

 


私も含めてバカ都民

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舛添さんに投票などむろん、してはいないが選挙は連帯責任の部分もある。

己を含めて「バカ都民めが」と吐き捨てさせていただく。

自民党もよろしくない。このあり得ない人物を擁立した目的は
読めた気もしているが確証あることではないので、述べぬ。

 

韓国の聯合ニュースの画像なので、著作権的にちょっとおぼつかないのだが、
余り酷いのでアップさせてもらった。
「大嫌韓時代」で世論が高まりつつあるときに舛添氏は、朝鮮学校に土地を提供するのだとおっしゃる。

 朴槿恵(パク・クネ)大統領の協力要請に応じてのことである。

「どういう土地が空いているかなど、今検討している」と聯合ニュースの取材に応じている。


「独島(竹島)は韓国領である」と教えこんでいる学校になにゆえ、都民がお金を出さされるのか、私には理解できない。

韓国の戦後69年間にわたる日本と日本人、天皇陛下と総理に行われ続けた
ヘイトスピーチ、ヘイトクライムについては「韓国は韓国のやることですから、われわれがどうこう言う話ではない」との主張。絶句するばかりである。

韓国が「日本のやること」に「どうこう言ってくる」のは、構わぬのか。

写真は韓国の聯合ニュースに撮影を桝添さんが許可したものであるから、
これが韓国全土に報道されることを前提にしてのことであろう。
媚び、ご機嫌取り、「私はあなた方に忠誠を誓います」という
メッセージなのであろう。

都庁内では、舛添氏の著書におけるようにお互いをアボジ、オモニ、オッパにオンニと呼び合えばよろしい。ハングルは都知事のデスクから次第に領域を広げ、
都庁のあちこちで散見されるようになるのかもしれない。

時あたかも、都民栄誉賞の一件が報道されていて、三田さんが受賞された時の
花束の贈呈役として私も都庁に出向いた。
当時は鈴木都知事であちらから話しかけてくださって、言葉を交わし、なんだか傲慢そうなお方だなあ、と失礼な感想を抱いたのだが、舛添さんに比べれば千倍もよかった。(実績に関しては政治に全く関心無く疎い頃で存じ上げない。
それなのに千倍もよかったとは、何ごとかと言われるかもしれないが、
少なくとも韓国に貢ぐ都知事ではなかったろう)

それにしても石原さんはなぜおやめになったのか。
あれほど五輪に執着、都税を注ぎ込んだあげく、このままでは
舛添さんが花道を渡る。

「韓国と中国を怒らせて、不参加となったらどうするのか」

と都民と国民を恫喝しつつ。

不参加なら、それこそ「韓国と中国の問題。日本がとやかく言うことではない」

のではないか?

都合のいい時ばかりの二枚舌。

こういう人物を選べばかくなると、分かりきったことなのに選んでしまった
都民の知性。

そして石原さんは朝日新聞を盛大に叩いていらっしゃるが、ご自身が
お辞めになったばかりに生じた続けざまの危うい体制に無言。
猪瀬さんはそれでも、舛添氏の千倍もよかったが。(と、こればかり
言い続ける情けなさ)

ひくひく

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小説の後書きを書いていて、ある若手女優さんについて触れたく、
ネットで何となくリサーチしていたら、ご本人のツイッターに遭遇。

「AVを見ていたら、女の人のお尻の穴がひくひく」と
書かれてあって、いささか驚いた。

いや、今更「ひくひく」にのけぞりはしないし、人に二面性が
あろうと驚きはせぬのだが・・・・

ご本人とはお話したこともあり、その少女っぽい感性が
可愛いなあと思いそれを書こうと思っていたので、「ひくひく」は唐突ではあった。

 

と人にそれを話したら、「それ成りすましツイッターですから」

・・・・あ。

話には聞いて知っていたのに、これか。

騙された。

画像はご本人なのだろうが、役柄か何かでいかにもそれふうな
表情のを使っていたこともあり。

仮にご本人に会ったところで、「ひくひくって書いてたね」などとは言わないが、
頭のどこかにひっかかりながら、向かい合うところだった。
申し訳ないことである。

いや、ひくひくが悪いことだとも思わぬけれど。

ひくひくは、単なるひくひくである。肛門に罪はない。

秋に巡り会いたいもの

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ひつまぶしを食べたくなって、出かけた。ひつまぶしに、オクラとトロロの
ネバネバ2人組。

帰り道、旧いしもた屋の玄関先にオレンジの炎が燃え立つように
咲いていたのは彼岸花。

秋に巡り会いたいものに、虫の音、赤とんぼ、彼岸花がある。
虫の音は大通りの僅かな草むらに幽かに聴き、赤とんぼは
最初から諦め。しかし思いもうけず出会った彼岸花。

近づいて眺めたが、しかし彼岸花は紅(くれない)であらまほしい。

一昨日は、12月4日に出す小説の件で出版社に出かけた。
初めてお付き合い頂く版元さんなのだが、目白通りに面した社屋の向かい側に
「東京の伊勢神宮」と大きく表示されていて、お約束の刻限まで
だいぶ間があったので、お参りさせていただこうと通りを渡ったのだが、
神社まで参道を歩くと、延々とありそうでそこまでの時間のゆとりはないので
断念した。

小説は内輪ではすこぶる好評なので、思い切って打ち明ければ
実は五日間で書いた。
これで、出来が悪かったら態度の悪い作家として顔を伏せていなければ
ならぬところ。

筆は速い。それがあるので、つい締め切りギリギリまで遊んでしまう。
このところ悪癖からやや脱しつつあったのだが、今回またぶり返した。

気が付くと、締切日当日にまだ半分。お願いして2日間延ばして頂いて、
結局すっ飛ばして5日間の執筆時間。

初めて小説を出した時がやはり5日間だった。
その時はテレビ小説のノベライズだったので、脚本に時間が取られ、
小説にはその時間しか取れなかった。
小説が出版されてからも、長いこと読まずにいた。
5日間ですっ飛ばした小説がいかなる出来なのか、こわかったのだ。

すると、その小説の一節が高校の入試問題に出た。
へえ・・・・そんなに、酷くなかったんだ・・・・・と、おずおずと読んでみたら、
傑作でもないが、レベル以下でもなかった。

というごとき「成功体験」があるので、ついつい怠けるのである。

今は校正に集中している。すっ飛ばした分、単純ミスが多いし、
文章が荒い箇所があるので、それは丹念にやり直している。
執筆時間の倍近く、時間をかけて磨く。

出版社には大島を着て行った。
そう出版関連の知人に言ったら「もったいない、出版屋なんて
皆汚い格好で、和服の良さなんてわからない連中なんですから」
と、言われたが見せたくて着たわけではなく、自分のためである。
着物は回数着るほど、肌に馴染む。回数が勝負なのだが、
心がけないと1年に1回袖を通すのがやっと。
下手したら和服を着ない年もある。

