天皇とは何か・・・・という表題自体を不敬と捉える向きもあるかと
存じますが、不敬という言葉は皇室殲滅を図る共産党員に対して「不敬罪」があった戦前のこと。
そもそも尊崇の思いは自然に沸き起こるものであり、
強いるものではございません。
客観的事実を基礎に置く言挙げを封じ込めるなら、そのメンタリティは北朝鮮です。
「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」 と万葉集にあるごとく、この日本は言葉に出すことで生ずる争いを生み出すことを避けて参りましたが、敗戦後の日本はそれが通るおおどかさを喪って、久しいのです。
言挙げせねば、いよいよ当時のGHQが皇室含め、あらゆる分野に仕掛けていった日本弱体化政策がいよいよ最終段階に入ってしまい、その最終段階が現在の皇室のありようです。
小高い山のホテルにこもっている時、天皇とは何かという回答を
クリアな形で得たように思いました。
食を断ったまま初日に5時間かけて渓谷を歩き、それ以降も食べぬままホテルが建っている果樹公園を1時間、2時間と歩き回り清浄な空気と共に植物の放つエネルギーを浴びては、また地と太陽のエネルギーに満ちた温泉に日に3度浸かって、とても楽な斎戒沐浴を続けていたわけですが・・・・
最終日の5日目に、それまで厚い雲の陰に隠れて輪郭がおぼろであった富士山が、卒然とくっきり姿を現してくれました。
何度も拝している富士ではありますが、改めてこのお山が日本の核(コア)であり、神気を放っていることが解ります。
しばし、祈るような思いで見つめ、お山と自らのエネルギーを結んでから、温泉に身を浸しそこからも富士を仰ぎました。そして日曜日から始めて、6日目の朝に初めての軽い食を摂るためにホテルのカフェを訪れ、ウェイトレスの引いてくれた椅子に掛けたら、まさしく真正面に富士と向き合う席であったという念の入れようで、めでたいことでした。
7月に不食のジャスムヒーン女史のセミナーを4日間、みっちり受けまた
某月に今回と同じホテルに今度は10日間こもって食を断ち、思索を深める構えなので、私のエネルギーも多少はバージョンアップするかと
思われます。何らかの形で人様にまたお伝えしたいと願っています。
さて、天皇とは何かという大きな命題に答えるにはささやかで素朴な
直感でしかないのですが、「天皇とは富士山ではないか」と私にしてみれば
スッキリ納得した思い。
日本という美しい扇の要にあるのが天皇ですが、富士山も竜神の形をした
日本の中心にございます。
そして「いつも、そこにあるもの」として、雨の日も嵐の日もそこにおわす安心感が日本人にあります。存在そのものが、日本人の霊性に語りかけてやまない気高さ、そこへの畏怖と愛が日本人の血には脈々と流れています。
そして富士山はそこに在るだけで、何も語らず、しかし無言の雄弁で何かを伝えて来ます。
とこういう書き方をすれば、富士山を引き合いに、「平和憲法護持」などの政治主張、内閣への好悪を間接ながら表明、などの今上陛下をご批判申し上げるという「不敬」をやらかすつもりかと読まれたかもしれません。その通りです。
「生前退位」以来のご言動とその背後にうごめくある一派の、女性宮家創設、女性天皇擁立論など奸計が目に余ります。
天皇陛下の存在理由は、祭祀に始まり祭祀で終わりその余のことは、国事行為でさえ付け足しに過ぎません。
これはわたくしの主観で申し上げるのではなく肇国(ちょうこく=国の始まり)以来の、天皇陛下のお務めです。順徳天皇が「禁秘抄」でそう明言していらっしゃいます。
天皇とは我が国最大の神官であらせられ、祭祀王です。
それに尽きます。
今上陛下はGHQ派遣の洗脳係、バイニング夫人の教育とGHQによるえげつない、少年に対するにしては残酷なまでの恫喝により、すっかり「改造」されてしまいました。そこに更に、米国産小麦粉利権を媒にGHQと癒着した正田家からいらした美智子様が加わり、相乗効果でGHQの目論んだままの、左翼的思考をまとわれてしまいました。
それゆえ、畏れながら祭祀の本当の意味も見失われたのでしょう。
祭祀を旧来のお作法通りなぞっていても、そこに魂がこもらなければ
祭祀に神の息吹はこもりませぬ。まして、ここしばらく天皇ご親修の
祭祀は途絶えています。近年の奇妙なまでの気候異常天変地異を
そこに結びつけるのは早計としても、祭祀をお忘れになられた
天皇は歌を忘れたカナリアではございませんか。
そもそも、皇居じたいが大いなる神殿としての機能を有するべく造設されています。
