仲良しの藤真利子ちゃんから、ラインでまた着物の
画像をもらいました。
親しいユーミンさんの実家のお店で、ごく若い頃
誂えた泥大島だそうな。八掛けが真紅だそう。
袖、伊達巻、帯締め・・・とそれから爪の先端に赤を入れてますね。
着付けは、Eitaさんという、ヘアスタイリストの方。お母さんが
日舞のお師匠さんだそうな。
貴ノ花親方の息子さんとの2ショットも送って
もらったのだけど、これは公開NGだそう。
いつ写したの、と訊いたら九月場所後の貴ノ花部屋のパーティだとか。
部屋のお相撲さんたちが、居並んだ画像もあり、そりゃ禁公開なわけだ、
貴ノ岩関の姿もある。
貴ノ岩の着物が凄い。裾が満開の桜。写真のプリントかと思うほどにも
凄いが染めなんだそうで、背後にも桜は咲いていて貴ノ岩と
染め抜いているらしい。
「若貴もこんな凄い着物は持っていなかった」と真利子ちゃんの
話で、ということは親方によほど大事にされているということ?
「光司くんは、お相撲さんは世界一、力があるから絶対に手を出したら駄目って、
よく言ってた」
と真利子ちゃん。
現役時代の頃から、真利子ちゃんの家に貴ノ花が遊びに行っていたことは
私も昔から聞いている。「ママが光司くんから、バッグをプレゼントされたの」と
真利子ちゃんが嬉しそうに言っていたのは、数十年前のことなのだけど。
どうして、仲良しになったのかは聞いていない。
余談だが、現役時代の親方が私が脚本を手掛けた「同窓会」を見てくださっていた、
というのは、記憶によると東山紀之くんから訊いた。
真利子ちゃんといい、内館牧子といい、相撲に近いところにいる人達なのだけど、
騒動のことは遠慮して訊かないでいる。領分に立ち入り過ぎることになるし、
もっとも訊いたところで発表出来るわけもないけれど。
だから以下は、上記お二人からの伝聞とは全く関係ない、私の私見だけれど。
このたびのこと、結局モンゴル人という相撲の基本にある神道を、結局
解らない「外人」対、日本古来の相撲を守りたいと頑張る貴ノ花親方、
そして興行面から、モンゴル勢をしつけできず甘やかしている
協会側とのバトルなのではないか、とこれは当初、直感的に感じた
ことでもあるけれど。
相撲音痴の言うことなので、聞き流して頂きたいが。
ただ日馬富士の、酒を飲んでない時の人柄の物静かさとそれから、絵を書く時「悲しい時の
ほうが色が出る」と言った発言に私は痺れていて、心情的擁護に当初は
回ったのだが、今もその部分に好感はあるが・・・
結局のところ、酒が入ると豹変することに加え、「しょせん外人、横綱の品格を心得ぬ」
モンゴルからの出稼ぎだったか、ということになろうか。贔屓筋には
申し訳ないけれど。
目の前に血を流している男がいるのに、それからナンパしつつ次の飲みの
場所に移動できる神経も、これは日本人でもやれることなのか、「外人」の
神経の粗さなのか、そこが私には判然としない。
白鵬関の、時に見せる目つきのこすっからさ(これもファンにはすみませんが)に比べ、
日馬富士は勉強家で、日本の国技をまだしも謙虚に学ぼうとした形跡は伺えます。
しかしながら休場して祖国でサッカーをやっていた朝青龍など、所詮外国人にお相撲さんの
性根を腹から解かるのは無理だろうと私は思います。
差別や排斥からでは、ないのです。日本を大切に思わぬ人々に、日本の精神の真髄を
踏み荒らさないで頂きたい、とそういうことです。
貴ノ花部屋も、当初は外人力士は取らなかったそうですが、日本人がすぐ逃げ出したり、
しょうがなく取ったのが貴ノ岩だったようです。
叱られられていない、今時の日本の若者たち。会社でも、叱ったら翌日出てこなかった、という
話はよく聞きますね。
結局、出稼ぎでジャパニーズドリームを夢見るモンゴル人が多くなるのでしょう。
顔が日本人に近似値で、曲げも着物も似合う、ということで。ジャパニーズ・ドリームと言うが、
結局は「カネ」。それを全否定するわけではありません。「お金は土俵の中に落ちている」と、
それを励みに辛い稽古に耐え抜くのはありでしょう。ただ、相撲は他の格闘技ではなく、
神道日本の国技なのであると、そこを踏まえないと品格が何故必要なのか
解らなくなるでしょう。
外からの導入は、こういう時代だからしょうがないとして、日本の国技であることを理解、
それに敬意を払うことを教え込まないと、大相撲は際限なく単なる格闘技に堕して
行くのではないでしょうか。
興行面、要するにお金に協会側が負けて、外人力士たちを協会が教育できず甘やかし、
その結果ツケアガラせてなめられたのが今の結果なのでは。
銭勘定は二の次に、神事としての意味を一義にお相撲さんたちは外国勢を
育てて欲しいというのは、きれいごとに過ぎるのでしょうか。
貴ノ花親方の強固な姿勢を、私もどうかなあと思う面もないではないのですが、
ああ、こういう人だったのか、と思ったのはその発言を聞いてからです。
いわく、
「国技館の印は桜。桜は菊の御紋に準じる。靖国神社も桜」
記憶がおぼろですが、ようやくすればこういう発言。
そこで、当初の印象、協会の何かと闘っている親方、という漠然とした
印象が、くっきりとした絵柄で見えて来たような気がしたのでした。
相撲は神事。その神事を大事にしないモンゴル勢と、それをのさばらせる協会への
批判、それが貴ノ花親方が、協会・モンゴル勢と対決する姿勢を取らせて
いるのではなかろうか、と。八百長をも含めて、貴ノ花親方が突きつけた
刃ではなかろうか、というのが現在の私の感想です。
私が外人力士を批判しているようですが、それより批判したいのは協会であり、
相撲を神事と心得ぬ、傍若無人の力士をおそらくただ強いからという理由だけで
声援を送る人達であり、バンザイを促され素直に万歳三唱する「無邪気な」国民
です。
と、そう思いつつ某所からも神事が薄れつつあるのではないか、とふと
懸念するのです。次代になればなおさらに。批判ではなく、日本人しての
素朴な不安です。土俵とあの場所という神域、結界から、神が遠のきいずれ去るのではないか、と。
それとも、それが時代なら私どもも、そういうものだと思い定め、新たな価値観を探らねば
ならぬのでしょうか。
誤変換他、後ほど。