大島紬の着流しに、帽子をかぶって出かけたのだが開口一番、
出版社の方に褒めて頂いたので、出版関係の人たちが
全員着物音痴というわけでもないらしい。

私が着物を面倒でも着て外出するのは、絶滅種になりつつある
男の着物の宣伝のつもりもある。
和服で仕事できる職種も結構あるので着て欲しいのである。

と偉そうな事を言う割に、着付けも上手とは言えないが、
一度、笹島寿美先生にほんの数十秒間でコツを教わってから、
胸元がはだけなくなった。

憲法

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思わぬ記事で、思わぬ方のお名前を拝見した。

>護憲派やリベラル系議員でつくる超党派の「立憲フォーラム」(代表・近藤昭一民主党衆院議員)が行った「憲法9条」にノーベル平和賞を授与することを求める署名に、自民党の金子恭之、長島忠美両衆院議員が名を連ねていたことが9日、分かった。両氏は「勘違い」などを理由に署名の撤回を申し出た。

長島議員は、ドラマと小説(「花嫁の父」「ゆきの、おと」)がご縁で知己を得て
ドラマと小説の宣伝隊員になって頂き、議員会館でお目かかったり、山古志村取材の時には、自宅に招いて頂きスタッフや出版社の方と一緒に、
余りの美味しさに脳天が痺れるほどの白米や、地元で採れた山菜を
食べさせて頂いたことがあり、またご自身のパーティにも招いて頂いた。

長島議員が「立憲フォーラム」の署名に参加することはあり得ないから、
言葉通りうっかりミスなのであろう。

立憲フォーラムのメンバーは、民主党の菅直人元首相、横路孝弘前衆院議長、共産党の志位和夫委員長、社民党の吉田忠智党首であり、そんな船に自民党の議員がまず乗り合わせることはなかろう。

さて憲法であるが、私自身は学びが浅くそれについて解説すべき語彙の
持ちあわせなく、それゆえ新憲法の制定を主張なさっている明治神宮至誠館の
荒谷卓館長にもろもろご教示願いたく、食事を共にするお約束を得ていたのが、
身辺のご不幸で流れた経緯はこの間書いた。

と、そういうふうなので私は基礎をしか知らぬまま、しかし現憲法には
反対を表明しているのは事実である。

だが、反対を表明するにさしたる学習を必要とはしない。(学習しなくてもよいという意味ではむろんない)

 


現憲法に反対の理由は明確であり、戦後69年間の日本の平和が
担保されたのは「平和憲法」の存在に帰するものではなく、日米同盟の
存在によるからである。
平和を表明すれば、侵攻を免れるなら世界中が九条を持つ。
永世中立国を表明しているスイスさえ、徴兵制があり各家庭に
武器を備え、いざというときには国民個々が立ち上がる気構えを
世界に示している。

九条ありてなお、拉致問題は生じているし多くは返されず、
また竹島は不法占拠されたままである。

 

マッカーサーの日本占領時代の基本統治政策が「日本弱体化」にあったことは、
自明の理であるが、そのGHQに押し付けられた憲法が、日本を護るより弱体化が目的であること、これも当然のことではないか。

 

と言うと、アメリカからの押し付け論へのアンチとして憲法作成に
日本人が関与していたことを述べる人たちがいるが、一体
誰を指しているのであろう。

 

この辺りは、私は不勉強であることを告白しておく。だから真っ向からの
反論ではなく疑問形である。

 

多少は調べたが日本人の「関与」は記述されているが、直接作成した人物には
出くわさない。関与程度なら、それはアメリカからの押し付けではないという
アリバイ作りにむしろアメリカが置いたのではないだろうか。

 

更に、反日傾向が強いNYタイムズの記事がある。

http://www.sankei.com/world/news/140509/wor1405090023-n1.html

 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は8日、安倍晋三首相が憲法9条の解釈を変更し、集団的自衛権行使を容認する意向であることに関し「民主的手続きを損なう」と批判する社説を掲載した。「日本の平和主義憲法」と題した社説は、憲法9条がノーベル平和賞候補になったと紹介。安倍氏がハードルの高い改憲ではなく、解釈変更により「9条の無効化を追求している」と指摘した。

 「安倍氏の最大の政治目標は、第2次大戦後に米軍によって書かれ、押し付けられた憲法を改正することだ」とも指摘。その上で、「安倍氏は憲法が日本の主権に重い制約を課し時代遅れだと強く感じている」と分析し、「安倍氏は憲法の主要機能は政府の権力をチェックすることだと知るべきだ」と主張。憲法は「政府の気まぐれで変更できるものではない」とし、「日本の民主主義が真に試されている」と結んだ。(共同)

                《転載終わり》 

当のアメリカの新聞が、「第2次大戦後に米軍によって書かれ、押し付けられた憲法」と表明しているではないか。

「憲法が日本の主権に重い制約を課し時代遅れだと強く感じている」とも。

私が知っている憲法への日本人関与は、松本烝治国務大臣が中心として起草した憲法改正案だけだが、これはGHQの拒否にあっている。

あと知識があるのは、憲法の翻訳に携わった白洲次郎。終戦連絡中央事務局の参与として、GHQ憲法に関わったとされている。

私はいみじくも今、日本憲法と書かずGHQ憲法と書いたが、実質はそうであろう。ノーベル賞が与えられるとも思わぬけれど、仮に授賞するなら相手はGHQの今は天国にいる方々にであろう。日本国民は憲法にはそういう意味では関わりがない。何も「寄与」などしていない。

白洲次郎は、けれん味もある男だが当時の日本人としては背筋をきちんと
伸ばした人であったとは思う。「マッカーサーを叱った男」「従順ならざる唯一の日本人」と言われた。

また、「日本は戦争に負けたが奴隷になったわけではない」という卓越した言葉を発してもいる。

今なら誰でも言えるが、敗戦で打ちひしがれて米国へと草木もなびいていたあの時代に、これを言い放てる胆力。

その白州がGHQ民政局長のホイットニー准将の言葉を記していて、見過ごせない。ホイットニーは、マッカーサー憲法の草案に携わった男である。

そのホイットニーが白州にこう言ったというのである。

「あの憲法に関係したスタッフは、ここにいるだけではないんだ。日本には来ていないが、豪州時代にこの仕事に参加した人間が、まだほかに何人もいるのだよ」

つまり・・・・

GHQ憲法(マッカーサー憲法)の草案作りは、日本の敗戦が決定される前から、行われていたということである。
日本人の参与があったから、押し付けではないという論理はこの事実からも
無理があるのではなかろうか。