賢所、皇霊殿、神殿と宮中三殿があり、掌典(神職)と内掌典(巫女)が日々途絶えること無く、三殿を清め護っています。
そこで、戦前戦後通して365日燃え続けている忌み火は火鑽で熾した火で、これは消えることなく久遠に燃え続けています。
*火鑽り/ひきり 乾燥したヒノキなどの木口に棒をあて、激しくもんで火を起こすこと。
賢所におわすのが、皇祖神天照大神です。こちらを自らの特殊な宗教のゆえに忌避なさる雅子妃は、皇祖神を避けるも同じこと、皇后が務まりましょうや!不敬とはこのことをこそ、申します。
更に皇太子殿下は、国民に知らされぬあるご病気にて神事の前の斎戒沐浴がお出来にならぬお身の上。ご夫妻揃って、皇居で否この日本で最も大事な神事が、おできにはなりませぬ。
賢所の神鏡は天照大神の霊代(みたましろ)であり、その御前に立つ資格無き東宮と皇太子妃は、天皇皇后たりえず。また雅子妃のご尊父による某国でのある不祥事を知ればこの御方を皇后とはお呼び出来ませぬ。
なにゆえ、お二人の即位をかくも急がるるか。女性宮家創設の奸計と共に。
憲法を押し付けたのが日本弱体化を図ったGHQなら、憲法は改正せねばならぬし、GHQが潰した旧宮家なら復活させねばなりません。
旧宮家には、天皇直系の男子が大勢いらっしゃいます。
それを無視して、皇位継承者の不足を言い立て女性宮家の復活やら、女性天皇擁立論など、愚者と売国者の論議です。
天皇が富士山なら、黙して語らず、ただご存在で国と民とを、あかあかと照らし出してくださればそれだけで日本国には大吉。
富士山は政権に対して語らず批判せず命令せず、いわんや退位はなく、ただそこに在り続けます。
ある報道の文面に曰く、
>陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。
「象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため」とは
何でしょうか。皇室は人気で左右されるべき存在ではございません。
理解と共感を得るためには、国民の目からは見えぬ、大変な祭祀はどうでもよいと、お考えならそれは基本でお心得違いであり、皇祖神へのそれこそ不敬でございましょう。
天皇が全身全霊で行われるべきは祭祀であり、国の防衛を担う船を宿に改造させ大金をかけた海外への慰霊訪問でもなければ、被災地訪問でもございません。また要らざる生前退位と共に、女性宮家の復活を画策なさることでもございません。被災地ご訪問で癒される民がいることは事実ですが、そのかたわら鬼怒川氾濫や海外でのテロで、国民があまた命や家族を奪われているときに、お遊びにお出ましになられたこと、国民は見ています。
女性天皇まではよしとして、そこから女系が始まった刹那、皇室は終焉します。
なぜなら、男系なら辿れば神武天皇と皇祖神にたどり着きますが、女系は相手の男の血脈に入れ替わり、そこで皇統は途切れます。
また伴侶として得る男の出自によっては、皇統がいかがわしい血や「外国人」に取って替わられ、それは現状況では大いにあり得ると言わざるを得ません。
神話の破壊は、皇室の滅びへの道です。
安倍政権は、妥協に継ぐ妥協で天皇陛下の憲法違反が国民に目立たぬよう
細心によかれと、ことを運んでいます。状況を正確に把握した保守は歯噛みをするほどの、あるまじき寛容さです。
それに対してご学友たちや、理髪師、そして宮内庁を通じて
ご不満を漏らされるとは、余りのなさりようでしょう。
特措法はご自身のわがままに見えるから恒久法にせよと仰せですが、
公共放送を用いてのお気持ち発表から始まった一連の出来事は
わがまま以外に何と名付けましょうや?
皇太子殿下と妃殿下に、即位のご資格はございません。
皇室典範と照らし合わせれば、廃太子廃妃の道があるのは
両陛下共にご承知のことでしょう。
秋篠宮殿下への継承が、唯一の正しい皇位継承への道ではございませんか。
もはや元号まで詮議されているおそろしさ、引き返しもなりませぬが、
皇祖神が現在の流れを嘉(よみ)したもうや否や、流れの行く末を見守りたく存じます。
そしていかに現実が道を踏み外そうと真実は、人々にいずれ伝えられねばなりません。たとえ数十年百年の時をかけても。
紆余曲折辿れど、いずれ悠仁親王殿下に皇統の正しく戻らんことを
念じつつ、日の出前のいまだ闇深き未明に記す。
内容からして、異論反論が来ることが予想されますが、論理文章ともに
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