Quantcast
Channel: 井沢満ブログ
Viewing all 1913 articles
Browse latest View live

韓国人教授が語る日韓併合の本質

$
0
0

昨日の東京は肌寒く、マントを羽織って近くに出かけました。
こういう時、インバネスは季節的に見た目が重くて違和感がありますが、
マントはかろうじてセーフ。

帰り、雨に振られたのですが戴き物の撥水スプレーをかけてあったので、
ちょっとしたレインコート。頭からすっぽり覆って、帰りました。
ザザ降りには無理ですが、雨粒が落ちてきて本格的な降りになるまでの
短い時間は十分、雨しのぎになります。

ところで、誰もがほぼ感じているかと思うのですが、都知事が
都の超一等地を、要望のあったハンディのある日本人の子らのための
特別学校にも貸さず、また保育園にも使わず、韓国語学校に貸すことや、市川市の保育園建設が地元民の反対で不可能になったことなどに、なぜ「日本死ね」の人たちはおとなしいのでしょうね。

さて日韓併合ですが、これは国際法にも違反していず、韓国側からも
望まれての合邦であり、西欧で言われるところの植民地ではありませんでした。
植民地は搾取で成り立ちますが、日本が韓国統治でなしたことは
「与え」です。韓国の近代化は、日本の統治時代を経ずしては
ありませんでした。

 

「日本に感謝しています」~韓国人大学教授が語る日本統治時代の真実【重要証言】

もうおひと方、韓国人の大学教授の方が、率直に同趣旨のことを述べていらっしゃいます。お名前を失念したのですが、私がそのご発言を知った時には、
すでにご高齢でいらしたのですが、ご顕在でしょうか。
確か・・・・伽耶大学の教授でいらしたような?

日本の統治時代がよかった、と言って殴り殺された老人がいましたが、
率直な自分の意見を述べてはならないという状態は不健全です。
同じ統治を行って、台湾ではむしろ感謝と郷愁とで語られるように、
また統治時代に少年時代を過ごされた台湾の方々がいまだ、
靖国神社を訪れるように、同じ統治に対して百八十度も
反応が異なります。

台湾は背景に天安門以前の中国文化の厚みがあり、
日本にコンプレックスを抱いてないから、ものごとをありのまま
捉えられたのだと思います。
上記の教授も語られていますが、彼らの思考は仏教でも何でも
朝鮮を伝って日本に行った。だから韓国のほうが優れているのに
日本に統治された、悔しい、けしからんという心理のようなのですが、
それを言われても困ってしまいますね。

朝鮮半島は単なる通り道であったに過ぎません。韓国が何かを
生み出しそれを日本に教えてくれたわけではないのだから。
仏教で言うなら、中国と韓国経由の北伝とスリランカ経由の
南伝仏教とがあるわけで、朝鮮半島経由の仏教は中国で
編成し直されたもの、韓国は関係ありません。

また、日本の特色であるのですが取り入れたものをアレンジ、発展させて
日本独自の文化として本場より花咲かせるのです。仏教も
その例に漏れません。少々勉強したくてインドに複数回渡ったのですが、
仏教に関してはもはや日本のほうが百花繚乱の趣きです。
仏具にしろ仏教芸術にしろ、お次第(マニュアル本)にしろ日本のほうが遥かに
洗練されています。

日本が韓国から頂いたものは、キムチ、マッコリ程度ではないでしょうか?
そもそも、韓国には韓国独自の何か、というものを持ちません。
オンドルも韓国だけではないし、キムチは秀吉軍が唐辛子を持ち込むまで
なかったし、マッコリはどぶろくであり、現在使用されている菌は
日本人が韓国人従業員に与えたものです。

ことほどさように、韓国オリジナルというものはないに等しいのですが
(名高い白磁もまあ種類であって、陶磁器そのものの原点ではないし)
それも、長きに渡り中国の属国として、貧困と従属を強いられて来た
歴史を見れば無理からぬ事ではあります。

それでも、事あるごとに日本と比べ優劣を強烈に言い立てるのは
日本の敗戦後のことであり、これはGHQによる韓国人は日本の
被害者である、という刷り込みに端を発していると私は見ます。
それまで、日本人としてかなりスムーズに溶けこんでいたからです。

最近、羽生結弦選手と悶着を起こしたカザフスタンのデニス・テン選手の
祖父が抗日の闘士であったとかで、韓国で持ち上げられているようですが、
抗日といっても、さしてリアルに戦ったわけでもなく、物事が何か存在すれば
そこには必ず反対派はいる、というレベルの少数派でしかありません。

日韓併合は基本が和合だったと言っても間違いはありません。

動画の教授が言う如く、もし日本が介在せず清の属国のままに
韓国をしておいたなら、「三跪九叩頭の礼」に代表される如き
中国の奴隷国として虐げられたまま、それこそこちらは捏造ではなく
本物の性奴隷として美女を大量に中国に献上し続ける国であり続けたのだし、
こういう萎縮した隷属状態に、文化文明は育ちません。

あるいはソ連に侵攻されることを日本が許していれば、清國からの
解放はあったでしょうが、その代わり韓国人はシベリヤへと追いやられ
半島はソ連の領土となったという教授の意見には説得力があります。
どの国とて、統治に日本ほど誠実で優しい国はないと思います。

細部を見れば不本意な点はあったかもしれませんが、大筋日本の
統治は温和で、公平なものでした。

統治時代を知っている生き証人が、韓国からいなくなった時誰が
真実を語ってくれるでしょうか。

 


芝居と焼き肉

$
0
0

昨夜は初台の新国立劇場の、小劇場に村川絵梨ちゃんの
お芝居を観に出掛けました。

村川絵梨ちゃんは「わが家」で、ほの香を演じてくれた女優さんです。

密度の濃い熱気ある舞台を堪能させてもらいました。

ロビーで南果歩さんに久々にお目にかかりました。
仕事をご一緒させていただいたのが随分前です。

終演後、焼肉屋で村川絵梨ちゃんを囲んで盛大に
食べ、また飲んで午前0時過ぎまで。

何かで見たことのある店だなぁ、と思ったら
安倍総理行きつけとして報道されたことのある
店でした。

食事と飲み会がお開きになったのは終電ももう
なくなる頃で、これから一人で飲みに行くと言ったら
絵梨ちゃんが「私も行きたい、行く、行く」というので
「行こ、行こ」と言ったら、同行の「わが家」のプロデューサー氏から
「明日も舞台があるので」とたしなめられ、そりゃそうだ、
それに明日がなくてもうら若い女優さんと、夜更けの街に2人で
消えちゃまずいですね。

雨に備えてレーヨンの着物だったのですが、降られはしませんでしたが、
焼き肉だったのでちょうどよかったです。と男二人のプロデューサー氏に
言っても、きょとんとした顔。一足遅れで現れた村川絵梨ちゃんに
着物をほめてもらったので「雨用のレーヨンなんだよ」と言ったら、
「焼き肉なんでちょうどよかったですね」とさすがに打てば響く。
高価なシルクにまとわりつく、焼き肉の煙と臭いの困惑を実感で解るのは、
着物を着ている人なんですね。

という流れの中、熊本の大地震を知ったのは飲食の最中で、
映像を見たのは、帰りに一人で寄った酒場のテレビででした。
東京の直下、としきりに言われていますが、また
意想外の九州でした。その地方にお住まいの方、大丈夫
でしたでしょうか。

観劇日和

$
0
0

熊本の災害をよそに恐縮ですが・・・・

昨日は、美輪明宏さんの「毛皮のマリー」を見物に行って来ました。

新国立劇場は前日の村川絵梨ちゃんのお芝居に続いて2日連続です。

絵梨ちゃんのほうは小劇場、美輪さんは中劇場での上演です。

毛皮のマリーは、寺山修司が美輪さんに宛てて書いた、元々アングラ劇場用に

書き下ろされた実験的な舞台なのですが、美輪さんは

その芸術性を損なわぬまま大衆化に成功なさったと思います。

上演パンフレットです。(胸は皆さんドキッとなさるようですが、フェイクです)

下は当日着た着物です。Y.&Sonsで求めた着物も羽織も帯も綿です。
羽織は偶然に、本当に偶然に・・・・向井理さんと同じものを選んで
いてその偶然にびっくりしたのですが、これもご縁の深さでしょう。

着物は柄が出ていませんが、紺と紅の棒縞です。

 

昨年のコンサートの回数が異常に少なかったので、心配していたのですが
楽屋でお目にかかった美輪さんは意気軒昂でした。

 

熊本の震災に寄せて

$
0
0

私が熊本の震災について余り言葉を発しないのは、偽善的なお座なりな
言葉を書きたくないことに加え、出来事が圧倒的で言葉にするには
軽過ぎるだろう、という思いがあるからですが・・・・

震災で私が思い起こしたのは、もう随分前のことになりますが
友人ら一行と、幣立神宮を訪れた時のことです。
阿蘇山の麓、九州という島の臍の部分に位置し、1万5千年の歴史を有すると
言われています。

何かあるなあ、という直感に導かれるように友人たちを誘ったのですが、
よく目撃されるというUFOには遭遇しなかったものの、不思議な現象は
ありました。

写真にオーブと呼ばれる光の玉が写り込んでいたのは、珍しい
現象でもありませんが、参加の全員が魂が宙に飛んだような
目つきで、踊っている写真には吹き出しました。
アメノウズメの尊が祀られている一画でのことで、要するに
天の岩戸に引きこもりになられた天照大神を外にお出まし
いただくために、裸踊りをして神々の哄笑を誘った神様を
お祀りした場所で、全員それとは意識せずに踊りのポーズを
取っていたのです。

これは奇妙なことですね。天岩戸は伝説、神話の域で従って
アメノウズメも創作された尊かと、思われるのですが。
しかし、神話も現実にあったことの象徴文であるかもしれず、
となると、何らかの出来事が、アメノウズメ的エネルギーを
感知させる場所が存在しても、おかしくないのかもしれません。

別名が「日の宮」「元伊勢」「隠れ宮」であり、伊勢神宮のご祭神、日の神・天照大神の御霊が鎮まっていらっしゃいます。この隠れ宮が実は、天照大神の本家本元であるように、うかがっています。

このくだり、我ながら悪文で上手く書けません。
なけなしの霊感の持ち主としては、確信めく書き方も出来ず、
こうかなあ、と想像半分で書くばかりです。

それでも、龍神さんがいらっしゃるという言い伝えの池に向かう細い坂道を
降りているときは、左にしきりに腕を引っ張られたのですが、
その方向に龍神さんの池はあったのでした。

私が不思議を感じるのは、出来事ばかりではなくその看板に
記された由来書の如き文言に唐突に「エジプト」という文言が
あることで、京都の鞍馬山のある立て札に書かれた
「金星より飛来」という文言と双璧です。

「650万年もの昔、地球人類救済のために金星から遣わされた、宇宙神霊(サナート・クマラ)がこの鞍馬の地に降り立ち、精妙なる人類救済・大調和の波動を常に発信し続けている」という文言です。宇宙神霊サナート・クマラは「魔王尊」とも呼ばれていますが、鞍馬山は標高584メートルなのに、海にしかない岩石が無造作に山道にあったりして、古代は京都ごとこの山は海底にあった可能性があり、となれば人類が認識しているはるか以前に別の日本史があるわけです。

 