GHQ憲法は1周間で作り上げられて、いかになんでも無謀である。
一国が規範として仰ぐ憲法がたった1週間。
しかし、その前に助走期間があったとするなら、それなりに
得心も行く。

GHQ憲法はCIAの前身にあたるOSSという組織が占領後の日本の政策を定めたものがベースとなっていて、OSSにはマルクス主義といわれるフランクフルト学派が存在、二段階の革命を経て日本を共産化しようとしていて、その具現がマッカーサーのGHQ憲法であるという説も見かけたことがあるが、これは私には解らない。不勉強分野である。

白洲次郎の次の言葉のほうが解りやすい。

 「だいたい、一国の憲法を一週間で作ったなどと自慢たっぷりに話すような不謹慎を、ぼくはとらないものである。また彼の細君は、うそかまことか、当時、休暇で日本に来ていた大学在学中の彼の息子が、草案の一章か一項を書いたんだと親バカ流に広言していたそうである。ぼくはそのことを、GHQのさる高官から聞かされたのではあるが、そのとき、この高官もなげかわしいといった表情で語ってくれたのを、今でもハッキリ覚えている」

翻訳者と白洲次郎は、マッカーサーが1週間で作らせた憲法草案を、これまたたった一晩で翻訳するのだが、その時の白州と翻訳者・外務省翻訳官小幡都の会話を白州はこう記している。

 

「白洲さん、シンボルというのは何やねん?」

 小畑氏はぼくに向かって、大阪弁で問いかけた。ぼくは「井上の英和辞典を引いてみたら、どや?」と応じた。やがて辞書を見ていた小畑氏は、アタマを振り振りこう答えた。

「やっぱり白洲さん、シンボルは象徴や」

 新憲法の「象徴」という言葉は、こうして一冊の辞書によって決まったのである。

           《転載終わり》

白州の「証言」を信じるとして、日本人なら虚脱しないであろうか。

憲法作成の楽屋の茶番劇にである。

余りのイージーさに白州は、2月15日にGHQ草案の検討には時間を要するとコートニー・ホイットニーに宛てて書簡認めているが、これはGHQから不必要な遅滞は許されないとして却下の憂き目にあっている。

ホイットニーの「大学生の息子が草案の一章か一項を書いた」という言葉の
真偽は、白州の残した言葉によるしかないのだが、あながち嘘でもなかろうか、と思われるのが、憲法作成に参加したベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)という若い女性の存在である。

この時彼女はわずか22歳(!!)であった。
しかも彼女の思想は、日本で生い育った彼女の家のお手伝いさんである
網元の娘に影響されている。その影響のもとに、「日本女性は虐げられている」という主張で憲法改正に携わったというのだから、これにも日本人なら虚脱しないか。

網元の娘、たった一人の証言で。
日本女性が虐げられていたかどうか、西部劇の女性たちが
コルセットで締め付けられ(西洋版の纏足である)、何かというと失神、男たちが席巻していたアメリカを思えば日本がさほど特殊であったか?
少なくとも纏足とコルセットはなかった。また秀吉の妻や、山内一豊の妻の
ように、したたかに夫を可愛がりつつ尊敬しつつ、手のひらの上で転がしていた
女性たちも珍しい事例ではない。

ベアテに「日本女性の地位がいかに低いか」を吹き込んだお手伝いさんの名前は、小柴美代という。美代がどれほど、日本を観察、世界のレベルから俯瞰してベアテに伝えたか解らぬが、当時の網元の娘にさほど学識があったとも思えず、身辺の愚痴レベルであったかもしれないではないか。

しかし美代の言葉をベースにベアテは日本国憲法、もといGHQ憲法の憲法24条草案づくりに22歳で携わったのである。事実である。日本人は余りにもこういう、ある種のお手軽さを知らず、平和憲法を錦の御旗に掲げて「平和!」「尊い!」と叫ぶのである。

平和と叫んで平和が保てるなら、チベットへの中国の侵攻はない。

末筆になるが、私が美輪さんとの交流をちらっと書くと、美輪さんの政治的立ち位置について書いてくる人がいて、気持ちは解るのだが・・・・
私が表明している政治的立ち位置とは異なる方なので、いぶかしいのだろう。

これに対しては後々のこともあるので、記しておく。

まず、美輪さんとの付かず離れずのお付き合いが始まったのは
(日常接触があるわけではなく、お会いするのは楽屋かテレビ局の
番組でご一緒する、その程度であるが)美輪さんがまだ政治的発言を
なさる以前に私は存じ上げていて、そういう私も政治的言語は全く
所有していない頃始まった交流である。

人はその政治的信条により付き合ったり交際を断ったりするものでもないだろう。中にはそういう人もいるかもしれないが、思想は思想として付き合う人のほうが多くはないだろうか。

美輪さんとは電話でだが、ほぼ50分前後政治の話はさせて頂いたことがある。
私とは平行線である。
しかし、だからといって美輪さんは私を排除はしないし、私は美輪さんの政治的意見には与しないが、アーチストとしての敬意で、楽屋には伺う。
世界でも比類なき芸術家であると思うし、また霊性については私は
個人的にしたたかに思い知らされることがあり、それが本物であることを
承知している。
ステージでは、明らかに次元が異なるほどの変容を、ある一瞬劇場内に
もたらす。

お人柄はあたたかくこども好きで、義理堅い。

ついでに釈明をもう一つ。私がソウル生まれであるとして、在日説をまたぞろ流している人がいるようだが、私が生まれた当時ソウルには多くの日本人が居留していて(なぜならそこは当時日本だった)戦争終結と共に、祖国日本へ引き上げた中の私は一人である。誕生して以降のソウル滞在は、数ヶ月である。

略歴に京城(ソウル旧名)と書かれていたのだが、それではもはや解らぬ人が多い時代になったであろうと、自ら京城をソウルと書き換えたのだ。
隠す気もないし、偏見があればわざわざ書き直したりもしていない。

あと、いかなる宗旨宗派にも属していないのでそれも表明しておく。
今は神道をいくぶんかずつ学び始めているが、内館牧子のように
そのためにわざわざ大学に通うほどの熱心さはない。
もっとも彼女の場合は、相撲という個人的興味にからめての神道学習で
あると思うが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず更新

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更新しないと、何かあったのでは・・・・と心配くださる奇特な方が少数いらっしゃるので中身無き更新である。

小説の校正に没頭中。

出版が12月4日に決定。ドラマのオンエアの1ヶ月前である。
その日におそらくドラマ情報解禁であると思うので、
もろもろお伝え出来るかと。

監督してくださった竹園元さんが撮った「最強のオンナ」という
藤山直美さん、寺島しのぶさんのドラマを面白く見た。
藤山さん、寺島さんは無論凄いのだが、女の子の天才ぶりに
目を見張った。

竹園さんは芦田愛菜ちゃんを早々と起用した人。
嗅覚があるのかな?

