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わが内なる神

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おはようございます。

相変わらずすごい数のアクセスを頂いてまして、何やら困惑しています。
何をお知りになりたいのでしょう?アクセスが多くなると、私の意見が
広まるのを阻止しようと、工作員みたいな人も紛れ込んで来ます。
ある種の「違和感」として認識できるのですが。
そういう方がファンを装って入り込まぬよう、Gooのポータルサイトからさえ
存在を消しているのですが、このところアクセス数が増えるにつれ
違和感を覚える人々がコメ欄に現れるようになりました。

“現実の場”でも私のファンを称して近寄って来ても違和感として感じる「?」と同じ種類の、ある気配です。ふとした折に見せる表情が言葉を裏切っていたり。
黙っているからといって私がその邪気を感じてないということはございません。
私も、物書きの端くれ。人間観察は第二の天性です。
深く追求する気もなく、受け流しているだけですが。

さてコメント欄に非公開で、幾つかのリークを頂いていますが、むろん
それらの情報の根拠を私は知らず、公開も出来ません。

一つだけ工作員さんへの牽制も含め、以下を述べておきます。

小和田恒氏が、天皇家のお金に手を付けようとしてスイスの某所に軟禁されている、
という1件。これは私に漏らしてくださったある地位のある御方に、ここまでは
書いてもいいとご許可を頂戴してのことです。もっと詳しく伺っているのですが、
公開許可を頂いているのは、ここまでです。

いずれも、私が客観的に証明するすべはございません。ただ、私はその方を
信頼申し上げているし、無責任なゴシップを流される方でもなく、また
その方が私に嘘を吹き込む理由もなく、またデマであれば「ここから、ここまでは公開しても可」というごとき、制限をかけられないのではないでしょうか。

小和田氏の姿を昨年来国内で確認出来ません。
年内に戻って来られるよう政府が交渉すると思われますが。

ご判断は皆さま、それぞれにどうぞ。

コメント欄に寄せられるコメントが多くて、対応しきれません。

記憶しているコメントに対して、こちらでお答えさせてください。

足の指の「体操」について。私がオフ談話会で説明不足だったと思うのですが、
足の指の間に、手の5本の指を深く食い込ませ、足首をまわす、で正解です。
ついでに、足の裏を強く指圧なさってください。

ふくらはぎは、第二の心臓といわれていて血液を心臓に送り返し、
新鮮な血液を心臓が全身にまた送るというよい循環が
活発化します。正しい歩き方でのウォーキングが一番いいのですが、
足裏の指圧、指を最大限に開いての刺激はそれに準じます。

いつぞや、「内なる神」についての質問がございました。

それについては、神道における「神の分け御霊(みたま)」を知らねばなりません。

神の分け御霊とは、大本の神(根本神という言い方もします)
大雑把に言えば、神の分身を作ることが出来るという意味ですね。
靖國神社さんは、分祀など出来かねるという意味の文脈に於いてですが、
こういう説明をなさっています。

靖國神社は、二百四十六万六千余柱の神霊をお祀り申し上げておりますが、その中から一つの神霊を分霊したとしても元の神霊は存在しています。このような神霊観念は、日本人の伝統信仰に基づくものであって、仏式においても本家・分家の仏壇に祀る位牌と遺骨の納められている墓での供養があることでもご理解願えると存じます。神道における合祀祭はもっとも重儀な神事であり、一旦お祀り申し上げた個々の神霊の全神格をお遷しすることはありえません。 — 平成十六年三月三日 “所謂A級戦犯分祀案に対する靖國神社見解”