幣立神宮の成り立ちは、神武天皇の孫である健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、この地で幣を立て宇宙から降臨された神々を祀ったとの伝承あり、
京都の鞍馬山の宇宙サイズと、軌を一にし、また節目のイベントには、
世界各国津々浦々からいろんな人種が参集することも共通です。

幣立神宮の祭神は、神漏岐命・神漏美命・大御中主大神・天照大神と並んで
大宇宙大和神という壮大な神であり、古代の日本人の霊的インスピレーションの
壮大さに、めくるめく思いを致します。

天動説で大騒ぎしていた西欧に比べ、日本の神道のスケール感は
凄いです。もっとも大宇宙大和神というネーミングないしは
概念がいつのことからか、不勉強で存じあげないのです。

 

幣立神宮は高天原伝説とも、密着した存在なのですが、
これは微弱霊感の持ち主である私の勝手な感覚なのですが、
人はおそらく神と呼ばれるに相応しい光としての存在で
あった時代があり、徐々にその波動が粗く重くなって行き、
半神半人となり、そして人間というあまり上等ではない存在に
堕ちて現在に至る、と漠然と思惟しています。まあ、らちもない
妄想なのですが、かつて人間は自在に宙を飛んでいた、という
直感めく思いが抜けないのです。

「高天原に神留ります皇親(スメラガムツ)カムロギ・カムロミのミコトもちて…」と大祓祝詞の冒頭にある、言霊の聖地が幣立神宮です。このお二人が祭神なのですから。日本の開始がそもそも、宇宙の始まりなわけなので、壮大です。
日本は世界の雛形である、とも言われてきました。

学術的には、日本最古の歴史書は古事記だとされているかと
思いますが、私は読んだことがないので伝聞だけで言えば
竹内文書が更に古いと言います。トンデモ本という評価もありますが、
そこには、宇宙創世から神々の降臨・人類の誕生など三千億年前からの地球と人類の歴史が綴られているそうなので、
私の妄想的直感を補佐してくれる文書なのかも知れず、いずれは
読んでみたいと思っています。

私は、人類の歴史とは学問上知られているはるか以前に遡る、とこれも
半ば直感的に昔から思い込んでいます。オーパーツの存在など、
抜きにしても、むしろ何度も文明が生じ、そして滅びを繰り返しての
現在である、という考え方がすんなり納得できるのです。

幣立神宮には、ユダヤやエジプトにまつわる伝説もあり、そういえば
伊勢神宮にもユダヤの痕跡があるとも言われています。

エジプトといえば、私が時折垣間見る前世がエジプトが圧倒的に多く、
この世を去るまでにいくらかは過去世がらみで、伊勢神宮、幣立神宮、
ユダヤ、エジプトの不可思議な線が見えるだろうか、とぼんやり
期待していたりもするのです。

・・・・・こういう妄想的な延長であるかもしれないのですが、
このたびの地震に関して幣立神宮が皇祖神の根本を祀った
神宮であるところから、ある思いを
抱くものですから、それを漠然とでも書こうかと実は
思ったのですが・・・・

幣立神宮の由来を紐解けば、熊本に圧倒的に神武天皇をお祭りした
神社が全国でも群を抜いて多いことからも、ある感慨が胸をよぎるのです・・・・

曖昧模糊とした筆致で書いても
伝わらないか、いやたったこれだけの記述でも伝わる人には
伝わるかもしれないと思いつつ、結論の(一見)ない文章を終わります。

   

あなたは誰に遺書を書きますか

$
0
0

この度の震災で、被害にあった学生の話。

不意に電灯が切れ、真っ暗になったと同時に

意識を失い、気が付くと天井が鼻の先にあった。

これで終わり、と覚悟した時、持っていた

携帯で遺書を送ったのが、両親と兄。

この学生さんは助かるのですが、今回のことで

自分に最も大切な人は誰かを腹に入れたでしょう。

また遺書を書く相手が、ご両親とお兄さんであったということは

家族に恵まれ、幸せな自分であることに気づいて欲しいと

思います。家族と上手く行くのは決して当たり前のことではありません。

母を憎み父を恨む人たちも多いのです。

この学生さんは将来もう一人、遺書を書きたい人・・・・というより

一番先に遺書を書く相手、つまり伴侶と巡りあえますように。

そして次に書くのが子供たちへの思い。

幸せな家族に恵まれた子は、自らも幸せな

家庭を築きます。

家庭から不幸を得た人はいっそ、家庭を持たないか、自らまた

不幸な家庭を再現するか、あるいはあんな家庭には自分はしない、

あんな親にはならない、と腹を決め温かな家庭を築き上げる

人と三種類に分かれます。

御巣鷹山の飛行機の墜落の時も、墜落する修羅場の機内で

メモに家族への愛を走り書きした人がいて、胸をつかれましたが

いまわのきわに、言葉を遺したい、ぶつけたいほどの

相手がいることじたいは、幸せなことです。

相手がたとえ、犬であれ猫であれ、暮らしを分かちあった

愛があるなら、ありがとう、またね、という思念はきっと

彼らにも伝わるでしょう。

世の中に最期の思いを伝える相手もいない、孤独な人も多いのです。

あなたには遺書を遺せる人がいますか?

いるなら、どうぞその人を大切に。

今、共にある幸せを噛みしめてください。

偏執ふう だけど反転すれば長所にも という自己弁護

$
0
0

このところ、鯛を食べることが続いていて昨日は、鯛しゃぶ、鯛の兜塩焼き、鯛の桜寿司。

村川絵梨ちゃんと焼き肉を食べた時は、ひたすらカルビ。それのみ。
絵梨ちゃんに「素晴らしい」と褒めてもらったので、「カルビばっかり食べるのが、
ポイントになるの?」と訊いたら、「はい」。

わけ分からないが、分かるような気がしないでもない・・・が、

季節限定のグリコのごまポッキーを食べ続け、コンビニ2軒分の陳列棚を
空にした話をしたら「それはちょっと」と言われた。

カルビの食べ続けはよくて、ゴマポッキーの連続食いはダメな
理由が、よく分からない。

凝り性で、一度気に入るとそればかり、という性癖は悪く出れば
偏執狂。あるいはストーカーだ。

ただ仕事するには、一点集中、勉強もやるとなると一つの分野それを
徹底的に追求するので、悪い面ばかりではない。

ところで、先だって「母を憎むあなたへ」ということで、ちょっと
書いたら、随分非公開指定でコメントを頂戴した。

数が多い割に父親への憎しみがなく、やはり胎内にあった
人への生々しい感情に比べれば、男親はよほどのことがなければ
一生骨にまとわりつくようば、憎悪や嫌悪を持つことが
少ないのかもしれない。

虐待するほうの心情を書いてくださった方も複数名いらした。
おそらくはそれも、ご自身の母親との関係の投影であろうと
思われる。

少々、失笑したのは「親子なんだから、いずれ分かり合える」風アドバイスを
貰う人が割にいらしたことである。

親から、幼少期から受けた傷がそんな、ぬるい解決をするものか。
まずは、通常一生、無理。
母親が死んだとて、憎悪と悲しみが即癒えるわけでもなし。
と腹を決め、相手を許すより、まず自分を許して解放するのが先決。

まだ、吐出口としてコメ欄は機能しています、「非公開」と指定して
思いの丈、書いてしまってください。受け止めさせて頂きます。

楽になってください。

悪いのは親なんで、あなたではない。

 

粋な黒塀、見越しの松

$
0
0

ずっと探し求めていたこれぞという呉服屋、というよりは
着物のメンズショップを神田明神下に見つけてから、
仕立て上がりの着物を受け取りがてら、スマホの
万歩計の数値を上げるべく駅から
延々歩き、まず昼食を界隈で取ってから、
神田明神のご祭神にご挨拶、それから着物の店へ、
というのが定番のコースになりました。

戦後数年目に日本中を席巻した流行歌「お富さん」に、
有名な冒頭の歌詞「粋な黒塀 見越しの松に」というのが
ありますが、黒塀というのは柿渋に灰や炭を溶いたものが塗った
塀であり、いい色の黒になるので「粋」と言われたようで、
日本語の多彩さの一つにこの「粋」というのがあるのですが、
外国語におそらく翻訳不可能です。

ChicとかSmartとでも訳すのでしょうが、何かが欠落しています。
粋という言葉にこもる心意気のようなもの・・・・・と言っても
さあその心意気に当てはまる外国語もなさそうです。

粋というのはおそらく江戸限定かと思われます。
大阪京都も、文化が極みまで発達した街ですが、粋とはちょっと
違う。江戸の粋には気風(きっぷ)が添う。と、気風もまた
翻訳不能語かと思います。

さて脇道に逸れましたが、神田明神下に行きすがら
黒塀に見越しの松の、うなぎ屋があります。
見越しの松というのは、黒塀と一対の言葉で
塀から見える松のことで、独特の風情があります。

ランチタイムでも貸し切りになっていることがあり、それを知らせる
漢字だけの粋な木札が玄関に下げられるのですが、文言を
忘れました。一度寄ってみたいと思いながら、果たしていません。

のれんも日本特有でしょうか。石畳に打ち水も日本ならでは。

お昼を食べに寄らせていただく、あさ野さんです。
のれんの趣味で、味が分かると思いませんか。日替わりの焼き魚を
メインに、普通の家庭のお惣菜が取り放題に並びます。
普通の家庭といっても、さてその普通の家庭のお惣菜が
今はもう珍しい。名物の鯖の味噌煮の日は、混みます。
月に2度しかない鯖の味噌煮の日に、私は狙いすましたわけでもなく、
2度遭遇していますから味噌煮に関しては強運でしょう。

弟に教えたら、彼は夜寄っているようで、瓶の中の沖縄の古酒を
飲んでへべれけになっているそうです。

こちらか、神田明神男坂の下の天麩羅屋「みやび」で
お腹をこしらえてから、メンズ着物店に行くのですが、
このみやび、歌舞伎の役者さんも訪れる名店ですが、
ここも、しじゅうランチタイムなのに貸し切りになっています。
店内リフォームで、4月30日から7月まで休むそうで、
それまでに一度、顔出ししないと。

芭蕉の柄に一目惚れして「Y.・・・・・」仕立てて
もらいました。泥染め大島紬の芭蕉草木染めです。

これはこちらの店にしてはある程度の価格ですが、しかし全体に
たとえば有名百貨店の半分とか3分の1なので、若者に寄って
欲しいと思います。また向井理くんが出た番組のように、ここを
取り上げてくれると、嬉しいのですが。

品揃えの感性が若々しく柔軟なのが気に入っています。例えば私は
従来の男物がとにかくつまらなくて、女ものの反物で
仕立ててもらうこともあったのですが、ここは感性が
新しいのです。

たとえば、綿麻の浴衣地の模様は有名な画家の絵から取った
蜘蛛と蜘蛛の糸、蜘蛛の糸にかかりそうな蝶々や虫が
あしらってあり、一瞬どきりとします。
浴衣地ですが、羽織を着れば普通の夏着物としても
着られます。

値段の安さは、訊いてみたのですが・・・・・・
仕入先は一箇所ではなく、例えば泥大島はこの職人さんから、
というふうに何箇所も直接、取引があるようなのです。

伝統破りのセンスだし同業からは、疎まれることもあるのかもしれぬ、と想像したりするので、私が余り肩入れして騒ぐのも、却ってご迷惑かも
しれません。それに店名をフルで入れると、検索でやたら私のブログがヒットするので気恥ずかしく最近は、伏せるか「Y.・・・・・」と表記しています。