「命」の男の子も天才的で、その後大活躍のようだ。

うちわは内輪でやれ

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法務大臣が選挙区でうちわを配っていたとかで、その追求で

国会が15分間費やされたそうな。

追求した蓮舫議員も、過去にうちわやTシャツを配布している。

蓮舫議員のは柄がないので、うちわではないと言い張れなくもないが、

同行の応援演説者海江田さんが、「うちわ」と明言してしまっている。

・・・・・と民主党の相変わらずのブーメランを書きたいわけではない。

対する松島みどり法務大臣の卑怯さがいやである。

「うちわに見えるかもしれませんが、資料です」

なんだこれ。

うちわではないと言い張るのは、犯人がやってないと言い張るようなもので

お立場上見苦しいこと。

潔く認めて深々と謝罪したらどれだけ、人間の株が上がったか。

多額の税金でまかなわれる国会を、うちわ論議で費やすこともなかった。

それにつけても、安倍さん「女だから」選んだと言うものの言い方は

止めて欲しい。

男への逆差別でもある。(敢えて、揚げ足取りをしている)

上っ面の平等を言い、人数で平仄を合わせるのが姑息である。と、これも

敢えて突っ込む。

嘘でもいいのだ。「優れた人材を選んだら、たまたま女性だったんです」

ぐらい芸を見せて欲しいのだ。

女、オンナと政治の場で性差を強調する議員が大嫌いなので、

とりわけそう思う。

「オンナ目線で」という気持ちの悪い日本語。

「人間目線」でやれと言いたい。

人間目線でやれば性差別にも目が行く。

これも、じゃっかん揚げ足取りだが。

なんでこう突っかかりたいのかなぁと思えば

うちわごときで追求した蓮舫議員よりも、

法務大臣という立場で、うちわでないと虚偽で言い抜ける人間性がとても嫌なのだ。

人間性に男も女も関係あるかい、と言わせていただく。

 

略歴の憂鬱

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小説の「あとがき」を書き終え送稿、次いで憂鬱で書くのを

先延ばししていた略歴を書く。

なぜ憂鬱かというと、生誕地ソウルを引き合いに

在日説を流されるからだ。それも悪意で。

以前は気にも止めていなかったのだから、差別で言うのではない。

このところの情勢で、日本人ではないと思われることが正直しんどい部分がある。

最近では産経新聞の元支局長が市民団体に刑事告発された一件、
そしてFIFAが日本人選手を特集した記事の表紙に旭日旗を
用いたら韓国が抗議をして、謝罪させ変更になった一件。

オーバーでなく毎日韓国は日本に対して何かしらやらかしていて、
気がふさぐ。その上、友好を押し付ける人たちが国内にいる。

何を言われてもされても、抗議もしない日本サッカー協会も、何なのだろう。

だから今は日本人以外の国籍だと思われるのが心外。

Wikiを見てみたら、こういう表現になっていた。

日本統治下の朝鮮・京畿道京城府(現在のソウル特別市)に誕生。終戦に伴い、0歳の時に居留日本人の引揚船でもともとの郷里である長崎へ帰国。

これでも、言う人は言うのだろう。

略歴記載にしては長すぎるし、編集の方には生誕地はいっそ切って下さいとお願いしている。面倒なことである。なんでよりによって、日韓併合時代末期の朝鮮にいたのだろう。1週間後には戦争が終わり日韓併合も終了という時に。

無事祖国に帰国出来ただけでも、ありがたいとするか。

話題一転・・・・・

小説では(ドラマでも)ハリウッド往年のミュージカル「雨に唄えば」を
取り上げているのだが、果たして何人が理解してくれるかと
懸念していたのだが、何と東京公演をするとかでしきりに
テレビでCMが流れている。

作品にかかると、このてのシンクロニシティが多い。

ドラマでは主演俳優さんにステップを踏んでもらったが、とりわけ
ミュージカルシーンではないので、どの程度やってくれたのか
その分のロケは見ていないので解らない。

ト書きにも書いていず、監督さんに後でメールで「もしやれたら」とお願いしたようなことだったで忘れていたのだが、主演俳優さんに会った時、問わず語りで

「singin' in the rainをやりましたよ」

と言ったので、やってくれたのだろうと嬉しかった。

父親の傘を持って一人で歩いているシーンを書いたので、そこで
傘を手にステップを踏んでくれないかなあ、と思っただけのことなのであるが。
単に歩いているよりは楽しいシーンになっているだろう。

 

 


締め切り

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今日が校正の締め切りで、これから午後2時か3時ぐらいまでせっせとやる。

細かいミスを訂正しながら、書き加えたり削ったり。

編集の方にお願いして、ゲラ(印刷された文章)にではなく

パソコン内の原稿に手を入れさせて貰っている。

このほうが自由に推敲出来るのと、私は字が意外に大きくて、

先が細く尖った赤ボールペンで書き込んでいくのが性に合わない。

かなり手を入れてだんだん、表に出してもいいレベルにはなりつつあると思う。

「あとがき」は役者さんたちのそれぞれを書いたのだが、これも内輪では

好評だ。

九条にノーベル賞?

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某新聞社より電話あり。

「ノーベル平和賞が九条に与えられる確率が高いとの報道あり。

うちでは低いとは思いますが、もしもらったらコメントを頂戴できませんか」

とのこと。快諾。

私も可能性は相当低いとは思っているが、一部で高いと言われているのも

承知している。

万万が一貰うなら、私が言うべきは決まっている。

*拒否・返却の大々的国民運動を起こすべき。

*与えられるべきは当時のGHQの憲法草案者たちであり、日本国民ではない。

*現政権の憲法改正論に規制をかける内政干渉である。

*日本国の平和69年間が負っているのは残念ながら平和憲法ではなく、
米国の核の傘ゆえであるので、平和賞は見当違いである。

・・・・・・こんなところか?