このように、第一義の分霊の他に、人は神から頂いた分波をその裡に抱いているという説もあり、私はこれに与します。

宗教というのは、組織のことです。

そして、宗教とは「本尊」「教祖」「経典」の3つを揃えていますが、神道はその意味では、宗教ではありません。

まだ魂の清らかだった古代日本人が天地(あめつち)から得た霊感ともいうべき真理ないしは精神性が神道である、とこれは私の理解です。

その意味ではホピ族などネイティブアメリカンの土着的感性と通底するものがありますが、神道にホピ族的呪術は基本ではないように思います。今後の勉強課題の一つです。

それに、ネイティブアメリカンに関して知識がないので、想像でしかありませんが
「わが内なる神」という概念もないかもしれません。

神社における鏡はまんまるですが、丸は完全充足、欠けることのない円満な魂の形であり「魂を磨く」というのは、角張った自己を磨いて行き丸に近づいて行くことでしょう。

私も角張った凡人ですが、丸に近くなるよう心がけてはいます。

精神世界の特殊用語かもしれませんが「真我(しんが)」という言われ方をします。表面意識の葛藤や荒れ狂い、迷いなどの奥底、深層意識には全てを知っている「静かで平和な我」がいる、という考え方でそれが神の領域に通じる部分であり、神と一体化出来る部分なのかもしれません。

神社にお参りすると、御神体の鏡に相対しますが、その丸い世界に映るのはあなた自身であり、そこには「神」と「私」の隔てはなく、一体です。

とこのように、私は受け止めています。主観の域を出ていないかもしれません。

しかしながら、組織としての宗教はそこに必ず階層が生じ、維持のための集金がつきまといます。そこから「組織悪」ともいうべきものが生じ、宗旨宗派間の争いが時に戦争の引き金となり、そもそも宗教としての本分を見失しなうのが、必然でさえあるでしょう。

他者依存の度が過ぎる信心は時として道を誤り他者排斥の、侮蔑や憎悪と変化しがちです。

かつて、植民地政策の一環として存在していた宣教師たち、あるいは白人たちにとって異教徒の有色人種は、人間ですらなく使役する家畜でした。
そういう心を生み出す宗教は神への道筋ではありません。
分離を強いる宗教は偽物です。

故に私は宗教から、内なる神へのパラダイムシフトへを、ひっそり提唱しています。最も信頼できるのは自分です、自分の魂です。常に内なる神との対話をこころがけ、「上」とつながる意識で魂を磨くのが、よろしかろうと、そのように考えています。

教団という名の組織にお金を払わなければつながらぬ神など、いません。
皆等しく、おのが胸の内に神と通じる扉を持っています。

根本心は一つです。宗旨宗派、関係ございません。

コメント欄に質問ではありませんが、トンボ根付けの画像が欲しいというご要望をちょうだいしたので、載せておきますね。

トンボは、まっすぐにしか飛ばず後退がないところから「勝ち虫」とも呼ばれています。
靖國神社さんでの国民集会のとき、トンボの絵柄の着物を来てドンボの根付を帯にあしらったのは、英霊へのエールのつもりだったのですが同席の櫻井よし子さんに、「素敵ですね」と言っていただいたので、「勝ち虫なんですよ」とご説明したのですが、勝ち虫はご存知なかったようでした。

美しい方でした。
時々召される着物姿も麗しいお方で、左翼の女性たちの佇まいとは対照的です。男もそうですけどね。右翼と敢えて申しますが、右翼の男たちにはきりりと清潔感がありますが、左翼の連中の滲み出させている何かのしどけないこと、薄汚いこと。多分、魂の佇まいが不潔なのです。

偏見かもしれませんが、私は常々そのように感じています。

右翼も千差万別と言われれば、返す言葉は持ちません。さまざまの
階層がいます。私が申し上げているのは基本の感想です。

あとコメント欄の質問は、「家事を神事にする」でしたっけね。

機会があれば述べてみます。大したことじゃないのですが。

もう一つ、祓い九字に関して質問がありましたが、これはお教えできません。
オフ座談会の席で、アルコールを飲まない状態の時密かに
伝授させて頂きましたが、みだりに表に出すものではないのです。
伝授された方々も、軽々に人様に漏らさぬよう、伝えるときは敬意と
節度とを保って、真摯にお伝え下さい。酒席ではお控えください。

また祓い九字のみならず、九字は使うほど力が身について参ります。

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*誤変換、他は後ほど推敲致します。

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