いっとき、コシノジュンコさんが作務衣などをデザインされ
斬新素敵だったのですが、男の着物はやられなかったのでしょうか。
「Y.・・・・・」は若者が着られる着物、そして少々無理すればあがなえる
価格なので、ついつい宣伝してしまうのですが。

h ttp://openers.jp/article/893308

こちらでは、仕立て上がると畳紙(たとうし)に収めた着物を箱に入れて
渡してくれるのですが、これが箪笥代わりに重ねて使えます。
着て、吊るして汗を飛ばしたらさくっと畳んで箱のなかへ。
防虫剤、匂い袋、乾燥剤などと共に。
やれ桐箱だ桐の箪笥だというと、億劫ですが紙の収納箱も
若者がとっつきやすい要素でしょう。

それにしても、着物は畳んでしまう時、その直線性に改めて
思い至ります。実に機能的に平らになってしまう、折り紙発祥の
国の衣類です。

そして畳紙の利便性も素晴らしと思います。こより、と言っていいのかどうか
結ぶ紐まで紙。なんだか優しいのです。

 

着物は着る回数が勝負、まとうごとに主に馴染んで一体になるので、
なるべく普段も着るべく、今日は滅多に袖を通さない着物に
風と陽を当ててあげようと、出したはいいが、なんと袷でした。

男は肌着を何枚も下に重ねられるので、単衣で仕立てておくほうが
使いまわしが利く、という知識を持っていなかった頃仕立てた着物です。

あさ野のお母さんは八十を越したくっきりしたお顔立ちの江戸美人さんですが、今日は私が和服だったので、着物談義でした。
お歳の割に柔軟で、男も長襦袢に白を着ても別にいいの、やら
今は、盛夏でなくても絽や紗の羽織を着ることもあるのよ、と
若者顔向けの柔らかい感性です。長襦袢は飽きたら
染めなおして遊ぶのよ、とも言ってました。

おそらく、専門家からは異論が出そうですが、冷暖房の発達した
現代、着物の常識も半世紀前とは変わる部分はあって
いいでしょう。

かつては神田明神下でも芸者衆がきっちりいっせいに
衣替えしていたようですが、何月から袷だ単衣だと
言っているとその気難しさに若者がより敬遠しないかとも
思うのです。最小限の約束事を心得たら、後は自在にで、
よろしいのではないでしょうか。

 

この間、私が着物を勧めた若者は着物の下にワイシャツとネクタイ、
革の帯に、革のサンダル、白い夏帽子でなかなかのものでした。

 

以下は少々愚痴めきますが・・・・男の私ですら、庶民の私ですら
着物の伝統を大事にしたく、着慣れるよう、身に馴染むよう
日々努めているわけですから、まして日本の伝統を最も
大切に保っていただきたい場所では・・・・・お願いしますよ、
としか申し上げられません。

着物の神様

$
0
0

一昨日、メンズ着物の店に仕立て上がった着物を受け取りに
出掛けたことは記しました。

着物は着る回数が勝負、まとうごとに主に馴染んで一体になるので、
なるべく普段も着るべく、その日は滅多に袖を通さない着物に
風と陽を当ててあげようと、出したはいいが、なんと袷でした。

 

男は肌着を何枚も下に重ねられるので、単衣で仕立てておくほうが
使いまわしが利く、という知識を持っていなかった頃仕立てた着物です。

せっかくいい日差しなので、戸外の爽やかな風に
当ててあげようと、出したのに残念でした。

それで、次に出した単衣なのですが・・・・

薄茶で実はあと1,2回着たら処分・・・・と
思っていた着物です。袖の付け根の綻びはつくろって
もらえるとして、背中の部分に虫か布自体の劣化か、
ごく小さいながら穴が開き・・・・・・

そうだ、綻びと背中の穴は羽織で隠し、
今日日盛りの長い歩行に着倒してお別れしようと
まとったら、「まだ着てください」と着物の切ない声がしたような。

長年まとっていたせいか、意思の疎通があるような。
捨ててしまうのは、着物の神様にも申し訳ないような。

あさ野のお母さんにはいい色合いで、いい生地だと褒めていただくし、
そういえば神田明神下には古い店構えの、おそらく腕が確かな
悉皆屋さんがあるので、そこに相談しようと思います。

30年も前の着物で、共布など取っていず、穴の繕いが
無理か、と廃棄を決めていたのですが、たとえば
生地のどこからか余分の布を切り取って添える、とか?
穴と言っても言われなければ気づかぬほどの、針でつついた程度
なのです。

最近、神田明神女坂にあるメンズ着物店の、斬新な柄や色使いの
着物に慣れているせいか、時々控えめな無地が新鮮に感じることもあります。

いずれにしても、このベージュ色の着物は着物の神様が
もう開放して宇宙の塵に戻してあげなさい、と言うまで
また着物“本人”が「もう疲れました。お役御免に願います」と
言うまで、ずっと一緒にいようと思います。

もともと、ものに執着を持たないほうなのですが、着物には
どうやら思いが残りそうです。犬たちという生き物と暮らしていた頃には
なかった感覚。物にも意識があり、自分と波長の合う合わないと
言うのもありそうで。植物にも時々感じます。

物で意思が通じると感じるのは、後水晶があります。
石に凝っていた時期があり、たくさん持っているのですが
とりわけ、ドッジボールよりは二回り小さいかなと思う、
ずっしりとした球体の水晶は、もはや人生の同伴者になっていて
無意識に語りかけています。

水晶は語りかけるときらめきを、その場で増すことは知っている
人は知っていると思いますが・・・・・こういうのは現場で目撃していても
光のせい・・・・とかいう人もいそうですね。

私がこの水晶を代官山の店で両手で抱え上げたとき、
ふいに光が増したことは、同行の友人が目撃していて、
家の(その頃あった)大理石のテーブルの中央に据えてからも、
似たようなことがありました。

別の友人ですが、その頃私の家の近くに住んでいて、
これがタイガーストーンと言ったかなあ・・・・・台湾で手に入れたという
ネックレス状につながれた石を、私の家に持って来ては
私の水晶球の傍らに置くのです。

すると、友人の石がたちまち濡れたように輝きを増し、あたかも
呼吸しているかのようでした。

石にも意識があることはある、さる場所で実感として解ったことがあるのですが
怪しげな話はこのくらいで。

 

被災地が大変なさなかに、のんきな話ばかりで気がひけるのですが、こちらはこちらで
直下をいわれながら、日々の暮らしは続いているので・・・・・恐縮です。


着物のかけはぎと洗い

$
0
0

象牙色の紬の着物の袂がほころび、また背中に針2本でつついた程度の
穴が開き、廃棄しようかと思っていた経緯は話しました。

神田明神下は男坂の根本にある天麩羅の店「みやび」に寄ってから
かけはぎの店に行ってみました。

結論を言えば、補修してもらえそうです。
やれやれ、すんでのところで処分せずによかった。

ついでに、洗いもお願いしたのですがこれが随喜の安さ。
某有名クリーニング店の10分の1ほどかなあ?
某有名店に出したのが結構昔のことなので、正確な
値段は忘れましたが、万単位であったと記憶しています。
2万とか3万だったような・・・・・?(記憶に自信無し)

昨日お話しした江戸時代から商っていらっしゃる、うなぎの店ですが
本日は貸し切りで、こんな看板がかかってました。

「御免こうむる。今日は予約をもって、売り切れと相成り候」

こういう小さな伝統残しも嬉しく思われ。

 

被災地が大変なさなかに、のんきな話ばかりで気がひけるのですが、こちらはこちらで
直下をいわれながら、日々の暮らしは続いているので・・・・・ご寛恕ください。

韓国人が熊本大震災を祝う、その人間性

$
0
0

韓国で、日本の災害があたかもお祭りのように祝われることは
東北大震災以来の慣れっこでもはや、さして驚かぬのですが、
今回イ・ジュンギ という韓国スター男優のブログで、熊本への哀悼の意を評した
その内容に対してすら、ブーイングという現実を見せつけられるに至っては
反日教育がもたらした、国民性というより以前に個々の
人間性の問題ではないかと思われます。

イ・ジュンギの名を知らなくても韓国でメガヒット、日本でも高評価だった
「王の男」の出演者であると言えば、韓国特有の切れ長一重の目の、
美少年の顔は知っているかもしれません。

旅芸人の少年ながら、その美貌と才能ゆえにいつしか、暴君の心を奪いキーセン上がりの側室の女の妬みを買い、様々の波乱万丈・・・・・という作劇で
元々は舞台劇だったようですが、映画も秀作として仕上がっています。

ht tp://ameblo.jp/jgtogether/

以上のURLにあるイ・ジュンギのブログは日本語で綴られた日本人ファン向けで、被災者への見舞いの意であり、おそらく韓国人の翻訳者による
たどたどしい日本語なので、よくわからないのですがしかも
イ・ジュンギは熊本(か日本)を訪れて、会ったばかりの人々が
災難に遭っていることに心を痛めている、とそう書かれているのです。

日本語で書かれた文言にすら目を光らせていて、バッシングの対象とする
その粘着性にも驚かされますが、通常そのような哀悼の意を
叩くごとき動きがあれば、一方にそれをたしなめる声があるものです。

中国ではそうでした。熊本の災害を心から祝う、祝意の印に
夜間来店の皆様には、ビールを無料でふるまう、とでかでかと
横断幕を掲げたレストランの店主は、激しい批判にさらされ、
普段は南京大虐殺の、と嘘八百で日本を貶めている国も、
さすが天災にからめての反日を許容するほど異常では
ありません。

しかしイ・ジュンギのブログへの非難をたしなめる声は、さして
ありません。

これはもう隣国としても、よく言われるように関わらず、関わらせずを
基礎に置くのがお互い、余計な摩擦が起きず済むであろうと
改めて思った矢先、借りていた韓国映画を見たのです。

「光州5・18 韓国国家が隠した真実」という旧作ですが、
現大統領である朴槿恵大統領の父上でいらした、朴正煕大統領が
暗殺され、台頭した軍事政権軍と、民主化を望む民衆党の
壮絶な抗争を描いた、史実に基づいた映画です。

私には不得手なジャンルで、借りたのは韓国の戦後史の一端をフィクションの
形であれ、ある種「実感」してみたかったのです。

ところが映画は秀作で大変な出来栄えでしたが・・・・
それよりその共時性に驚いたのは、予告編でいきなり
イ・ジュンギが現れ、予告3作品ともイ・ジュンギ、そして
本編でもイ・ジュンギ出演という、イ・ジュンギづくし。

私にはこのてのシンクロニシティが多いのですが、こういう場合の
それはこれをきっかけに「学びなさい」というサインです。

「光州5・18 韓国国家が隠した真実」を通して私が学んだのは、
お互い思い込んでいるほどには、隔絶した価値観や心情の持ち主ではない、
人間として全く、解り合えぬ存在ではない、というそのことです。
映画を見ている間、終始私は光州にある韓国人の一市民の
心情に託して、軍事政権の独裁と加虐とに相対してい、
人物たちと恐怖と怒り、絶望を共有していました。