九条の精神を世界に広め、世界がとりわけ中国と韓国が受け入れるなら結構なことだが、日本だけが押し付けられれば、それは密林で日本だけ素手でいろと言うに等しい。

 

父の大島

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亡き父から譲り受けた大島が、直しなしで着られる。

この間初めて袖を通した。

甥の結婚式があり、父にとっては孫に当たるので出たいだろうなあと、

大島を着て参列しようかと思ったのだが、大島はいかに高価であれ、

普段着なので式にはご法度だという。

事情を話して着て行こうかと思ったのだが、私の立場では

スピーチの機会も説明の機会もないことで断念。

普通に和服に、それから式に敬意を表して下ろしたての藤色の皮の

草履で出かけたのだが・・・・・

タクシーが不得手で電車に乗ったので、相当歩く。

新しい皮の草履は、足袋が滑ってはきづらかった。

帰りの道ではようやく慣れた。

草履の藤色は男物にはどうかと思ったのだが、店頭の照明を

浴びていた時にはつややかなパープルだったのが

暮らしの場に下ろすと、言われぬと分からぬ程度の色合い。

ところで、最近の式も披露宴も様変わりで、今校正に入っている

小説にもドラマにもわずかだが結婚式と披露宴のシーンがあるのだが、

知っていればちょっと描写が違ったかな・・・・・と思った。

考えてみれば式にも披露宴にもずいぶん、出ていない。

 

玉子焼きの天麩羅

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松茸の天丼があるというので、出かけたら「卵焼きの天麩羅」があったので、

頼んでみた。

味は皆さん、想像通り。

卵焼きは、わざわざ天麩羅にしなくてもよろしい。

この間の、スズキのお茶漬けといい、味は事前に想像できて、

「・・・・・・・」なのに、一度トライしてみないと、気が済まない。

食わず嫌いの対語はなんだろう?

偏食

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その時々に偏食するものがあって、時には練乳であったり

某コンビニのファーストフードであったりするのだが、

今、偏食しているのはびん詰の粒うに。

本物のうには食べられないのに、着色して味付けした

びん詰うにが好きである。

そればかり食べていたら体がやられるが、幸いすぐ飽きて

次の偏食に移行するので、無問題である。

飽きるまで食べてないのが、キャビアとアンチョビである。

前者は飽きるまで食べられるほど安くないし、後者は今のところ

ピザでしか食べられないのだが、美味しいアンチョビピザに

なかなか巡り合わない。

某宅配ピザのが美味しかったのだが、メニュー変更のシーズンで

姿を消した。

アンチョビはオーストラリアにいる頃、市場でイタリア人が売っているのを

買ってそのまま食べたり、クラッカーの上に乗せて食べていた。

人は見かけ

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松島みどり法務大臣がうちわを配布した行為が公職選挙法の禁止する寄付行為に該当する、とこれは事実で、それを言を左右にして逃げる大臣の姿勢が美しくないと思った。しかも「法務」なのである。詭弁を弄して犯行を認めない犯人を見ているようだった。   潔く認め、折り目正しく謝罪すればどれほど人として清潔で、また多大に税金を費やして開かれる国会の時間を浪費することもなかった。   という意味のことを前に書いたが、今度は野党側の追求を「雑音」と発言、私はこの大臣もうだめだと思う。   雑音発言が言語道断である以上に、その釈明がみにくい。   「私自身に対する予算委員会でのご指摘や行動について、あたかもそれが雑音であるかのように受け取られる発言をいたしたことを陳謝いたします」   雑音と断言したのに、「かのように」とすり替える姑息と、糾弾されるに
決まっている事を口にする頭脳のレベル。 すり替えは「あれは資料であって、うちわではない」と答弁した詭弁と
同次元で、畢竟人間性に帰することであろう。   この方のお顔を初めてクローズアップで見たら、いや以上の「中身」の問題性がなければ、外見のみをあげつらいはせぬけれど、この方のメークはなんだろう。
あれはまつ毛エクステなのか、長いまつげをカールさせ、品のない・・・・・ いや率直に申せば異様な化粧。品性に欠けること著しい。
化粧には品性と教養がにじみ出る。
そして衣服も。   人はまず見かけ、次に中身がついてくると実は私は思っているが、新大臣紹介で階段に居並んだ時の、奇天烈な衣装に眉をひそめるとかなりの確率で
その大臣は仕事も人柄もいまいち。   安倍さんが何を基準にこの方を選ばれたのか不審である。
女性だからという理由でピックアップするのは本当に止めて頂きたい。
男女の比率は場によっては大事な要素ではあろうが、国の運営を託す
人物にゼンダーは関係ないだろう。
能力本位で、と言い切るほど政治がピュアなものでないことは
承知しているが、出来れば能力本位「に近く」人選して欲しいのである。 政治に男も女もあるものか。
敢えて過激に申せば、生殖器の差異が、政治にどんな関係がある。   この間も書いたように、性差による差別問題なら「人間として」の視線を
持てば見える。「女」を強調するから歪みが生じ、男を差別してしまうことになる。    後追い記述    今度は、小渕優子経済産業相の政治資金問題の浮上だ。  ほとほと「女だから」選ぶような、妙な基準の人事は止めて
 もらえないだろうか。  適切な人材を選んだ結果が、全員男であったり女であったりしたとして
 なんの不都合があるのだろう? 政治はお見合いパーティではない。

価値観が根こそぎ違う国

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安部総理の「美しい国へ」という本を読んだ時、目を疑う記述に
出くわしたことを思い出した。政治家としてのこの方を否定しているわけではない、いかになんでもこの書き方はないだろう、と思ったくだりである。

ここ一連の韓国の動きに対してもなお、安部総理は果たして同じことを
著書に書かれるだろうか。

「わたしは日韓関係については楽観主義である。
韓国と日本は自由と民主主義、基本的人権と法の支配という価値を共有しているからだ。
これはまさに日韓関係の基盤ではないだろうか」

15日の国連総会で、韓国代表は「第2次世界大戦中、軍によって強制的に性奴隷にされた犠牲者、いわゆる慰安婦の問題は、紛争下の性暴力の主要な未解決事例だ」と述べ、この期に及んでまだこんなことを言っているのだろうかと、ほとほとうんざりしたのだったが、大小さまざま韓国が日本へ吐き続けてくる根拠なき雑言の数々は、枚挙に暇がなく、私はこのところいちいち言うのにも飽きて口をつぐんでいた。

産経新聞・加藤達也前ソウル支局長の出国禁止措置は、もはや拉致監禁のレベルであろう、と思うがそれに言及することにも、もはや倦(う)んでいた。

しょせん「そんな国」なのだから、と。
「また、やってるな」と。
しかし、それではまずいのだろう。
あちらが飽きること無く言いがかりをつけて来るなら、こちらも
言い続けるしかない。ほとほと飽きたしくたびれているのは
事実なのだが。

「韓国と日本は自由と民主主義、基本的人権と法の支配という価値を共有している」とは、いったい何の思惑で書かれたのか?
理解に苦しむあまり、とりあえず好意的に外交上の必要悪としての甘言なのかとまで、譲歩してみたのだがそれにしても度が過ぎる。
韓国への一種の皮肉であり、改善要求と強いて読めなくもないが、しかし前後の文脈で辿るとおそらく字義通りであり、皮肉のトーンはいっさいない。

