真屋順子さんの訃報を聞いたのは旧臘でした・・・・
真屋さんと仕事をご一緒したことはないのですが、
わたくしが世田谷の野沢に暮らしている頃、拙宅の真ん前が歯科医で
そこに時々通っていたのですが、ある日行ったら真屋さんがいらして、
「お目にかかりたくて、お待ちしていました」
井沢満さんが今日来ますよ、と歯科医から聞き及び、
一言ご挨拶を、としばらく待っていてくださったようです。
恐縮し・・・・・そのつかの間一度きりのご縁でしたが、その時の
真屋さんの表情までありありと覚えています。
袖振り合うも多生の縁ともうします。
ご冥福を遅ればせながら、お祈り申し上げます。
ちなみに「多生」を「多少」とおぼえこんでいる人がいますが、
誤記です。多生がわかりにくいせいか、他生と慣用的に書くことも
ありますが、正しくは多生の縁。
多生とはいくつも重ねる前世のことであり、袖が触れ合うようなつかの間の出会いも 、
前世からの因縁によって起きるという意味です。
「多少」ではまるで意味が異なりますね。
袖振り合うも多生の縁
生存の真実です。
人は何代も何代も、転生を繰り返しつつ魂の学びを重ねていきます。
ときには地球外・・・・4次元や5次元の世界に転生することも。
わたくしはいくつか自分の過去世を見ていますが、この世ばかりではありません。
一度だけですが、光の世界を「思い出し」そこは、指先でつつけば花も水に写った影のように
揺らいで、なつかしさに涙ぐんだことがあります。
未来世もパラレルで存在しているはずですが、わたくしはまだ未来世を見たことが
ありません。
誤変換他、後ほど。