まず学びはそれが一つ。永劫に解り合えぬという相手でも
お互いなかろうということです。といって、千年恨みを
忘れぬと言っている相手、一朝一夕に歩み寄りがあろうなどと
甘くは思っていません。千年先か、1億年先かわからぬけれど、
お互い歩み寄るにはとにかく真実を伝え続けねばならぬということです。

元凶はGHQの日本弱体化施策が創り出した、韓国人被害者、日本人
加害者という構図です。その偽りの構図の粉砕からこつこつ始めねば
なりません。

「名前も言葉も日帝は奪った」などという、基礎的大嘘が
いまだ韓国では信じこまれていて、それどころか日本ですら
自虐史観の人たちは、固くそう思い込んでいて驚かされます。

自虐史観の人たちは相当数身近にもいて、とりわけ団塊の世代に
多いというのが実感で、話していても本当にどうしようもありません。
自らが教えこまれた嘘を信じこみ、疑おうともしないのです。
まして、その史観がGHQの奸計発であるということに思いが
行くこともありません。人から刷り込まれた思想を、自らの
自発的な考えだと錯覚しているのです。

挙句「あなたと私とは思想が違う」と言うのですが、違うのは実は
思想ではなく「勉強量と、情報量」の相違なのです。

イ・ジュンギを発端に私が学んだのは、人間の心情として決して
解り合えぬというほど絶望的な相手ではないこと。

それと同時に、解り合うには真実を見据える事が必要である、
ということで、日本ですら歪められている事実が、韓国で
そうやすやすと、客観的俯瞰視野を持ち得る状況は
ないであろう、ということ。

しかし、日本が真実の発信を止めてはたとえ千年後であっても
相互理解は不可能であろうこと。

ああこういうことかと思い至ったのは、光州の市民に対する
軍事政権権力は苛烈であり、無造作に殺戮します。おそらく・・・・
韓国の国民は幼い頃から日帝もまた、そのような圧政を
敷いていた、と叩き込まれるのだな、と。それなら消えやらぬ憎悪も
当然のこと。

しかし、日本は圧政や恐怖統治をしてはいません。
あちらの官憲の殆どが現地の人々なのです。もともと血の熱い人達ですから
日本人が年端もいかぬ少女を拉致して性奴隷として使った、などということが
事実なら、彼らが黙っていず、また証拠が具体的にこれでもかと
残っていたでしょう。

と言うと、日本が証拠を破棄したと言われるのですが、人の口に
戸は立てられません。証言が当時これでもかとあったはずです。
数十万人も被害者がいて、一件たりと「こんな酷いことが目の前で
行われた」という証言が皆無なのです。
日韓条約の話し合いの場ですら、慰安婦のイの字も話題には
出ていません。南京大虐殺とやらと同様の後出しジャンケンです。

満州を日本が植民地統治したことはありませんが、影響力の多い
関与をしていたことは事実です。中国のそれに対しては、
怒りしかモンゴルの人たちは持っていませんが、「日本の統治は
良かった」というのです。厳密には統治ではないのですが彼らの
意識内ではそのようです。その上で「日本は、よかった!」と。

台湾は統治しましたが、日本は敬愛をいまだ受けていますね。
満州でも台湾でも、やったことは同じなんです。ただ韓国が、
日本の統治を憎悪する。
それはGHQが仕掛けた日本弱体化の構図に、歴代の
大統領が乗っただけのこと。国を一本にまとめるには、
国民共通の敵があるのが手っ取り早く、GHQの目論見と
韓国の統治側と利害が一致したのです。

日本の統治時代にことさら、それを憎み反逆しようとした
動きはありません(少数例外は何事にも付き物ですが、事改めて
記すほどの反抗はありませんでした)

兵隊の募集に対しても、青年たちは日本の軍人になりたくて
多い時には競争率が50倍にも達しています。
朴槿恵大統領のお父さんもその一人で、日本政府に
血書までしたためて、日本帝国の軍人になりたいと熱望の
書簡を出しています。日本国民であることを誇りとして、日本を
愛していたと言わざるを得ません。

このところ、韓国にまつわる共時性は実は映画のみならず演劇にもあって
私は思わぬことで、在日の方が書かれた芝居を否応なく拝見する、率直に言えば避けようない成り行きで拝見させられることがあったのですが、これも大いなる学びにはなりました。
心情の一端は、理解できるところあり、しかし反論もあり、これについては後日記すかもしれません。

映画でもう一つ学んだのは、中国はとりわけその連続と言っても
いいのですが自国民大虐殺が歴史に頻繁であったこと。
天安門はさして遠い過去ではありません。

韓国の済州島での自国民粛清も半端無く、その殺戮を逃れて
日本に密入国、不法滞在のまま居着いた人たちも多いのです。
彼らはその多くが大阪に住み着き現在に至ります。
言えば日本は命の恩人なのですが、それをしも、もし強制連行されてきたと
言い換えるなら、道理に反するでしょう。

翻ってわが国を思えば、戦乱はありましたが、思想故に自国民を
無造作に大量に殺した歴史などかけらもありません。
やはり穏やかな国なのです。

末尾に簡略ながら記しておきますが・・・・・・
現在、蕁麻疹の治療のために漢方の先生のところに
通っていて、随分快方に向かっているのですが、その先生が
霊感が時折作動する人で、身体的不調が心因性であることを
ズバリ仰る方で、私の場合はお話をはじめてわずか3分後に
私の心の中の要因を端的に、指摘されたことは記しました。

近年西洋医学でも心因性の病気があることは、解明の
端緒につきましたが、しかし私はおそらく西洋医学が捉えている
以上に心に原因がある病気や身体不調が、おびただしくあるであろう、
と直感しています。

そして、ふと思ったのが国家にも心因性の不調や歪みがあり
それが国家を病ませてはいないか、と。
国家や国民性を形成するのは、ひとりひとりの国民です。
長年の中国の冊封国としての、奴隷的扱いによる
国家規模の被虐の歴史が、国民一人ひとりの意識を歪めてはいないかと。
また国内では白丁という奴隷階級が多く、一握りの両班(リャンパン)という
貴族以外は国民規模で虐げられていた長きに渡る環境も
人の心を病ませた可能性があるかもしれません。
国家として虐待され、また国内では国家による虐待の長きに
渡る歴史が作り上げた心因性の病み。

これを追求すれば、新しい角度からの韓国論、日韓論が書物として存在し得るかもしれず、とすればタイトルは「母を憎む 心因性としての韓国病理論」として、
日韓関係を前向きに探る端緒とも成り得るか・・・などと。
タイトルとしては、文言自体が齟齬を来しているのですが、いまだ未整理のままの提示であり、物書きの楽屋裏の公開ですね、めったに致しませんが。

親子関係の歪みが、いかに人の性格と人生に影響をふるい、また
体調を狂わせ、病気まで作り出すか・・・・・このところ
私の呼びかけに応じて非公開でいただく体験を読ませて頂きながら
考えます。

それら個人的親子関係と、韓国という一国を「心の傷」という
一語をキーワードに結び合わせられれば
新しい切り口の韓国論、日韓論になり得るかと、ふとまだ妄想段階です。
直の結びつけは難しいな、と思いつつ。

心因性の病気を抱え込んでいては、韓国の国家としての成長は
頭打ちであり、ひょっとしたら衰退の基ではないかと思うのですが、
余計なお世話と怒鳴り返されるのがおちでしょう。
お前の国はどうなんだ、とも。

母を憎むあなたへ 2

$
0
0

非公開指定でコメントを読ませて頂き、お返事を書いたのですが、狭いコメント欄に
書き込むには長文過ぎて、こちらでお返事させて頂くことに致しました。
コメ欄の気安さで、さして推敲もしない打ちっぱなしの雑な文章で
あること、予めお詫びしておきます。

 

04-23 23:02:24 非公開の方へ

 

中絶をしたかったのに、ということですね。お母さんの発言。

中絶したかったのに出来なかったから、しょうがなくあなたを産んだ。

 

これは相当に人非人な発言です。(お母さんサイドで考えればその感情を全く理解できないこともないのですが、決して、まして子供に言ってはならない言葉があります)

中絶といえば、言葉のニュアンスがまだしも柔らかくなりますが、
行為としての実質は「あなたを殺したかったのに、時機を過ぎてて
殺せなかったのよ」という意味です。

胎内にあるか外にあるかだけの違いであり、生命であることに
変わりはありません。

世の中には中絶せざるを得ない、強姦などの状況もありますが
あなたのお母さんの場合は、妊娠してはいけない体での、
単なる不注意妊娠です。少なくとも2度めは。
自分と相手(お父さん)の婚前交渉時の
2人の共同不始末を、罪もない娘にぶつけるんじゃありませんよ、
とあなたのご両親には言って差し上げたいのです。
今でもいいから、せめて御ふたりとも床に手をついて
謝りなさい、と。それだけ酷いことをあなたのご両親は
あなたに対してしたのです。

 

お母さんは成熟した大人としては、常識を逸脱していらっしゃる発言です。ひょっとしたら、自らを苦しめたあなたにそういう形で(無意識の)復讐をしたような気もします。それはそれで人として最低です。

 

あなたは十分にお母さんに対して怒る資格があります。あなたには、いっさい非はありません。

 

お父さんも最低です。大体、避妊をせず2度も望まぬ、してはならぬ妊娠をさせた自分は何なのか。叩くなら自分を叩きなさい。

 

・・・・・と、人様の親をそしるようなことを敢えて申し上げました。どんな親でもあなたにとっては親なのですから、申し訳ありません。ただ状況を正確に掴んで欲しかったのです。自らを許すために。

胎内にあるときから、幼児期・・・・と口には出さずとも否定的な思念を浴びせかけられ続けてきた子は「自分が悪い」と思い込みます。毎日その思念を
刷り込まれ成長します。

 

優しい普通の人達の心にも、時と場合によって、悪魔は棲みます。

 

親戚の人たちも悪魔です。

悪気はなく、ただその発言が子供にどういう心理的負担を与えるのか無知なのです。他は善良な人たちなのでしょう。

それに、ひょっとしたら親戚には美談として伝わっているのかもしれません。命をかけてあなたを産んだ、とあたかもそれが親としての愛情だったのだと。実は婚前の、欲望に流された挙句の避妊無しの衝動性交、堕ろしたかったのに、時機を逸していた、という事実は伝えられてないのかもしれません。
もしそうなら自己正当化しつつ、あなたを悪者にしていますね。

あるいは、人としての良心とエゴとの間で揺れ動いているうちに、時機を逃したのかもしれません。

 

後者ならまだ救いがありますが、ただいずれにしても、子供には絶対言ってはいけない事。

 

妊娠してはならないのに、お父さんもお母さんもその場の欲望に流されて、あなたが出来たわけでしょう?自分たちの責任ではないですか。それも、避妊抜きの欲望発散で、2度までも。それを棚に上げ、娘に手を挙げるとはゲスですよ。

 

・・・・・と敢えてまた言ってます。あなたに自分自身を開放して頂きたいので。

 

心因性に関する適切な本があるかどうか知りません。

探せばあると思いますが。

あるいは、心のケアに読む本ですか? それなら親による虐待、とりわけ母親が娘へのそれを綴った本が出ていると思います。それらの人たちと体験を共有することもいいでしょう。

 

