某所に用あり、歩いていたらお相撲さんと
子供たちの餅つきに遭遇。
ビルの谷間でしたが、「町内会」なのでしょう。
こうしてみると、お相撲さんの風情ってめでたい場に似合いますね。
日馬富士の一件は、魑魅魍魎でいまだ理解が届きませんが
大相撲という神事に携わるお相撲さんは、天照大神や八百万の神という
日本の神々への親しみと畏れのDNAを血に持つ日本人であらまほしい、と思われます。
心根が日本人ならいいか・・・・とゆるく構え、意図的に妥協していたのですが
しかし、神道という日本の土着的風土から誕生した
随神(かんながら)のDNAを血脈に保っているのは、やはり日本人であろうかと
思われます。
外国人力士が多くなるに連れ、「強ければいい」「勝てばいい」という
単なる格闘技のレスラーばかりになるようで、危ぶまれます。
ジャパニーズドリームなど、最も神事の心からは遠いところにあるでしょう。
それは、日本の美意識の喪失でもあるでしょう。
日馬富士と親しく接する人から聞く人柄は好もしくて、何とかならぬものかと
いったんは思ったのですが、何はともあれ暴力は横綱には決して許されませんね。
横綱が神だの神でないのと小さな論戦があったようですが、正確に言えば
「神に仕える者」「その技を神に捧げる者」ではないのでしょうか。
相撲に疎いわたくしがいうのも、いささか気が引けますが、相撲が
神事であり、土俵が結界であるこごとぐらいは日本人としての
本能で解ります。
興行的には外国人力士の導入が望まれるのでしょうが、銭勘定を抜きに本来の神事に立ち返れば
日本人であるに越したことはないような気がします。
皇居に”外国人”が入れ込まれることの違和感と、似ているかもしれません。
差別などという次元とは遠く、結界を保つために。
しかし、もうそういう時代では無くなりつつある・・・
皇居も国技館も様変わりの道筋にあるのかもしれません。
日本の神を奉じ、自らとつなぎ民に捧げることができる人がいなくなれば、そこから結界は消え失せ
皇居や国技館という名称のみの単なる「場所」になってしまいませんか。
それを称してグローバリゼーションというのなら、
それは「日本」の喪失を意味するでしょう。
それも時代の趨勢とあきらめる、あるいは悟るべきか、まだ復活の芽はあるのか・・・・。
末尾に別話題。
ランチ会の時に頂いたお土産、有難く食べたり飲んだりしています。
選んでお持ちくださったのでしょう、美味しいです、どれも掛け値なしに。
ポール・スミスでしたっけ? ソックスは、サンタさんからのギフトのようで
楽しく履かせて頂いています。
しかし遠路足を運んで参集してくださるだけで、わたくしとしては
嬉しく有難く存じますので、もし次があればどうぞお土産のお心遣いはご無用に
願います。
ありがとうございました。
皆様の幸せと健康を心より、祈っています。
誤変換他、後ほど。