藤真利子ちゃんからラインで、ビビッドを見て、と
言ってきたので、仕上がった第五話目に目を通し
細かい直しをした後、テレビをつけたらやはりお母様の
介護についてだった。
「私が母を殺した」
と、まだ言っていて番組では、看取った人が陥りやすい◯◯症候群(名称失念)と
分析していたが、人とペットを同列に並べるわけでもないのだが、
犬猫も、家族の一員、時にそれ以上のこともあるのでお許し
願いたいのだが・・・私も犬に関しては他人事ではなく、
上の子(パピヨン)は徐々に病み衰え、スーッとある朝逝き、
「介護」というほどの時間がなかったので、さほどの悔いはないのだが、
下の子(チワワ)は、寝付いている期間が長かったので、
あれもいけなかった、こうもしなかった、何で、あの時・・・
と胸を噛むような後悔があり、それは10年経った今でも、申し訳無さがあり、
毎朝の日拝の時、ご先祖供養の後に、犬たちの供養もしているのだが、
その時は「いたらなかったお父ちゃんを、どうぞ許してください」
と詫びの言葉を添えることもある。
救いは、下の子の「笑顔」・・・・写真を撮る私を見て笑っている
写真・・・・・犬が笑うか笑わないかという議論の前に、飼い主なら
笑うと思い込んでいる・・・・である。
写真立ての写真を、ふと見てもらいたくなったので写メすることにする。
供養と詫びはもう「一人」(匹、とか頭という言葉が喉につかえて、出て来ないので)
「はなちゃん」と言うなのミックス犬に対してもする。
二十代前半、オーストラリアにいるとき、私がホームシックにならぬようにと
知り合いの女優さんが、持ってきてしばらく暮らしを共にしたのだが、
私はそのうち帰国を決め、ところが帰っても仕事があるわけでもなく
住居さえままならぬ身、置いてきてしまった。
その事が今も、胸を刺す。半世紀も前のこと、とうにこの世は去っている子だけど、
この子は写真も持っていない。
供養する犬たちは、幼いころ家にいた子たちも含めて毎朝する。
これが、下の子、「ちょんきち」です。
今、書いているドラマのプロデューサーのお一人が、16年ほど前に
世田谷の野沢にあった頃のわが家を訪れたことがあるそうで、その時に
ちょんきちくんと遊んだ、と言ってくださり、嬉しかった。
この子を覚えていてくださる方がいるのは、嬉しい。
ちょんきちと、ぎんぺー(上のこ)を知っているのは、自宅に来てくださった
三田佳子さん、樹木希林さん、佐藤友美さん、いしだあゆみさん、
内館牧子さん・・・あ、それと藤真利子ちゃんも。
亡くなられた方では、鈴木清順監督、加藤治子さん、上原謙さんだ。
和田勉さんは勉さんのお宅を訪れた時、ちょんきちを同行した。
ぎんぺー、ちょんきちを知っている方々はたぶん、まだいらっしゃると思う。
上のこの、ぎんぺーがまだ幼い頃遊びに来てくれたのが
まだ二十代前半だった三田寛子ちゃんだ。
ぎんぺーは美形で、内館牧子はちょんきちを放って、ぎんぺーばかり
可愛がるので「あなたは人間の男は、相撲取りのブサイクなのが
好みなのに、犬は面食いなんだから。ちょんきちも、相手してよ」と
文句を言ったことがある。
「二人」をめぐる、あの世がらみの不思議な話は書いたことがあるが、
知らない人のために、いずれまた書いてみたい。
彼らが、私にあの世のあることを教えてくれた。
猫は「ぽんた」と勝手に名付けた子がつかの間いた。
飼い主が置き去りに引っ越したのを、一時預かりしたのだ。
シャム猫だったが、家の周りを放浪していたので
毛が灰色になっていた。
この子は、引き取ってくださる漫画家さんがいて、その
人のもとへ行ったが、家においておいてあげればよかったかなあ、と
憐れに思い出すことがあるのだが、家に置いておくと近くだったので、
元の飼い主の家の周辺に行ってしまい・・・・
猫好きの漫画家さんのところで、幸せな一生を過ごしたと
思いたい。
ご変換他、後ほど。