おそらくあなたはこれまで、お母さんがよもや自分を言葉の暴力で虐待していたのだ、という自覚がなかったのではないでしょうか。悪いだけの思い出でもなく、楽しい思い出もくださったのでしょうし・

お父さんもお母さんに加担しての、児童虐待だと私は思います。恥を知れと申し上げたい。

男親としては最低です。本来娘を守るべき立場にありながら、手を上げるとは。

 

・・・・・とこれも、ご両親に対してあなたの憎しみをかき立てるために、申し上げているわけではありません。

あなたは、いっさい悪くありません。とそれを、お伝えするのが目的です。
お父さんとも、たぶん悪い思い出ばかりではないでしょう。

 

自分でさほど自分を責めている自覚はあるいはないかもしれませんが、胎内から幼少期にかけて浴びせかけられた悪しき感情を、鋭敏な感性の時の子供はしっかり受け止め、自分が悪かったのだと思い込んでいます。いまだあなたの「内なる子」は、そうやって自分を責め続けています。表面意識ではそうでなくても(怒っていても)、潜在意識下では自らを責め続けています。その潜在意識を自覚することが、解放への第一歩かと思われます。

 

自我がまだ確立していない時期の子供は、120%親をかばうのです。
どんなに叩かれても、お母さんは悪くない、ぼくがいけないんだ、と
言います。

 

末尾に、あなたの現在のご病気が親や親戚からの言葉の(無意識)虐待による心因性に由来するものかどうか、私には解りません。

ただ、心にある傷を客観的に見て、自分を解放してあげることは、今とても大事なことでしょう。

 

どうぞ、自分を可愛がってあげてください。

以前書いた朝ドラで、加藤治子さんに母親を、いしだあゆみさんに
娘役をやって頂いたことがあるのですが、その中の母親のセリフ、

「親に捨てられた子は、自分で自分を育てりゃいいいのよ」

なぜお母さん、私を育ててくれなかったの、という娘の
セリフがその前にあったのかもしれません。その記憶はないのですが、
このセリフだけは、いしださんが「ドキッとした」と言ってくださったこともあり、
覚えています。

 

 

母を憎むあなたへ 1 はこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/68c83bc567a6a80d13616f0c2f3a968a

母を憎むあなたへ 3

$
0
0

言葉の暴力も含めて、母親から幼児期から少女期にかけ、そして
大人になってからも受け続けた虐待について、体験をいまだ
コメント欄に頂いています。

公開を望まないコメントなので、お応えも致しづらくただ漠然と
お返事を差し上げているだけですが・・・・

一つ、母親からの虐待について頂いたコメントで、これが虐待、と
定義できるごときキーワードを幾つか拾えたので、私なりの
考察も含め、整理してみます。

被虐待者の特徴。おとなになってからも。

■心が重く晴れ晴れとせず、この世を生きづらく感じる。

■実は腹から笑ったことがない。(本人、自覚していないことが多い。
何らかのきっかけで、一瞬母親からの影響を脱した瞬間、
笑って、その笑いが純粋であることに気づいて、自分でびっくりする
ケースが有る)

■親から否定され続けてきた結果、自己肯定感が低い。

■親の虐待という現実から目を背けて来た結果、他の現実とも直面できず、
どこか現実感が希薄な生を生きさせられている。

■不安定で悪しく女性的な母親の、感情のはけ口に使われてきた。

■とりあえず世間的な基準から見れば、大事に育てられたのに、
何かしら、まっとうな愛情を得たことがない・・・・という心の飢餓感がある。

■愛し愛し合える伴侶と巡りあったら、その飢餓感が癒やされる、と
信じていたが、いざ巡りあってもそれはそれ、満たされながら
親への飢餓感はそのまま残っている。相手が親としての包容力を
持てる人なら、多少は補えることもある。

■ある人間を一見正当に批判する時、対象は男女問わずだが、女性に対してより批判がきつく、その批判には個人的憎悪さえ伴うことがあり、これはその女性に母親を重ねている。

■男児の場合は女性の肉体に、長じても嫌悪感を抱くことがある。「あの、アマの腹の中にいたかと思うだけで、吐きそうなくらい気持ちが悪い」と顔を歪めた、ある50歳代の知識人の方の告白を聴いたこともある。

・・・・・・・・・・とりあえず、現時点ではこんなところです。全ての要件が
被虐待者にあてはまるというわけではなく、特徴を何種類か
抜き出してみただけのことなのですが。

スピ系ヒーリングに走り、インナーチャイルドの癒やしを試みる
人も多いのですが、上手くいったためしを知りません。
それほど根深いのです。またヒーラー自身が被虐待者でないと、
気持ちが解らず、ごく浅い理解しか持てないので、かえって
「誰にも理解してもらえない」というトラウマを持つことさえあります。
自らが虐待された体験を持たぬまま、薄っぺらく「許し」などを
説くので、許せないそのことに葛藤が更に生じたりします。

自分が虐待してきたのではないか、というお母さんからの
書き込みを頂戴することもありますが、いずれも虐待などと
いうレベルではありません。たとえ手を上げようと根底に
愛のある無しが分かれ目なのであり、また反省し自らを
省みる親は、虐待などしません。
虐待親の顕著な特徴の一つは、「私は悪くない」と思い込んで
いることです。「あなたが、いい子ではなかったじゃないの」
「私の至らないことばかり批判する。よくしてやったことには
全く触れず」

いい子も何も、ただその子が胎内にいただけで、
またこの世に存在していただけで、勘に障って
自分が叩いたり、言葉の暴力で傷つけ続けたり、
無視したりしていたことには、思いが至らないのです。

中には、母親に捨てられた状態で祖母に育てられ実はその祖母が
精神的虐待者であったことに気づいた人もいます。そして
後にその祖母とともに母親に引き取られるのですが、今度は
母親から虐待を受けるという二重の被虐体験で、心がねじれた
人もいます。

虐待というと、死に至らしめるような、報道に見る派手なものを
想像するせいか、日常に潜む虐待を虐待と認識しない
親子も多いのです。親は尚更、自分が虐待していることに
気づきません。

そして、親がその子の一生を壊し続けます。

普通、何も考えなくても子には親が持つ自然な愛があります。
だから少々間違ったしつけであっても、手を上げても、無問題なのです。
子供は実に正確に親の心を反映するので。
だから虐待親のほうも、心に病理を抱えています。
概ね、虐待は気づくまで親から子へ、子からまた次の
子へと虐待の連鎖が続きます。

親を許す必要はありません。というより、ほぼ不可能です。
生涯懸命に努力しても、親との和解、親への許しが
不可能であることに、晩年静かに思い知る人も多いのです。
それよりは、まず親を愛せない、親を憎み続ける自分を
許してしまいましょう。

憎しみを向けるには、また人に打ち明けるには親が高齢になり過ぎ、
また肉体的に弱り、それでも許せずなまなましいほどの憎しみから
抜けだせないでいる自分を責める人もいますが、必要ありません。
それだけ酷いことをあなたの親はあなたにしたのです。
許せない自分を許してあげましょう。晩年に至るまで、親に
あなたの人生を台無しにされることはありません。

そして周りに虐待の体験を話す人がいたら、批判がましいことは言わず、
またアドバイスも要らず、黙って聴いてあげるだけでよろしいのです。
そういうことをあなたに告白するというのは、あなたに心を許した証ですが、
そのあなたから批判する、あるいお説教するという形で突き放されると、
その人はより傷つきます。黙って頷いていればそれだけで、十分です。
また告白する被虐体験者は、相手をじっくり見極めて行わないと、
まずもって、あなたは世間の常識的反応に更に傷ついていまいます。

世の中の大抵の人達は、子が親を激しく憎み続けるという現実を
受け入れがたいので、何かしら告白者を批判、否定しがちなので、
それは、そう受け止めるほうが実は健全なのですが、相手は
心の根深いところで病んでいる人たちなので、親子関係における
「健康者」の言葉は通じません。

面白いことに、被虐待者の告白に理解を示すのが男のほうに多いのです。
女性が概ね否定、批判します。

コメント欄に書き込まれるのは、母と娘との関係が圧倒的に多く、父親や
兄から受けた性的虐待(これも多い)については書き込まれません。
タイトルを「母を憎む」としたせいでしょうか。
むろん、父親や兄からの虐待を書いてくださっても結構です。
私は黙って聽かせて頂きます。

本当は、虐待された親なり、兄弟なりに直接ぶちまけて罵り
泣きわめくのがいいのですが、それは概ね出来ません。
次善の策で、手紙を書いても心の開放の一助にはなり、
手紙は焼いて捨てていいのですが・・・・そういう形でも
虐待と向き合うのがつら過ぎて出来ない人も多いのです。

というわけで、コメント欄に長文でもいいし、何度でもいいので
思いの丈、吐き出してください、受け止めますと提案しています。
《非公開で》、とタイトル欄にきちんと言葉で指定してください。時折、
判断に迷うことがあります。

公開という形で書いて、自分だけではないという体験の共有も
解放の一助にはなると思いますが、公開非公開はどうぞ
お心のままに。

 

陰気・・・・・ 新東京五輪エンブレム

$
0
0

私は、もともと東京開催には多大なる疑念をある理由とともに抱いているのでまったくもって、東京五輪は「個人的には」歓迎しないのですが・・・・

先の五輪エンブレムの陰気さが嫌われていたのに、また陰々滅々の
デザインか、と少々驚かされました。

http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/22823/result

「何のために、民意を確認したの?」と問われていますが、当然ですね。「またしても出来レース」と言われて、選考委員長が
声を荒げて反論していますが、よりによって最も不人気であったものが、すんなり決まったことに対しては言われても仕方がないということです。

発表前に、A案採用という報道がなされたことに疑義を呈しているのは、外国人記者で彼もまた出来レースへの疑いを抱いているのでしょう。

出来レースとは申し上げていません。
「疑われても仕方がない状況」である、ということです。

私も極めて皆さんと同じ平均的順序付けをしていただけに、いちばん敬遠されていた不人気作品を、なにゆえわざわざ選ぶのか、甚だしく疑問に思います。

最終候補にならなかった桜や富士山など、もっとも日本らしい意匠をなぜ候補から外すのかも解りません。

好みは無論個人個人であるわけですが、しかし桜は国際的に評判が良かったし、朝顔も多くが好んでいますね?

今回選ばれた「組市松紋」は、浴衣や日本手拭ならいっそ単色で江戸前の粋というもので、よろしいのではと思いますが、これがお祭り用ですか?

