「あすきみ」のオンエアが近づくに連れ、バラエティには普段は出ない柳葉敏郎さんが
番宣のために出演をしてくださっているようで、ありがたく思っています。
夜遅い時間帯のドラマにも、本来ご出演がないそうで「花嫁の父」での
ご縁を大切に思ってくださってのことかと、これも嬉しくそのご厚意を
噛み締めています。
市原隼人さんはドラマについて取材を受け、その余りの急展開に
「読んでいた台本を落っことしました」
と答えていた、とプロデユーサーから聞きましたが、
「いえ、いえ、落っことすのはまだ生易しい。『同窓会』の時の西村和彦くんなんか、
読むたび、台本をぶん投げてたんですよ」
と言ったら、プロデューサーは「伝えておきます」ということでしたが。
「落っことす」も、「ぶん投げる」も台本否定ではなく、俳優からホンへのオマージュなのですが・・・・
それにしても、今回のドラマ「過激」と捉える向きがあるようで、私はいささか
驚いています。私にしてみれば普通に娯楽を書いているだけなので・・・・
単発で文芸作品を書く時には今のような書き方はせず、自ずと抑制するので
もしそうでなければ、国内外賞の対象になるようなこともないのでしょう。
要は「さじ加減」なのです。
今回のコンセプトは、「展開は劇画、要所で文芸を」として書いています。
あるプロデューサー氏から「『あすきみ』と「外科医 有森冴子』と
どちらが井沢さんなんですか?」と問われ「どちらも井沢満です。一極から対局へ。
その振り幅が私で、どちらも私です」とお答えしたのですが。
この仕事を始めてすぐ「みちしるべ」というオリジナル作品でプラハの国際テレビ祭で
グランプリを頂戴し、それ以降私に期待されたのは、もっぱらNHKをベースに「文芸作品」「芸術作品」でした。
脚本が海外のフェスティバル向けに英訳、フランス語化されることが多かったのです。
近年は中国語訳、韓国語訳もされています。そちらで賞の選考対象にあげられるので。
昔は、唐十郎さんなども参加、テレビが、というよりNHKが「芸術」を志していた時代もあったのでした。
民放からオファーが来るようになってからは、作品の質と共に数字(視聴率)を
求められるようになり、それ以来作品の質と数字とのバランス取りと格闘し続けて
来ました。数字を狙うと質が落ち、品位を守ると数字がついてこなくなるのが
この世界です。
全国放送で視聴率1%が100万人に相当する・・・・と言われているのが
テレビという雑駁な世界なのです。出版なら超大ヒットの数字でも
テレビでは3,とか4%、つまり400万人の視聴者でも「猫しか見てない」と
言われます。
つまり・・・・テレビではターゲットとする人達が書籍とは違い、相手にする層が
広汎で、ということは知性も感性もさまざままちまちな層に向け、自ずと作品の
レベルを、ある意味落とさねばやっていけないところがあります。
それを落とさずに何とか、しのげないものか、とかなり力技でやり続け、くたびれ果てて
休んでいた時期も長いのです。
橋田壽賀子さんは、のっけから「視聴者はバカ」と言い放ち、それに徹して
書き続けられ、それはそれでテレビ作家としては一つの姿勢であり潔いと
思いますが、私はそこに徹することはできません。今後もおそらく、
数字と質というアンビバレンツを統合しようと試みて行くのでしょう。それゆえ
要らざる苦しみを背負って走り続け途中で息切れして長き休業もしたのですが、「あすきみ」でやっと
ふっきれつつあるような気がしています。双方を志すという無謀が
むしろ、楽しくなっています。
ひところのNHKは、今はどうか知りませんが「数字はいいから質の高い作品を書いてください」という土壌が
ありました。
質と数字が両立しづらいのは、映画の超大ヒット作品の質が高かった試しはないのを見ればよく
解ります。
普段、映画を見ない人達をも巻き込める「誰が見ても理解できる」「感性が鈍くても面白いと思える」作品が
お客を膨大に集めるのだから、質が高いわけもない、とあられもなく言ってしまいますが・・・・
私などベルイマンやコクトーのモノクロ作品に心震わせますが、間違っても小ヒットにすらなりません。
欧州の映画がしきりに封切られていた頃が、映画の芸術性のピークでした。日本映画もまた。
ハリウッドが席巻、観客動員が最重視されるようになってからテレビ並みに
質の劣化が否めません。
昨年の最高傑作「沈黙」はどの程度お客を呼べたのか知りませんが、大ヒットした
劇画的大作に押しやられて人の口の端に乗ることも少なく、私などは
味気なく思うものですが・・・・・しかしそれでも数字(観客動員数)を二の次にしても
「沈黙」を作ろうとする「志」がまだハリウッドにもあることに安堵します。
そう言えば、昨年のアカデミー賞作品賞は「ラ・ラ・ランド」ではなく、もう一方の
思索度の高い「ムーンライト」に与えられました。
こうしたバランス取りがある間は、ハリウッドもまだ捨てたものではないのかもしれません。
「タイタニック」のジェームス・キャメロンを完全否定しているわけではなく、ああいうレベルの
作品も無論あってもいいのですが、そればかりだと寂しいのです。文化の民度という意味で。
東京ではまだ欧州やかつての日本映画の芸術作品に触れることが出来ますが、地方では壊滅状態では
ないでしょうか。
テレビの話から映画に、飛んでしまいました。
というわけで・・・・今回は久々の連ドラで、久々に「質と数字のバランス」を
考えながらの執筆となりました。
ここ数年来、海外や国内で賞を頂いて来た作品でしか私を知らない人たちに、どう受け取られるのか
全く分かりません。
「あすきみ」の初回原稿を受け取ったプロデューサーのお一人が「今度は”こっちの井沢さん”で来たか」と
おっしゃったそうですが、スピード展開で常識から言えば大胆な”こっち”も、賞の対象となる”あっち”も双方、しょせん私です。
誤変換他、後ほど。