自由と民主主義、基本的人権と法治国家ねえ・・・・・。

慰安婦に強制性がなかったことは、朝日新聞がカミングアウトする前から
自明であったし、産経新聞前ソウル支局長は朴槿恵大統領に関する疑念を
自ら執筆したわけではなく、韓国最大手紙の「朝鮮日報」の記事を引用したに過ぎない。それでいて、「朝鮮日報」の記者が拘禁されたという話は一向に伝わって来ないのだ。

「セウォル号」の沈没事故が起きた4月16日、朴槿恵大統領の所在が7時間にわたって確認されていないことは、今も事実ではなかったか?
と私が韓国で述べたら、出国禁止措置を受けるのであろうか。

他ならぬ韓国の「ハンギョレ新聞」がいまだ、大統領の7時間」に関しては、疑義を書いているというのに。 「日本人ごときが韓国の大統領様に関してものを言うな」というごとき威嚇であるのだろうか。

韓国内からの情報公開請求に対して大統領府は「大統領指定記録物」なので公開出来ぬ、と言い続けている。これでは、産経新聞前ソウル支局長の拘禁はよけい、世界に対して説得力を失う。

慰安婦の強制性の皆無が公にされたら、日本国内では「売買春の是非」や「女性の人権」論に問題をすり替え、またぞろ要らぬ自己反省と自虐へと国民を誘導すべく、いわゆる「知識人」たちがテレビで語っていて、ほとほと呆れるのだがそれなら、今現在日本に数万人いるとされる韓国人売春婦の方々を救い出すべく、動かれたらどうか。所在を探り当てるに努力は要らない。そこらに、たくさんいらっしゃる。また、国家関与の売買春について述べるなら、世界のあちこちにある。むろん韓国にも。

日本のそれに強制性は無いし、日韓基本条約で全ては解決済みである。

それに慰安婦は日本人も多くやっていた。彼女たちで誰一人「虐待された」「拉致された」と名乗り出た人は一人もいない。時代の悲劇性や女性の人権の見地から語られることはあってもいいが、従軍慰安婦問題とそれらを同じ俎上に上げるのは間筋違い、間違いである。

安部総理がその著書のタイトルになさった「美しい国」とは、どんな国なのであろう。(もう一度お断りしておくが、政治家としての安倍氏への全否定ではない)

 

安倍晋三『美しい国へ』(文春新書) P.157
日韓両国はいまや一日一万人以上が往来しているという重要な関係にある。日本は長いあいだ、韓国から文化を吸収してきた歴史をもつ。その意味では、韓流ブームはけっして一時的な現象ではない。わたしは日韓関係については楽観主義である。韓国と日本は、自由と民主主義、基本的人権と法の支配という価値を共有しているからだ。これはまさに日韓関係の基盤ではないだろうか。わたしたちが過去にたいして謙虚であり、礼儀正しく未来志向で向き合うかぎり、かならず両国の関係は、よりよいほうに発展していくと思っている。

韓国から吸収した文化とは何なのか、具体的に列記して頂きたい。
私自身は韓国のドラマや映画のある作品や監督、俳優たちには敬愛の
念を抱いている。それを前提にしての質問である。
私の認識では、半島経由で中国文化の成果を日本が得たことは事実だが、
それはあくまでも「経由」である。

対中国に関してはこのように記されている。

安倍晋三『美しい国へ』(文春新書) P.155
たとえ国と国とで摩擦が起きようと、相手の国の人たちには、変わることなく親切に、誠実に接する。それこそが日本人のあるべき態度だし、わたしたちが目指そうとしている国のあり方に重なる。これから中国とは、経済的にはいま以上に密接な互恵関係が築かれるに違いない。したがって、中国の留学生たちには、ほんとうの日本をもっと知ってもらいたい。ほんとうの日本を知る中国の学生が増えれば、日本にたいする理解も格段に深まるはずだからだ。そのためにも今後は、留学生の受け入れ枠を思いきって広げ、日本で勉強したいという中国の若者たちをもっと受け入れる努力をするべきだし、日本における就業機会をふやす努力が必要だ。

未読の方たちのために、抜粋させていただいた。夫人の対韓国言動の
説得力とポリシーの無さに辟易としているが、安部総理の脳内も時として
私には不分明なものに思えて来る。

日韓議員連盟の額賀福志郎会長他の皆さんが、朴槿恵大統領と青瓦台(大統領府)で会談する方向で調整しているそうだが、日本からの複数回にわたる歩み寄りに対してこっぴどくはねつけてきた韓国に、日本からまたぞろ腰低くご機嫌伺いに行く必要があるのだろうか。

「産経新聞の問題と日韓関係全体とは切り離して進めていきたい」とのことらしいが、切り離して「日韓友好」とやらをやって来続けて、その結果が今なのではないか?

「いつかきた道」をまた日韓は歩み、日本は言いがかり、捏造を浴びせかけられながら同じような光景をまた、日本国民は見せられ続けるのであろうか。

放っておいたらいいではないか、というのは乱暴だろうか。
距離を置くのが私などはお互いベストではなかろうかと思うのだが。
嫌いな日本と無理やり付き合うのは、あちらも苦痛であろう。

朴大統領には、ここも筋を通して日本を足蹴に会談は拒絶し、千年の恨みをまっとうして頂きたい。ここで、節を曲げては大統領の名折れであろう。

その意味では、産経の前支局長にはお気の毒だが、理不尽な監禁に
もうしばらく耐えていただき、世界に韓国の本質を見せ続け、
またまやかしの「会談」とやらのストッパーの役割を果たして頂きたいのである。
会談とは名ばかり、手打ち式のレベルでございましょ。


 

相棒

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わざわざ追いかけてまで見るほどの律儀なドラマファンではないのだが
新シリーズの「相棒」はたまたまオンタイムで見て、唸った。

これは見事な政治劇。サスペンスに形を借りながら丁々発止の
せりふのやりとりには「特定秘密保護法案」などという言葉も出てきて、
誰だ、このしたたかな作家は、と見れば輿水泰弘さんで、
この方がメインライターでいらっしゃるのだろうか。

昔、テレビ朝日に連ドラを書いた時、病み上がりだったので
1話分だけ休養期間を頂いて、助っ人に入っていただいたことがある。(要するに読み切り形式であった連ドラの1回分を書いて頂きその間、私は体を休めたのだが、その休養の間に、愛犬が逝き、手厚く送ってやれた。そういう意味では輿水さんは恩人である)