・・・・・・と、もともと五輪開催に疑念付きの私は、さい先悪い意匠として
滅入りました。とりわけ熊本もある時期だけに、なんで希望のある意匠にしないのだろう?と。

《デザイン自体の優劣ではなく》、「場にふさわしいかどうか」という
ことだけなのですが、心が浮き立たないどころかお仏壇の
鉦を鳴らしたくなりました。

もともと開始時から、よろず転倒続き、さい先悪くスタートしたところへ
「またかい」とつい言いたくなるエンブレム。

東京五輪の結果の悪さを、潜在的に察知して暗いものばかり選んでいるというのでなければよいのですが。縁起わる・・・・・とつい呟いています。

こういう単色を新鮮に感じ、推す人もいるのだろうということは
理解しています。ただ、このてのものって「多数決的コンセンサス」を
先行させたほうがよろしいのでは、と思うのです。

東北大震災すらいまだ復旧ならぬうちの招致でした。それもスッキリと気持ちが収まらない要因ではありましたが、言えばもっとあります。
そこへ持って来て熊本のことがあるので「それどころか」という
気分なのです。五輪を目標に命を燃やす選手を思えば
声も小さくなりますが、しかし五輪はなにも災害続きの
日本でなくてもよいわけで。

都のお金としてプールされている尖閣資金が、平昌五輪の不始末の
尻拭いと援助に横流しされぬよう目を光らせておきたいと思います。
機構上あり得ないのでしょうが、しかしいずれは何かに使わないと、
利息が僅かながらつきつつ永遠に東京都の金庫に収まった
死に金。こそっと横流しを懸念するゆえんです。
石原さんも、尖閣保全を旗印にお金を寄付を募った責任上、尖閣資金については一言あるべきでしょう。

鯛と韓国男の色気について質問なんです

$
0
0

今日は2つほど、女性に意見を伺ってみたいことがあるのですが・・・

鯛を食べ続けて、はや10日。茶漬け、寿司、かぶと焼き、丼と
品種は変えながらも連日。時にはかぶと焼きと茶漬けと寿司と
三種類の鯛を一食とすることもあります。

たまには、別のものを食べに行こうとスマホ内の万歩計の数値を
上げるべく延々歩いて、天麩羅屋の名店に。

ところが、

メニューを見れば本日の定食「鯛のかぶと焼き」とあるではありませんか。
大エビ天丼と言いかけた口が、「鯛」と言ってしまってました。

鯛のかぶとって、言ってみれば刺し身や寿司に使った「残り」なんですが
(でしょう?)、さすが名店の鯛かぶと、見事でした。

で、質問。私が同じものを食べ続けるヘキがあると言ったら、
ある女子から「それ男の人しかやりません。女は同じもの
食べ続けません」

え。そうなんですか?

あともう一つ質問。

「愛の渦」という映画をDVDで見終えたばかりなのですが・・・・
これ、監督や脚本家を志す人には教科書みたいな映画です。
場所は、ほぼ乱交部屋のみ、せいぜい1階と2階を移動するだけ、戸外は
冒頭と最後、ちょっとだけで、他は2時間ほぼ全部、「ヤリ部屋」なのです。
そして役者もほとんど裸のみ、衣装は全裸かバスタオルという
恐ろしい映画です。

こんなシチュエーションで飽きさせず見せる腕力が凄い。
役者もです。もともと舞台劇らしいのですが。
そういえば韓国映画「王の男」も、イ・ジュンギ話題の流れで
再見してその名作ぶりに感銘を受けたのですが、これも
舞台が原作。だからさして場は変わらずほぼ宮廷内のみで
2時間を見せます。

で、ふたつ目の質問はこれからなのですが・・・・

「愛の渦」で、何気なく見ていた男優がいて、主人公でもないし
何となく、リアルな演技をする人で、どっかでこの顔見たこと
あるかなぁ程度で見ていたのが、だんだん、だんだん
目が釘付けに。

なんとなれば、発散する色気が凄いのです。それを感知するまで
私のアンテナは時間を少々要したのでありますが。

新井浩文さん、とまずお名前を調べ次に略歴を見たら、韓国の方でした。

うーんやっぱりね、とうなったのですが画面でただごとならぬ
色気を滴らせているなあ、と後で調べたら韓国出身であるということが
よくあります。

海外で日本名を名乗る男に会って、何となくその仕草や雰囲気に
ただごとならぬ色気があり・・・・「?」と思っていると実は
韓国の男。

新井浩文さんは、Wikiから更に芸能ネタまで探ってみたら
なんでも、前田敦子さんと共演の深夜ドラマで、その
ただごとならぬ色気に、女たちがざわめいているとか、私の目に
狂いはなかったわけです。

こう言っちゃなんですが、タッパはあるのですが、韓国では
必須のモムチャン(肉体美)でもなければ、美貌でもなく
一重の地味な顔なんです。それが動いて喋っているうちに、
スタスタと滴り落ちてくる色気。

こりゃあ、なんだ? と思うわけです。

この色気、どこから来るんですか? と女性の方へ。
嫌韓だから韓ドラも韓流スターも、在日俳優も認めませんとか
そういう幼い狭量なご意見は別に、まともに
考察してみたいのです。

岩城滉一さんもお若い頃は、やはり色気が尋常ではなかったですね。
日本の男には決してない色気。これ、何なんですか?

日本の役者でも若手に一人、「?」と思う人はいなくはないのですが
彼の本来の国籍を知らないので、ひょっとしたら公表していないかもしれず、
名は控えます。サッカー選手にも一人います。
イケメンとかそうでないとか、ほぼ関係なくある特有の色気。
昔は「釜山港へ帰れ」のチョー・ヨンピルさんが、小柄で
ハンサムでもないのに、色っぽかったですねえ。

あと今思い出したのが、申し訳ないのですが猿系の顔をした(悪口では
ありません、猿系好きなので)ロック歌手、英国? だったかな。
ステージを真ん前で見たことがあるのですが、相当の年齢に
なっていた時ですが、不良少年のようでそして色っぽいこと、色っぽいこと。
かと言って、韓国男の色っぽさとは種類が違うのですが。
ミック・ジャガーだったかもしれません。ファンには叱られそうですが、
不細工の部類でしょう? でも色っぽくいい男オーラなんですよ。

男の色っぽさってどこから出てくるのか。どういうしぐさに感じるのか、
女性の意見を知りたくて。

日本人で色っぽい男って誰?(実は半島ご出身という人は除いて)
いやぁ・・・・いるかなぁ・・・・・?

日本を壊したい貶めたいのか、外務省

$
0
0

ひたすら鯛を食べ続けています。鯛のかぶとは、塩焼きばかりだったので
かぶと煮を食べさせてくれる寿司屋に行ったら、メニューから外されていて、
でも念のためと訊いてみたら「真鯛と、きんめ一尾ずつあります」との返事。

やれ嬉しや、ときんめを頼んで、出てきたらびっくり、豊満なかぶとが
ニ尾ぶんも、でーんと。おそらくメニューから外したことで、頼む客が
激減、たまたま「余っていた」と想像。

寿司屋に来て寿司頼まぬのも何ですんで、寿司は頼んだのですが
実のところ、きんめのかぶと煮、肥えて身がみっちりのだけで満腹なのでした。

ということで、連日の鯛食はほぼ2週間続いたところで、小休止かなあ。
でも旬はもうちょっと続きそうなので、日にちを置いて食するかもです。

さて、下記の画像、かつての慰安所に掲げられていた看板で、こまごまとした
規則が書かれています。中韓が主張するように暴力で駆り集めた性奴隷が
事実なら、「受付で支払いを済ませ、入場券と衛生サックを受け取って」
「風紀を乱さぬよう」などなど、こまごまとした規則は要らないですね。

韓国の捏造性奴隷映画「鬼郷」で描かれたことが事実なら、
用済みになった慰安婦は集団で焼き殺し、次のいたいけな少女を
駆り集めればよいだけの話でしょう。

当時の韓国に、性奴隷駆り集めの目撃者は一人もいません。
20万人もの性奴隷とやらが、誘拐されたそうなのですが。

「慰安所規定」を読むに、現代の風俗店とどこが違うのでしょう。もしそれをしも女性の人権侵害と言うのなら、現在3万人とも言われる韓国の売春ビジネス従業者の女性たちを韓国政府は、早急に救出に来ていただきたいものです。
今日本に梅毒が急増しているそうです。韓国人性ビジネス
従業者のせいにしてはなりませんが、しかし得る情報によれば
韓国人売春業の女性は、客を呼ぶ手立てにゴム無しを売りに
しているとか。買う男もしょうもないのですが、女房や彼女に移すなよ、
ばかたれ。買うなら日本人にしろ、とこういうことを言うと叱られそうです。

中国は今度慰安婦20万人を更に増やして、40万人としてユネスコ登録へと持っていく構えで中国が本気出したら、というより佐藤地ユネスコ大使に代表される日本のヘタレ外務省、というより反日勢力に加担するごとき
外務省は、またやられてしまいます。

やられることを、歓迎さえしていませんか。

という問いは大仰でしょうか。

いいえ、GHQの日本弱体化政策を受けた外務省の体質は
戦後この方、ある意味堅牢に変わってはいないようです。
まっとうな愛国者は追放され、GHQの意向に唯々諾々と
従ってきた小和田恒氏のようなタイプの方が、出世階段を
駆け上がっていらした、その体質はいまだそのままであるように
見受けます。また「ある勢力」もしっかり根付いて居座っていますね。

国連がしょせん戦勝国連合であり、基礎を反日に置くごとく
外務省もまた、日本と日本人優先の組織では残念ながら
ない、と言わざるを得ません。

国民の多くが気づいて厳しく声を上げるまで、ずっとこのままでしょう。

他ならぬ外務省が海外の日本毀損勢力と結託しながら、
日本と日本人を貶めて行き、慰安婦=性奴隷の嘘は
事実として世界に広められ定着してしまいます。

外務省はそれを食い止めるどころか、協力者です。

と私ごときが言っても説得力がなければ最新号の週刊新潮における
櫻井よしこ氏の連載記事をお読みください。

「外務省こそ元凶」の小見出しで、元衆議院議員の杉田水脈氏の
言葉を引用しながら、外務省の反日性について書かれています。

国連本部に集う日弁連など反日的NGOと結託して、慰安婦も反日的
形で取り上げている、と。

*NGO=non-governmental organizations非政府組織

記憶遺産登録における、反日勢力の捏造と戦うのは本来外務省ですが
彼らにそれをやる気は毛頭ありません。どころか協力体制にあると
櫻井氏は指摘します。

「外務省こそ歴史問題の元凶だとの思いを深くする」というのが櫻井氏の
記述の結びです。

反日国連と結びついているのが、反日的体質の外務省での
出世頭、小和田恒氏であるという事実を国民は、直視しておくほうがよろしいでしょう。

天皇陛下のタイ国における晩餐会でのご挨拶文の中、タイ側は不要とした
お詫びと反省を作文でわざわざ入れ込んだのも小和田恒氏であることを
指摘しておきます。しかし、その時反対した気骨のある立派な日本人も、
外務省にはいらしたと、それは公平性を保つために書いておかねばなりません。相手が要らないという反省と謝罪を工夫して入れ込みたいとは、
一体どういうことなのか、国民はじっくり考察する必要があるでしょう。

かつて、韓国人称揚、日本人貶めの日本映画が作られました。
タクシーがある青年をはねる。すると乗客も運転手も、「なんだ
韓国人か」と吐き捨てて、倒れた青年をそのまま置き去りに
走り去るのです。日本で、この日本で、そんな人非人なことが
あり得ますか?

