さして、不自由もしていず「まだ手術は必要ない」と言われていたにも
かかわらず、持ち前のせっかちと好奇心から早々と白内障の手術を
受けたのでした。
さっぱりと、率直な医師に巡り合ったことも契機です。「まだ手術は必要ないです。要するにあなたの場合は、長生きするならやっといても構わないが、白内障が進行する前に死んじゃうなら、やらなくてもいいです」
その言葉が気に入った私は、この老齢の先生がご健在の間に手術を受けておこう、っとその場で決めて「私、長生きなんです。やっちゃってくださいよ」
と、何を根拠の長生きなんだか。まあ、多少の霊感持ちで自らの死期については割に細かい数字で把握している・・・・そのつもりなのですが。
それで、これから手術を考えている方へのアドバイスです。
それこそ、白内障自体は長く生きるほどほぼ免れられないのですよね。
高齢でも手術知らずの人もいますが、目のレンズが白濁しても視力は機能していたり、気にしない方たちなのだと思われます。
私は、手術前は裸眼で活字が読めていたのに手術後は、霞んで読みづらくなったことは書きました。
変だなぁ、と思っていたのですが・・・・原因判明。
すっかり記憶から剥落していたのですが、オペ前の選択として、レンズを手元がよく見えるように変えるか、遠距離がよく見えるようにするのか、という問いかけがあったようなのです。
で、私は遠くが見えるように、を選択したのだと思います。とっさに訊かれ、とっさに答えたボンヤリとした記憶。
この「とっさ」が困ったものだと思うのですが、医療側にしてみれば日常茶飯事の質問だとしても、患者は初めての体験なので「思慮する時間」を与えて欲しいな、と自らの迂闊さを棚に上げそう思います。
おそらく私のとっさの思考回路は、こうです。読書用ならそのときに眼鏡をかければいい。遠距離だと歩いているときも、眼鏡が必要になる、と。
しかし、私はその時点で遠くを見るになんの不自由もしていなかったのです。考えてみればお間抜けな選択をしたものです。活字を裸眼で読めていたものが、読めなくなるという想定はしてなかったし、説明もそれは受けていなかったような?
なので、私と同じ考えなしの選択をなさらぬよう、恥を綴っています。
今まで、手元の文字を読むときに眼鏡使用などなかったのでいまだ不自由さに慣れません。
その代わり、離れたステージで観劇するときは必要だった眼鏡は要らなくなりました。
白内障がある程度進行した人なら、手術後には視界がぱっと明るく開ける、という目覚ましい体験があるようですが、私の場合はなんだかなぁ、の結果でした。ただ一個「井沢さんって、瞳が澄んでますねぇ」と整体の先生に言ってもらったことは、メリットだったのかもね。微弱にながら白濁が始まり始めていたので手術前は「澄んでいる」は、なかったと思います。
なんだか埒もない話でしたが、皆様にご心配おかけしている件に関しては今執筆で時間がないので一気呵成には参りませんが、ゆるやかにながら、着実に粛々と対処してまいりますので、どうぞご安心ください。
私以外の方々が、いわれなき誹謗中傷で苦しめられているようですが、私が動けば結果的にそれらの方々も苦しみと痛みから逃れられると思うので、もう少し辛抱なさってくださいね。私のように、表に顔を出していてあることないこと言われることに慣れていなければ、いかにお苦しみであろうかとお察しします。今しばし待っていてください。私、やりますので。
誤変換他、後ほど推敲致します。