ある国家の中枢にいる人物が、国の秘密を売り渡す連中を次々に殺していく話で、「売国奴」というセリフが頻発して、私は実のところ法の壁に阻まれ制裁も受けない連中を殺していく犯人のほうに心情が寄り、今回ばかりは右京さんの最後の、正義の決め台詞に説得力が薄かった。
そりゃあ、テレビなのでドラマとはいえ殺人を肯定するわけには行かず、しかし時代劇なら「必殺仕置人」で成立、要するに現代版仕置人のお話であった。
私にも腕力と頭脳があれば、始末したほうが早いなと思う人物は、一人二人にはとどまらぬ。いや、正直な話。といって、テロは肯定出来ぬけれど、
頭のなかでは何人も何度も、刺したり締めたりしている。

       天誅とつぶやき仰ぐ冬の月

売国奴を撃つフィクションから「報道ステーション」という現実を切り取る番組に直結して、思わず私は笑ったのだったが・・・・・

まぁ慰安婦問題の朝日新聞と表裏一体で、くっついているような番組枠ではある。

古舘さんが報道ステーションをなさる遥か以前の、古舘さんが仕切る
番組に私はゲストで招かれたことがあり、その頭の回転の速さ、仕切りの上手さが現場にいるとよく解り、それは福沢さんも同じなのだが・・・・・
あの古舘さんがいかなる本心を隠しながら? スタジオの中央に
座り続けていらっしゃるのだろうと、私が一瞬だが直に存じ上げている
人としての肌合いのいい古舘さんとの一種の乖離に、人の存在の面白さを
感じなくもない。

それにしても、見かけるたび衣装の凄さに目を見張る。さりげないが、
お金のかかった趣味の良いスーツ。
番組のメインの司会を始めるタレントさんたちが、初期の野暮ったさを
抜けてだんだん洗練されてくるのは、スタイリストがつくからだが、
古舘さんは最初から売れっ子でいらしたせいか、というよりご自身の事務所に
スタイリストを抱えていらしたような気がするが・・・・・・
プロの手が入る入らないで、衣装のレベルの差が歴然とするので面白い。

私も昔わりにフジテレビに出ていた頃、つかの間スタイリストをつけていたことがあるが、自分では選ばない色目や材質のものを持って来て、やはりプロだった。

ひところ、野球の世界の大沢さんや江原啓之さんなど、和服で毎回凄いのを
とっかえひっかえ出演なさっていらしたが、たぶんスタイリストが用意した
レンタルであろうと見ていた。毎回見事であれだけの和服を毎回、
自前で用意していたら一回しか着ない和服に、おそらく月300万程度の出費。レンタルだと思うが、江原さんとは何度かお会いしているのに、
訊いておけばよかった。収入の桁が違っていたので、案外自前です、
とアッサリ言われて腰を抜かす可能性も皆無ではないが。
税金でごっそり持って行かれるなら、番組で使う衣装は経費として落ちる。

そういえば、最近男のレギュラー出演者で和服を見かけない。

・・・・・・・昨夜は、気が付かず新シリーズの「ドクターX」は最後の
5分しか見ていない。次回予告に、岩下志麻さんが出ていらして和服。
極道の妻のような雰囲気でやっていらして、出演回は拝見すると約束しているので、次回は見過ごせない。

自分のほうのドラマだが、出版社の方からメールで「音入れ」(効果音や音楽)していないDVDを見たが大変面白かったそうだ。
私はスタジオに通った2日間で見たシーンしか知らない。

ある若手俳優を一番生かせるのはあなただから、ぜひ書いて欲しいと
俳優のファンの人達からリクェストを随分頂いたのが数年前で、私の一存ではいかぬこと、お応えも出来ずにいたのだが、次回はその俳優さん主演でやっとファンの方たちの声に応じる事ができる。彼の新しい一面を引き出せたと自負している。

国会で「女売り」はやめよう

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「女だから」という理由で閣僚を選び、それを目玉にするのも変なので、

それは初期から言ってきたのだが、案の定で異様な化粧のウチワ大臣に

今度は小淵さん。

これでいいかげんに懲りて頂きたい。

本当に信じられない。

閣僚を男女の比率で選ぶという稚拙さ。国民への媚び。

人物本位で選んだら全員男性、あるいは女性。

それでよい。

なんで性別にこだわるのか、根拠が解らない。

「女性目線で政治する」と気色の悪いことをいう女議員もいる。

国会は風俗か。

大体議員に「女議員」とわざわざつけるのが失礼なんで。

「有森冴子」は最初「女外科医」とつけようとしたのを

外してもらった。医師に男も女もあるものか。

小説版では出版社の意向に押し切られて「女外科医」がついてしまい

後悔している。

「女目線で政治する」のではなく「人間目線で」どうぞ。

世迷い言

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朝日新聞が、また妙なことを社説に掲げているようなので軽く反駁しておきたい。踏み込むと時間がかかり過ぎ、政治専門ブログでもないのに膨大になるので、軽く。

>高市総務相が、17日からの例大祭にあわせ靖国神社に参拝する意向を示している。
だが、高市さん、ここは自重すべきではないか。

>そもそも、首相をはじめ政治指導者は、A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社に参拝すべきではない。政教分離の原則に反するとの指摘もある。

慰安婦問題の時もそうだったが、素人でさえとっくに自明であることを
ことさら、間違った認識であげつらうのはいかなる精神風土であるのだろう。

A級B級C級というのは戦勝国が勝手に分類した(中には捏造もある)戦争犯罪の「種類」に過ぎず、Aだけがことごとしく最悪だというわけではなく、Aで処刑を
免れた方もいらっしゃれば、Bで処刑された方もいらっしゃる。

この期に及んで、何を言っているのだろう?

慰霊が政教分離に触れるなら、韓国の靖国ともいうべき顕忠院には与野党限らず、皇族までお参りしている。それには口をつぐんだまま、日本人の戦没者を祀る神社への参拝のみ斬るのは論理に整合性の欠如。

更に・・・

◆終戦記念日の靖国参拝は、75年の三木首相から85年の中曽根首相まで普通に行われていたのに、それを政治問題化させたのは他ならぬ朝日新聞ではなかったか?

◆1952年に連合国の軍事裁判で刑に処せられた者は国際法上の犯罪者として見なされないという、法務省の見解が出されたのは1952年。

◆1953年には遺族援護法の改正も行われた。

◆BC級戦犯から靖国への合祀が始まったのが59年。

◆A級戦犯の14人が合祀されたのは、78年で、その翌年初めて参拝したのが大平首相だったが、中国韓国ともに抗議などして来ていない。

焚き付け、煽り立てたのはいったい、誰なんだ。


>しかも、北京で来月開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)での日中首脳会談の実現に向けて、関係者が努力を重ねているときである。それに水を差しかねない行為を慎むのは、閣僚として当然だ。

中国は慎まなくて良いのか、日本だけになぜ押し付ける? 