そんな映画に(たぶん騙され)協賛してお金(3千万円)を出したのが文化庁、そして事前に内容を知りながら、試写会に天皇皇后両陛下をお呼びするお膳立てをしたのが外務省です。

実際にあったことをベースにしたというのが売り文句でしたが、
タクシーが置き去りにしたという映画での描写、事実は
日本人乗客が降りて、韓国青年を介抱しているのです。

また混雑する駅のホームから転落した日本人を救おうと
飛び降りたのは韓国人青年だけ、日本人たちは知らん顔していた
と映画では描写されていますが、事実はホームでの人はまばら、
人の転落に気づかなかったのです。

そして、助けに飛び降りて命を失ったのは韓国青年だけではなく、
日本人カメラマンがいたのですが、それは描かれてません。

なんでこういちいち、嘘を描くのか。それも日本人がいかに
冷たく差別をする人種であるかを描くために。
大阪の在日の方々が制作協力した、慰安婦映画
「鬼郷」も、実際にあった物語を看板にしかし内容は
捏造で、最近「ヘイトスピーチ」としきりに言われますが、
こういう事実にもとる話を、事実・史実と銘打って映画を
世に出すことなど、日本人への最大のヘイトスピーチでは、ないのですか?
日本人は、いかに捏造で斬られても叩かれても、言い返すことも
してはいけないのですか? 悪い戦争を始めた永遠の悪者だから?
と言っているのは中韓のみですが。感謝する国があるのが実情です。
と言って、私があの戦争を全面肯定しているわけでもありませんが。

命を投げ出してくれた韓国青年には感謝致しますが、しかし
映画はいかに日本人が差別をして、その反面韓国青年が
いかに美しい魂を持って日本人を救おうとしたかという視点で
描かれます。しかし事実は上記述べたとおりです。

週刊誌報道を丸呑みするわけでもありませんが、このところの
ある週刊誌は大変すぐれた真実報道をしていますね。
その週刊誌報道によれば、天皇皇后両陛下が韓国をお詫び訪問なさりたいと
表明なさっていらっしゃるとか。

竹島という領土を不法占拠され、捏造慰安婦で私達の
先祖が侮辱されている時に、何をお詫びなさるのか私などは
理解に苦しみますが、ひょっとして外務省お膳立ての
日本下げ映画をご覧になったようなこと、そのたぐいの
積み重ねが多くあってのことではないのでしょうか。
ないことないこと、耳に吹き込む輩がいそうです。

末尾にいまだ腹に据えかねていること。慰安婦の強制性や数まで
でっち上げて日本を貶める中国になにゆえ、民間の緑化団体とやらに
100億円を進呈するのか、自民党の二階俊博氏に一生問い続けたいと思うのです、この方一体どういう方なのか、と。日本のある種の政治家の
典型的一例として。
所用あり、議員会館を尋ねた折エレベーター内に各議員の名前と
室番号を記したプレートが貼り付けてあるのですが、思わず
そのプレートを睨みつけた幼稚な私なのでした。地元にとっては
よき議員さんなので当選するのでしょうが。

日本がODAの形で、莫大に渡して来た中国が熊本の震災に
いくら寄越したか知らないのですが、東北大震災の時の
資料は手に入りました。

 

アメリカ:29億9千万円

 

台湾:29億2千万円

 

タイ:20億5千万円

 

オマーン:10億7千万円

 

中国:9億1千万円

 

アルジェリア:8億3千万円

 

イギリス:7億8千万円

 

ベトナム:7億8千万円

 

香港:7億2千万円

 

フランス:6億1千万円

・・・・・・・言わずもがな中国はGDPで日本を追い越しています。豊かとはいえないタイの善意の半分にも及ばない。一方台湾はあの小さな国で毎度、ありがたさに涙がこぼれんばかり。

そして、これも日本がせっせと援助してきた韓国は影も形もありません。
雀の涙の義援金を寄越して「韓国が日本を助けたのに、恩知らず」と
後で罵倒するのです。罵倒ならまだしも、震災をお祝いします、と来る。
善意は金額では測れないと言うのは、原則論です。しかし
中韓に対しては、つい言いたくなります。これなら、くれないほうが
いっそスッキリするよ、と。半端な援助は、後で罵られるぐらいなら
要らない、やめてくれ、と。

こういうことを、せこせこと言い立てる私が狭量なのでしょうが、
こういうことに関して日本人は太っ腹でいてはならないと思うのです。
日本が宿痾のように抱え込んだ、ある歪んだ構造には目を留め
考えて頂きたいと思うのです。

鯛の話で始まり、本当はのんきに鯛でおさめたい(オヤジギャクです、すまそ)
のですが、諸事剣呑でぎすぎすとしたことを書いてしまいます。

のどかにいたいですね。

 


着物なし、華やぎの失せた園遊会

$
0
0

昨日、雨の中神田明神下のあさ野さんへお昼を頂きに
出掛けました。

私の行きつけの着物のメンズショップ、Y.・・・・・の
スタッフも、来るとのこと。私が店で紹介しているのですが。

その話から着物に話題が及び、いつしか園遊会のことへ。
やはり皇族の方がお着物を召さないと、華やかさが・・・・
というごとき話題になったのでした。

一度、ゴルフ帰りの華子さまを割烹料理店でお見かけしたことが
あるそうで、普段なら護衛が一杯で近づけないのだけど、
その日は他に客もいなかったので、入れてもらえたとのこと。

華子さまは、日本酒をくいっくいっといい飲みっぷり、
食事もさくさくっと済ませられ、姿勢よくすっくと立ち上がられ
一瞬の風のように、立ち去られたとのこと。

亡き上原謙さんが常陸宮さまともお付きあいがあったので華子さまの
気風の良さについては私も聞き及んでいます。
時に伝法な言葉遣いもなさるとかですが、あさ野のお母さんいわく
「気品のあるお方でした」
私は「あちらは、本物のお姫(ひい)さんですものね」と返したのですが、
ご挨拶も小笠原流と言うより、皇族本来の
立礼で毅然となさっています。和服を召されても、すっきり、
洋服でも、しゃっきり。民間の女性のようなモデルもどきの
シナをくねくねと作られないのも、媚びず皇族然となさって
いらっしゃいます。

巷では、妙な外国風挨拶が出回っていて鼻白みます。

それにしても、洋服だと園遊会から華やぎが失せ心が浮き立ちませんね、
と話はまたそこに戻ったのでした。

お一人、着物を召されるのが不得手なお方がいらっしゃるので、
その方が目立たぬよう、皆さん洋服を御召しなのかな・・・・と。

宮中の衣装コードに関しては、皇后陛下の鶴の一声で、皆様それにおならいだったと思います。

秋が洋服であったら、春は和服というほぼ交互体制が従来でした。
(年によりイレギュラーなことがありましたが)

率直にやはり、洋服のほうが格落ちするなあ、と思います。
招待客側の和服を拝見していると、そう思うのです。
着物の凄みというのはその華やいだ存在感もありますが、価格をいえば
身も蓋もありませんが、ダイヤをあちこち縫い付けるなど奇橋なものは
例外として、一千万円の洋服などいくら贅を凝らしても
ありませんが、着物は天井知らず。

そういう豪奢の凄みに加えて、まとうのに手間暇がかかる。だから
礼装として格も一段上がるのですが。

気付けが簡単な男物を着ている身なので、偉そうには申せませんが
男とて、気力体力がないときは着物は億劫です。
それは判るのです。女性の着物なら尚更に、とも。

しかし・・・・年に2回、功のあった国民を招いてのいわば
皇室がホスト側の公的イベントで、私的な場ではありません。
招待客にとってはほぼ生涯に一度きりの晴れの場です。
ご自分が楽をする場ではなく、少々おつらくとも無理をする場です。
そんなに何時間も続くわけでもありません。しかも、20分程度で
退出なさっていらっしゃるし・・・・

日本の伝統を最も守って頂きたい皇室の一画で着物が
消えていることに残念な思いを抱くので、私が酷なことを
申し上げているのでしょうか。

皇室からの注文で、たとえば御地赤他、命脈を保って来た
着物のお店もあるのです。それが皇室から着物が消えると
彼らも立ちゆかず店を閉ざし、伝統が息絶えます。

というごときことをあさ野のお母さんと喋っていたらお母さんが
「チャールズさんのお嫁さんに、エリザベス女王がもっと
きちんとするようにと、厳しく申し渡ししたんですってね」

唐突だったので、私はとっさに意味が解らず、

「ケイトさんのことですか?」と訊き返し、あさ野のお母さんは、
「ええ。あちらは厳しいのよね」と、そこで客が入ってきたので
話題は途絶えたのですが、あさ野のお母さんが言おうとしていたこと、
伝わりはしました。

被災地の方々が過酷な中、必死に生きていらっしゃる最中の園遊会
だったので余計、そのありようをぬるく感じたのかもしれません。
普通に暮らしていても、国民は経済の厳しい暮らし、対人関係の中、
つらきを耐えつつそれでも笑顔で懸命に努めています。
あさ野のお母さんや私のような感覚が一般的なのか、
そうでないのか、解らないのですが・・・・・・。
お可哀想と想いやる人々も多いのでしょう。

 

某賞の選考委員やらせていただきます

$
0
0

別に、事前に漏らしてはならぬ、というお触れ書きは頂戴していないのですが、
たぶん自粛したほうが良いのだろうと、具体記述は避けます。

某賞の選考委員をおおせつかりました。

発表したところで、それで私に付け届けがあるとも思わぬけれど、とりあえず
賞の公平性を保つために口をつぐんでおこうと・・・・・といささか実は
嫌味も込めて書いてます「賞の公平性」というのを、五輪関連の
コンペに向けて。

自慢たらしく聞こえたら恐縮なのですが、私はドラマ作品での受賞が
国内外でかなり多いのです。書き始めた昔から。
それで、有り難みが薄れ「もう、賞飽きた」などと不遜なことを
口走っていたことがあります。

しかし、自分が選考する側になり、それにまつわっていかに選ぶほうが
誠実に見て、論議を経て選んでくださっているのか解って見ると
今更ながら選んでいただいたことに、感謝しています。

メールの整理をしていたら、「芸術祭総覧」というのが政府の該当機関からPDFで送られて来てたのですが、こんなのです。

 

「わが家」への授賞理由です。自らの脚本に言及して頂いたこともそうですが、要するに演出、役者と全ての分野を褒めて頂いたわけで、それを嬉しいことに改めて思います。

授賞式後のパーティで、「脚本が素晴らしい」という声が聞こえたので、見たら青柳正規文化庁長官でした。(今年から他の方に変わられました)

青柳正規氏は、東京大学の名誉教授で美術史の専門家でいらっしゃり、そういう方の美意識のお眼鏡に叶ったことがひとしおありがたく思われました。国立西洋美術館の館長でもいらしゃると思います。

お褒めの声は私にかけられたのではなく、人様と語らっている声が
聞こえて来、社交辞令でないのが嬉しかったのです。
ああ、その作家さんならこちらにいますよ、とその後ご紹介を頂きましたが。

今まで選んでくださった方々への感謝の思いも込め、心して仰せつかった審査のお役を果たそうと思います。

ジョーカーでもなかった、トランプ

$
0
0

イロモノ候補だと思い込んでいたトランプ氏が、意外な善戦で
ひょっとしたら大統領になるかも知れず、となると
自衛隊の国軍への格上げや、核保有が認められるのかと
期待する向きもあるようです。

日本はアメリカ軍にカネ出せやらは、日本が軍隊持てぬように
GHQ憲法押し付けたのはそっちだから、と言い返したいのですが
無知ゆえに言っているのか、煽りで吹きまくっているのか
解りません。学歴はそこそこ分厚く、無知とも思えぬのですが。

「平和憲法」とやらがGHQの押し付けではないと主張する人たちが
いますが、当のGHQが押し付けであると認めているのは
ご存知でしょうか。

それは、GHQが日本のマスコミコントロールのために作成したプレスコードに
明記されています。

 

