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角界にとどめてあげたい日馬富士 ごく心情的に  

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相撲ファンでもなく、それゆえ日馬富士への思い入れはゼロ、まして
日本の神事なら日本人力士であらまほしい・・・・とさえ思っている
私ですら、という言い方でいいのか日馬富士をこの一件で神事としての
土俵から放逐して欲しくないというのは、横綱のこの言葉、
「横綱は(神事としての相撲における)神だ」
という言葉から来る。

土俵を神事の結界であることを承知した人の言葉だろう。

それと、直感でしかないけれどテレビの画面を通じて感じるこの人の
魂の高さみたいなもの。

酒癖が悪いというのが事実なら、もし事実なら、飲んでは決してならぬけれど、
その点を差っ引いてもなおこの方の存在としての気韻の高さを感じるのだ。

表情が澄んでいる。相撲の理想を語る時、目が心情にうるんでいる。
いいなぁ、この男、と思う。

角界を知悉した友人にメールで疑問をぶつけたら、
案の定、取材申込みが殺到しているそうだが、
情報が錯綜していて答えられない、と辞退している由。

メール返信による言葉はそのまま転載はしないが、「画家でもあり、大学生でもあり、物静かな思慮に富んだ男」という日馬富士評。

大学生?

と調べてみたら、2014年報道で「法大大学院」に合格とある。

素晴らしい。

相撲音痴がとやかく言う資格もないのかもしれないが、この力士がこの騒動をきっかけに私はとても好きになっている。

礼儀知らずの人間、とりわけ年下に激昂する気持ちも分からぬではない。
一度、プロデューサーに紹介され会った脚本家志望の女性、食事の席に連れていったら足を組んで食らう。
挙句、盛大に残して一言もなく、ごちそうになりました、もない。
その上履歴書の余白に私信を書いて寄越すという無礼ぶり。

人の脚本を何の義理で読まされるのか、その意味も解らない。頼まれたから読んでいるだけで、
その分、人の時間を取ることを何とも思っていないらしい厚顔。プロだから読むのも
その意識で読むのでそれなりの精力は使う。それを何とも思ってないらしい。
そして印刷された原稿用紙の汚さ。余白に手書きのメモまであってまことに
驚かされた。こんな人に限って褒めてもらうことを期待しているのであり、
厳しい言葉は受け入れない。

脚本というのは人の気持ちのひだを描く。こんな杜撰な神経でドラマなど書けない。
いっぱし、作品評は小賢しくするが実作者としての立場に身を置けば
そう軽々に人様の作品を云々することはできない。現場には現場の
目に見えない制約もある、そんな中でプロは苦闘している。
先輩というのは長きにわたりその苦闘を、くぐりぬけいまだ生き延びている
先達なのだ。

というような日頃の感想もあり、つい後輩力士の非礼のほうに私は焦点を当て
日馬富士の激昂につい加担してしまうのだ。

ちなみに、最近恩義あるプロデューサーから頼まれて原稿を読んで、指導している
新人二人はきちんとしている。だから、こちらも締め切りの合間を縫って
読ましてもらい、赤を入れて送り返しまでする。一人は、すでにシナリオコンクールに
当選の経歴だが、まだまだプロへの道は遠い。

文芸ものが払底、書ける人も少なくなりつつある現在「育てる」ということも
多少は今までの業界への恩返しにさせて頂きたいと思っている。
なんで、これが解らないかなぁ、と思いつつも根気よく教え込む。

と、思いはまた日馬富士に行く。天下の横綱としがない物書きを重ね合わせるのも
尊大だが、そういう思いがあるので後輩たちの筋目を弁えない振る舞いに
感情を荒立てる、その心情はよく解るのだ。

むろん、暴力を肯定するわけではないのだが、と書かずもがなのことを
書き添えておかないと、昨今過渡に「道徳的」な人たちが増えて
きれいごとで述べておかないと食らいついてくるからだ。

 

誤変換、他後ほど。

 

 

 


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