>A級戦犯が罪を問われた東京裁判には、勝者による裁きといった批判がある。それでも、日本はサンフランシスコ平和条約で裁判を受け入れ、これを区切りに平和国家としての戦後の歩みを踏み出した。

細かい英語の誤訳とニュアンスの説明は省くが、日本はtrial「裁判」を受け入れてはいない。受け入れたのはjudgements「判決」である。

すり替えたのは小和田恒氏であり、そのことへの批判は識者複数名が指摘している。せめて両方の説を併記すべきであろう。 

>また、中国や韓国のみならず欧米からも、日本がかつての戦争責任や戦後の国際秩序に挑戦しようとしているとの疑いが出てくる。

戦争は日本が単独で一方的に起こしたわけではない。 

>高市氏は、戦後50年の「村山談話」などにかねて疑問を示してきた。

村山談話には不当性が濃い。それを日本の政治家が指摘、主張してなんの不都合があろう。 

>自民党政調会長や総務相として安倍首相に重用され続けている高市氏の言動は、個人の思いにとどまらず、政権の意思と受け止められかねない。

政権の意向で、まずい理由を知りたい。基本的に安倍内閣は「戦後レジウムからの脱却」である。 

>その高市氏が靖国神社に参拝すれば、国際社会が抱きつつある疑いをますますかき立てることになりはしないか。

朝日の言う「国際」は、中国と韓国、北朝鮮である。
それは「国際」ではなく「特亜」と認識されている。まっとうな日本人たちからは。

>戦後70年が控えているというのに、いまだ歴史問題にピリオドを打てないのは不幸なことだ。

 

ピリオドを打たせないのはどの国々だろう? 

>だれもが参拝できる新たな追悼施設をつくるといった、抜本的な解決策を真剣に検討すべき時だ。

 

千鳥が淵がすでにある。

作りたければ朝日新聞の敷地を提供なさってはいかがだろう。慰安婦捏造報道への反省を込めて。 

朝日新聞 2014年10月17日
http://www.asahi.com/paper/editorial.html?%E9%9D%E5%9B%BD%E5%8F%E6%8B%9D%E2%95%E9%AB%E5%B8%E3%95%E3%93%E3%81%E8%AA%E9%8D%E3%99%E3%B9%E3%8D%E3%A0

 

備考

昭和60年11月8日、
衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁内容。

これは社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)
第十一条の解釈を問われた小和田局長(当時)の答弁である。

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。
その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に
違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

>日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。

受諾などしてはいない。

 

東京裁判では”Judgements”つまり個々の「判決」を受諾したのであって、裁判の過程や裁判の示した歴史観まで全て受け入れたわけではない。

 

 

適材適所で

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小渕優子前経済産業相と松島みどり前法相辞任。

このお二人の不祥事を材料に、安倍自民を下げようとする動きがあるので

その尻馬に乗って批判するのもどうかなとは思いつつもしかし、

批判する野党にも大きくブーメランが帰って行く。

任命責任は自分にあるとの安部総理の表明は当然だが、

これに懲り「女だから」ということを価値観に置かないで頂きたい。

その職域に最適だと思う人を男女に関わらず、どうぞ。

乳房の有無ではなく、能力適性の有無を判断基準に。

それにしても、小淵さんが初の女性総理候補?

なんで?

「相棒」における水谷豊さん演じる右京のごとく「はい?」と語尾を

目一杯上げて、不審の念を表明したいところである。

ウチワは言語道断。引っかかるに決まっていることを。

ウチワ貰って票入れる人もなかろ。

衣装は人

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松島元法務大臣が、うちわを配ったことに対していまだ

「問題はない。あれは資料だ」と言い張っていらしてその潔くなさに

呆れ、またここでも「男を下げた」という言い方を転用するなら「女を下げた」。

要するに人間としての格を下げた。

うちわをうちわでないと言い張り、またテレビが案外追求しないが、

この方が「資料」と言い張る、うちわに印刷された文言は

自己PRのキャッチフレーズでしかない。画面につかの間写るうちわで、いつしかその

印刷された文字も読み取れたのだが。

自己宣伝を資料と言いくるめる不誠実。

政治家としての資質以前に人としてまずどうなのだろう。こういうレベルの

方を「女性だから」という理由で起用するのは、こういう問題が起きる以前から

私は疑義を呈しているが、もう止めて頂きたい。

小淵元大臣の支援者演歌歌謡ショーご招待も旧態以前で、そのセンスは

もうそろそろこの時代に再考されてはどうか。

娯楽提供で人気取りしてもそれはしょせん、政治家としての人気ではない。

それにしても、改めて思ったことだが・・・・

組閣当時、階段に居並ぶときこのお二人の衣装の何とTPOを心得ていず、

下品なこと。

政治はカクテルパーティでもハロウィンの仮装パーティでもない。

決意を示すのに、真っ赤なしかも似合わないレーヨンみたいなドレスをまとうのは

他とのバランスという意味でも、場に対する覚悟と敬意という意味でも

突拍子がなく、これは衣装のセンスのレベルである以上に、その方の

人間性と、政治への姿勢が現れるところだろう。

周囲との調和を無視した柄物も浮いて、そういう意味ではみにくい。

ドラマに携わって来た者として、衣装とメークには一家言あるので

言わせていただくが、松島元法務大臣のメークもあれは下品。

引き算で慎ましくおやりになるべきところ、勘違いメークの典型。

欠点の強調メーク。

素人には多いのだが、一度プロにやってもらっておぼえられるとよい。

すぐ自己流に戻るので、何度か。

身近な勘違いメークの女性にはお節介を言って、メーキャップアーチストの

お世話になって頂く。

結果は常に上々で周りも、あの人いきなりきれいになったわね、

そして「井沢さん何か言ったでしょ」と来る。

そう、お節介なんである。

言うことを聞いてくれる人は上首尾なのだが、「あなたは膨張色を着たらだめだよ」

と言っても、頑として意味がわからぬ人もいる。

自分が好きな色と似合う色は必ずしも一緒ではない。

そうは言わないが「あなたは、ほどよく肉がついているのに、膨張色着たら

膨れ上がるんだから、引き締める色をまといなさい」と、そういうことなのだが

理解出来ない。

衣装は知性でもある。

・・・・・・「他者からどう見えるか」という要するに衣装選びとメークの基礎は

「客観性」であり、階段に居並んだ時、突拍子もない新大臣はとりあえず

要警戒である、というのが持論だが、今回はからずも二人とも、

同時に失格とはあいなった。

和服がとりあえずいいと私は思う。最大の礼服であり、また日本人の心意気なのだから。

ドレスが似合う女性政治家なんて、ほぼいやしない。

年代的にまだ胴長短足なんだから。顔は大きいし。

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