 

http://www.lib.umd.edu/prange/about-us/civil-censorship-detachment

 

江藤淳氏の調べによると、プレスコードは次の30箇条です。アメリカ国立公文書館で見つかった資料「削除と発行禁止のカテゴリーに関する解説」によります。

連合国軍が、日本のマスコミ統制のために設けた禁止事項が以下です。

 1 SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
 2 極東国際軍事裁判批判
 3 GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
 4 検閲制度への言及
 5 アメリカ合衆国への批判
 6 ロシア(ソ連邦)への批判
 7 英国への批判
 8 朝鮮人への批判
 9 中国への批判
 10 その他の連合国への批判
 11 連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
 12 満州における日本人取り扱いについての批判
 13 連合国の戦前の政策に対する批判
 14 第三次世界大戦への言及
 15 冷戦に関する言及
 16 戦争擁護の宣伝
 17 神国日本の宣伝
 18 軍国主義の宣伝
 19 ナショナリズムの宣伝
 20 大東亜共栄圏の宣伝
 21 その他の宣伝
 22 戦争犯罪人の正当化および擁護
 23 占領軍兵士と日本女性との交渉
 24 闇市の状況
 25 占領軍軍隊に対する批判
 26 飢餓の誇張
 27 暴力と不穏の行動の煽動
 28 虚偽の報道
 29 GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
 30 解禁されていない報道の公表

 

 

青文字にした箇所で、私が言わんとする所は解るでしょう?
GHQ自身が、憲法の起草はGHQ(アメリカ)であると認めていますね。

 

GHQ検閲済の教科書でしょうか。「わが国土」という言葉が物悲しく感じられますが・・・・しかしまだ台湾は日本の所有であるという考え方もあります。

サンフランシスコ講和条約により、日本は台湾の行政権は放棄したが割譲の相手国はどの国とも言ってないので。大陸からの外省人以外は台湾の
人々は親日であり、というより日本人であると思っている人々もいて、早くまた日本人として生きる日を待ち望んでいる人々さえいます。

ドラマ作品で中国から招待を頂いて出掛けた上海の空港で、台湾の人々が
中国人でもない、外国人でもない税関に並ばされていたのを目撃、複雑な
心情を抱いたことを思い出します。

話が逸れました・・・・・

どう「平和憲法」護持派が強弁しようと、本家本元のGHQが憲法は自分らが書いた、と言い切っているのだから問答無用、通用しません。

日本国憲法ではなく、GHQ憲法です。

まだ二十代初期のユダヤ系女性、ベアテ・シロタ・ゴードンが起草に混じっていたことも事実です。人の国の憲法起草に、二十歳そこそこの女性とは、随分日本もバカにされたものです。馬鹿にされるのが敗戦国ではあるのですが。
この女性を持ち上げる人々がいて、それがGHQによる押し付け憲法を護りましょうと主張する人たちなのですが、皇后陛下がベアテ・ゴードンとお親しくしていらっしゃったのは、どういう心根からが理解できず、いぶかしいことに思いなしているうちにベアテ女史は逝かれました。九条の会の人々とのお交わりも含めて、私には理解が届かず、ことの良し悪しはとりあえず置いておいて、天皇陛下も政治にまつわるご発言「平和憲法護持」など・・・は、他ならぬその憲法で禁じられているのですが、どうも私などお心のうちが把握できないのです。
何をお考えになられていたのか、茫洋とした昭和の有りようを懐かしく
思うものです。皇室とはそもそも自己主張とは遠い存在であるという
思い込みが私にはあるのかもしれません。


トランプ氏の話に戻しますが・・・・・

原発は最終的には廃絶されねばならぬものですが、しかしながら韓国に原発が
あるうちは、原発事故の危険性が消え果てるわけではありません。
決して盤石とは言えない韓国の原発のほとんどは、日本海側に面して
建てられているので、いったん事故があれば放射能は偏西風で九州や、四国に
吹き寄せて来ます。

対馬と釜山との距離のほうが、福島東京間よりは近いのです。
原発廃止は世界で、少なくとも日中韓でせーので止めない限り、日本だけ
止めて、安全が保てるわけではありません。

原発の是非論で言うなら、私も「非」でそんなことは何十年も前から言ってますが、拙速な廃止は国力の極端な低下を招きます。
それと、大事なのは原発を廃絶すると日本は、核のハンドリングの技術まで
失ってしまうのです。

原発は「せーの」で世界一斉に廃絶しないと無意味です。
持てる国だけが持って、核廃絶を言われても説得力はありません。
現実、核保有が最大の強力な防衛力になってしまっている
現実が、残念ながらあります。

日本に自立を促すトランプ氏がもし大統領になったら、日本の意識も
変わらざるを得ないでしょう。となると自民党の党是である
憲法改正も少しはリアルに捉えられるようになるのかもしれません。

大体、自国の軍隊を持てない憲法に「平和」と被せるのが
欺瞞でしょう。先制攻撃を封じられた防衛は、防衛にはならぬこと、
領空領海を守っている自衛隊の皆さんが、身にしみてご存知のことと
思います。

紙に書かれた文言に、侵略を防ぐ力はありません。
現に竹島は盗られ、そこにまつわって日本人漁師が殺されたり、4千名近くが
朝鮮半島に拉致され虐待を受け、そして北朝鮮には多くの日本人が連れ去られ、戻っては来ません。

平和憲法で他から侵略を受けぬなら、なぜ各国莫大な費用を軍事費に回すようなことをせず、平和憲法を持たないのですか?
70年という長きに渡り、平和憲法を持っているのは、なぜ日本だけなのですか?
侵略を受けずに済んでいるのは、実は九条のおかげではなく、アメリカの
核による抑止力、要するに恫喝力です。

というわけで、私は非核三原則に対しても、自らわざわざ放棄を宣言することも
ないだろうと思うのです。核を捨てたから、どこも攻めて来ないか、
というと、それはあり得ないからです。いやむしろ逆なのではないですか?
核保有のアメリカが背後で睨みをきかせているので、侵略の不安を
さほど持たずに済んでいるだけのこと。

あたかもトランプ氏登場を見るに、日米安保も盤石ではありません。アメリカも自国を核の危険性にさらしてまで、日本を守ってくれることはしません。

平和憲法を日本国内で褒め称えるほど、各国が賞賛していますか?
腹の中で、ある国々からはほくそ笑まれているのが現実です。

核を持てとは言わぬけれど、持つ気になればいつでも持つぞという気概、知識と技術の研鑽は、自国を守るためには必要でしょう。

 

マスコミも、元GHQメンバーのベアテ・ゴードン女史を「憲法の母」と持ち上げています。現憲法は「GHQ作」なのです。

そしてGHQ施策は、日本を強く豊かにするために行われたのではありません。
その逆です。二度と立ち上がれぬよう両足を折って、精神的にも
矜持を持てぬ、マゾ史観の国に仕立て上げる事で、それは非常な
成功を納めて、現在に至ります。
表向きしっかりと建っているようですが、柱はシロアリに食い散らかされています。
そしてそのシロアリは、敗戦時にGHQが仕込んで行ったのです。

だが、かつてシロアリを仕込んだアメリカは、もういません。
日没に向かいつつあります。それゆえ、日本を頼りにして来ています。
かつては、黄色い猿と小馬鹿にしていたのが、実際戦闘で接してみると
仰天すべき優秀さ。それ以降、アメリカは日本をいかに無力化するかに
力を注いで来たのですが、状況は変わりました。

4月22日、X-2(ATD-X心神)の初飛行は、ステルス・先進技術実証機として
「蘇った日本、返って来たゼロ戦」として世界から賞賛・歓迎されたのです。
あの三カ国以外からは。

日本の戦闘機の開発と航空機の開発を禁止して来たアメリカが、もはや
もろ手を上げての歓迎です。

時代は急速に移ろいつつあります。というごときことを書くとあたかも
私が戦争を期待しているかのようですが、戦争など大嫌いですよ。
できりゃ避けたい。大方の皆さんと同じです。
ただ、現実を見るに安保法制案を戦争法案などと、侮蔑的に呼んで
否定できるような状況ではないことぐらいは、解ります。
戦争反対と叫んで平和が守れるなら、どの国も高いお金を
かけて軍備はしません。

 

核心外して、周辺ばかり。舛添氏追求の不可解。

$
0
0

不要に贅を尽くした外遊の中身や、公用車を使っての別荘通い、また
それを追求された時の舛添氏の、失笑を禁じ得ない回答ぶりなど、
これでもか、とテレビは詳細に叩くのに、そんなことが
些事に思えるくらいの一大事、新宿区の一等地を
韓国学校に貸すことには、一切触れられません。

あれほど、保育所がない「日本死ね」とまでも
政府を執拗に叩きまくっていた人々も
この件には無言なのも面妖なことではあります。

土地は韓国学校の一件以前に、ハンディを抱える日本の子たちの学校を
建てさせてくれと、都から要望が出ていたところです。
それを捨て置いて定員割れしている韓国学校へ無造作に貸してしまう、不自然。

日本人の都民のハンディを抱える子たちを捨てて、外国の子たちが優先される理不尽。

土地は、至近に防衛省、自衛隊の駐屯地、靖国神社、皇居がある
そういう意味でも、日本国にとっての防衛上の要地であり、単なる東京都の
土地ではありません。

韓国には貸与と言ってもいったん貸したら、ほぼもう戻っては
来ないので、実体は半永久ローンで売り渡したごときことでしょう。
知事が代替わりして、返してくれと言っても学校なので
「子供の学習の権利」など、韓国のみならず反日国連がうるさく
干渉して来て戻してはくれないでしょう。
取り返しのつかないことが、やられたのですが。

こんな大事なことが報道されず、周辺の些事ばかりが
つつかれます。それでも、つつかないよりはいいのですが・・・・
なんとも半端で割り切れない思いがわだかまります。

平昌五輪と東京五輪のちょうど端境期に、親韓というより
韓国大統領に対して飼い犬のような目をする舛添氏を
都知事候補として支援した自民党の思惑、その背後にいる人達の
思惑を考え、心は五月晴れとは行きません。

こういう時、ふと誰かの言葉を思い出します。「不当に幸福でいるよりは、
正当に不幸でいるほうが良い」

現実を見るのを避けてまで、私も明るくいようとは思いません。
日本は酷いことになっています。東京都の問題が単独でそこに
あるわけではありません。東京都は日本の雛形でもあります。
国民サイズで問題にすべきなのが、韓国学校へのと言うより
朴槿恵大統領要請に応じた“韓国への”土地貸与、
“実質献上”のごときことです。

靖国の風

$
0
0

靖国神社さんのぼんぼり祭に奉納の半紙が
随分前から送られてきていて、でも
手書き文字から遠ざかって久しく
酷い字を晒すのも、申し訳なく
自らも苦痛で、今年からもう
お役御免に願おうと思っていたのですが・・・

さっき重い腰上げて書きました。

覚書を残すような律儀な事をする
性格ではないので、ここをメモ代わりに控えておきます。

 

        靖国の風よ

        桜の梢を音楽のように

        吹き抜けて

        優しい花びらの雨を降らせておくれ

        兵隊さんたちの心にも

Viewing all 1913 articles
Browse latest View live