1970年11月25日。三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決してから今日で47年目。
テレビで市ヶ谷駐屯地での三島の檄を見た時のおののきは、いまだ鮮明である。
その時は意味も解らず、ただ奇矯なことをする人だと思った。その文学における
きらびやかな才能にひれ伏していただけに、一方の政治的言動がいぶかしくもあった。
あれから幾星霜、三島という天才の脳に追いつけなかった鈍才の私が
やっと、三島の行動の意味を悟っている。
三島の「憲法改正論」も今頃、やっと理解という恥ずかしさ。
手塚治虫の一生をテレビドラマとして脚本を書いたことがあり、手塚さんが
ライバル視していたのは三島由紀夫だと知り、たいそう興味深く
それを台本に入れたらプロデューサーから物言いがつき、
いわく「三島を嫌いな人が多いので、そのせりふは消してくれ」と。
今なら、反駁したと思う。手塚治虫が三島由紀夫をライバル視していた、という
事実を、なぜ「大勢が嫌っているから、というデータもないことで抹消せねば
ならぬのか」と。
その頃の私は、三島の「行動部分」に何のシンパシーも抱かず、天才が引き起こした
奇矯な出来事としてしか捉えていなかったので、言われるままあっさり三島に関する
セリフは消した。
今、そのプロデューサーに対して憤りを抱く。
彼がその部分を消したがったのは、確実に思想的理由だからと確信を
持つからだ。ドラマを思想上のプロパガンダの場としてはいけないし、
事実を己の政治信条で消し去ってはならない。
誤変換他、後ほど訂正します。