8月だというのに、東京は毎日ロンドンのような鈍色(にびいろ)に垂れ込める空、
そしてもうたぶん2週間もしとしとと振り続けている雨。
それでも、早朝の湯浴みで心身を清め、雨脚の束の間絶えた通りへ出て
陽のある方向の空を拝んで来ました。
お盆明けで、それまで車の往来も常よりは少のうございましたから
空気もまだ澄んで鼻腔を洗うようです。雨で大気も洗い流されていますし。
気の晴れない状況でも、陽は常に厚い雲間の向こうに赫奕と輝いていることを
思い、心を平らかにお過ごしください。
太陽は真実です。
虚偽の雲に覆われていても、いずれは顔を表すのが真実という名の太陽です。
赫奕、という言葉が私の書いた文章の文脈に必ずしもそぐうわけではないのですが
三島由紀夫の最期の4部作「豊穣の海」の「奔馬」、最後の行に記されてあるのを
思い出し、ふと書いてみたくなったのです。
赫奕(かくやく かくえき)
=勢いがあるさま、光が強いさま
「陽は赫奕と上った」という豊饒の海の結びの文が正確かどうかおぼつかないのですが、
この場合は「かくやくと」と読むのであろうと、なんとはなく文脈の語感からそう思います。
この文章に、横やりを入れたのが大江健三郎氏であり「なぜ赫奕となのか、
あかあかとではなぜ、いけないのか」と。
仰る意味は解らないのでもなく、三島特有の言語上の衒学的(ペダンティック)な
気取りを皮肉ったのでしょうが、しかし気取りを抜いたら三島文体は総崩れだし、
「赫奕たる」には、神々しいというニュアンスも添います。
大江氏もデビュー作「死者の奢り」そして「飼育」や「芽むしり仔撃ち」は
みずみずしい感性の、優れた文学。
私が中学生の頃、祭囃子を遠く聞きながらかやの中で、読みふけった私もまた、
感性が最も鋭くやわらかい時代でした。
ご近所に大江氏の親戚が住んでいらしたのも、袖すり合う程度のご縁では
あったのでしょう。
その大江氏が、いつの間にか三島由紀夫氏とは対極の思想を持つに至り、
残念です。
思想性を帯びてからの小説のトーンが下がったのは、三島さんも同じくではありましたが、
こと思想においては、私は明らかに三島寄りです。
「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」の名演出家久世光彦さんにお会いした時、
「私は右翼だ」と微妙に諧謔的な口ぶりながら名乗られ、困惑したのですが今なら
「私もです」と笑って答えたかもしれません。
右翼と自らを思ったことはなく、ただ日本となかんずく日本の言葉と着物を
愛する者なのですが、無理に分類するなら右なのでしょう。
英霊に捧げた拙い詩に対してご感想を頂き、感謝申し上げます。
ろみさん 30代2児の母さん 仁さん mai さん しゃちくんさん
なでしこ魂さん ふーさん マユババさん achabiさん みねこさん
本当にどうもありがとう。
私は、修猷館で英霊たちの毅然と優しい、とりわけお母さんに当てた書簡を見ると、目が潤みます。
あの方たちが二十歳前後で散華された、その生命を手渡されて私たちは今日も生きています。
皆様の今日というかけがえのない日が、麗しくおだやかでありますよう。
ご機嫌麗しゅう、あそばされますよう。
付記
「正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼(まぶた)の裏に赫奕(かくやく)と昇った。」
「豊饒の海」の「奔馬」より、こうして文章を正確に引いてみると、やはり
「あかあかと」ではなく「赫奕と」でしょうね。切腹の様式性を鑑み(かんが)れば。
大江氏に従えば、
「まさに刀を腹へ突き立てた瞬間、太陽は瞼の裏にあかあかと昇った」
となるでしょうが、大江氏がそもそもこんな文章を書く思想も感性も持っては
いらっしゃいませんね。
誤変換他、後ほど推敲致します。