尾崎行雄記念財団・咢堂塾での講義に向けて、鋭意準備中です。
記念財団は、憲政記念館内にあり、国会議事堂に隣接する国会前庭内に建っていて、自民党党本部からも徒歩5分程度の位置にあり政治の息吹が漂うエリアです。
わたくしの講義テーマは毎度「日本語は国の防波堤」です。
このタイトルを基軸に、日韓関係他へと話を敷衍していくのですが
結局は、わたくしが語って倦まないのは「日本の美」であり、
わたくしの愛国心の発露は、畢竟(ひっきょう)和服や言葉の形をした
日本の美意識に帰着します。国体への愛というよりは、この国の
文化を護りたいという意識が先にありき、です。
生粋の江戸言葉を書ける脚本家もいなくなり、そういう意味で
戯曲家の久保田万太郎先生のお作を読まなければ、と思いつつ
目先の読書に忙殺されて、後回しになっています。
さなきだに、時間がなく本も数冊を並行して数行、数十行ずつ
読み進めているのは先に述べた通りで、言ってみれば不要不急の
戯曲を読むゆとりはないのですが・・・・・しかし思えば文化の在処(ありどころ)は
常に、不要不急の中にこそあります。
久保田万太郎の、これは戯曲ではなく小説「三の酉」からですが・・・・
――おい、この間、三(さん)の酉(とり)へ行ったろう? ……
ズケリといって、ぼくは、おさわの顔をみたのである。
――えゝ、行ったわ。……どうして? ……
と、おさわは、大きな目を、くるッとさせた。
――しかも、白昼、イケしゃァ/\と、男と一しょに、よ……
と、ぼくは、カセをかけた。
――あら、よく知ってるわね。
と、そのくるッとさせた目を、正直にそのまゝ、
――おかしいわ。
と、改めて、ぼくのほうにうつした。
――ちッともおかしかァない。……おかしいのはそッちだ……
――みたの、あなた、どッかで? ……
――そうだろうナ、多分……
――わるいことはできないッて、ほんとね。……けど、どこで……どこをあるいてるのをみられたろう?
――それよりも、一たい、なんだ、あれ? ……
――あれッて?
――あの男さ。
――あゝ、あれ?
――顔よりも大きなマスクをかけて、さ。……そんなに、人めがはゞかられるなら、何も、昼日中、あの人ごみの中を、いゝ間(ま)のふりに、女を連れてあるかなくったっていゝじゃァないか?
――そうだわよ。……そう思ったわよ、あたしだって……
――それだったら、なぜ止させなかったんだ? ……ウスみッともない…… ーーーーーーーーーーーーーーーーー 音読してみると、江戸弁のリズムが立ち上がってきます。 文章のコツの一つは、音読して響きはいいか、なだらかか、というのがあります。だから作文の練習はまず音読から。慣れるとわざわざ音読しなくても、言葉が「音」として耳に聞こえて来るようになります。 「三の酉」の文章中、「いい間のふり」というのがありますね。 “いいまのふり”、これは「いい気になって」という意味の東京の方言です。 そう、東京にも方言はあるんです。 東京ローカルでしか通じない言葉。もっとも、「いい間のふりに」を
現在使う東京人はいません。 だから、知らなくていいかということでもないと、わたくしは思います。 表で使うことはないが、しかし語嚢に蓄えているというそのことだけで、
その人の醸し出す雰囲気が豊かになるとそう思います。 表題の潜在的言語とは、そういう意味です。 語嚢はおそらく造語だと思いますが、語彙を詰め込む嚢として、
実感があるので、わたくしは用いています。 【嚢】 読み のう 意味 ふくろ 一国への侵略手段に、その国の言葉を奪う、弱体化させるというのがあります。
言葉はその国の精神性であり、品格であり、アイデンティティです。 日本を占領したGHQがやろうとしたのも、日本語の無力化でした。
しかし、幸い日本語は廃絶されずに生き長らえました。 しかしながら年ごとに貧しくなって行っています。 GHQの撒いた日本弱体化のウィルスは、随分長期にじわじわと効きます。
それを食い止めるための防波堤の一つが、日本語を守り抜くこと、大切にすることです。 文中の「畢竟」、読みはひっきょう。意味は「要するに」。 いけしゃあしゃあとは、憎らしいほど厚かましい様子。 皆様の今日という尊い一日が、光に満ちてありますように。 誤変換他、後ほど推敲致します。