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Channel: 井沢満ブログ
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貴ノ花親方は、日本の精神の防人ではないだろうか?

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角界内部を知らない素人であるという以前に、本来相撲を愛しているわけでもない
その意味でも門外漢がこの度の騒動に、具体的に口挟む気はないけれどしかしながら
今回の騒動が気にかかるのは、結局「日本対蛮族」の闘いだからではないか、
とかねてより・・・・朝青龍の騒動以来、ずっと感じ続けているからだ。

朝青竜や白鳳を「蛮族」と個別に名指しするわけではない。
拙稿における文脈内での「蛮族」とは「神事に根ざす日本古来の精神や美意識を
侵略するある勢力」ということである。

それは、敗戦時のGHQをもさす。

あの戦争の肯定をしないが、100%の否定もしない。文化という側面から見れば
GHQはまさしく「蛮族」ではあった。建国間もない文化を持たぬ「若造」が畳に
土足で上がり込み、白木の美意識も解さずペンキで塗りたくり蹂躙した。

今、土俵が「結界」であることを心得ぬ単なる出稼ぎ労働者が余りにも多い。
またそれを最初に最も大事なこととして、教え込まぬ協会に問題の根が潜む。

長く沈黙を保っていた貴乃花親方がそのHPに所信を書かれ、テレビで報道された
文言は、わたくしが親方の心の裡はこうであろう、と思いなしていたそのままであった。

確認と引用のため、HPを開こうとするのだがアクセスが殺到しているのか、
開けない。

いいことだと思う。

相撲道を説きながら日本人によるまっとうな日本論としても、親方の文言は成立している。
文章も首尾結構整い、立派なものだ。教科書に採用したいぐらい。日本人論としても
国防論としても。

できるだけ多くの国民に読んで欲しい。
また海外にも、日本とは日本人とはこうなのだと期せずして、そのアピール文にも
なっている。

わたくしがテレビで拾い得た言葉は「相撲は競技だけではなく文化である」
「神事である」「公益法人としての責任を持つべきである」「礼に始まり礼で終わる」

HPで確認していないので正確ではないが、概ねこの通りであると思う。いたって
まっとうな意見であろう。「日本の精神」そしてそれはほぼ神道であろうが、
現在の大相撲から徹底的に欠けているのがそれだ。

それでいいとする意見があるが、それは相撲を単なる格闘技として捉えた立場であり、
しかしながら相撲は古来より神事であり、だからこそ行事は神官の衣装に威儀を正し、
土俵は塩で清められ(祓えたまへ清めたまひ)、女人禁制の神域として昇華される。

相撲を分からないわたくしが、素朴に感じるのは礼を心得た横綱と、そうでない
横綱の品性である。勝てばいいと思っている横綱の下品さ。目つきの、こすっからさ。
それを良しとする日本人もまた下卑ている。本来の日本人とはわたくしは思わない。
侵食洗脳された「もどき」であろう。

そして、平成となってからの皇室にもわたくしは同じ種類の危機感を感じている。
また眞子さまのご婚約のお相手を、海外からの出稼ぎ労働者レスラーと一緒にもできないだろうが、
土俵を神事の結界と心得ていぬ者たちと共通の下品さを感じてしまうのだ。

皇居における神事の大切さが見えぬ人は、大相撲における神事の大事も理解できぬ人。
そして、女性天皇擁立論者とだぶっているのではないか。

古来より日本に女性天皇はいた。しかしあくまでもそれは一時しのぎの「つなぎ」としての
存在であり、昨今の皇居内ですら主張されているらしい女性天皇擁立論とは一線を画する。
なぜなら、現在の内親王が天皇となるということは「女系」天皇になることを意味するからだ。

当たり前だが、女性天皇と女系天皇は違う。万世一系の男系を保ちつつの女性天皇と、男子の遺伝子を断ち切る(おざっぱな言い方だが)女系天皇とは象徴的意味でも、遺伝子的にも異なるのである。
そして、女性は神事には向いていない。生理出産でまず神事の安定性が保てぬこと、これはずっと指摘されていることだが、理解する人がまだ少ないように思う。
皇居内の神域には、明け暮れ神官と巫女たちが古代よりの忌み火を絶やさぬよう護りつつ、それは厳格な神道の則に添って日本の神を祀っているわけだが、祭祀をなさる天皇もまた斎戒沐浴の上、古代の裝束に身を固められ、正座したままの厳しい行を行われる。女性には務まらないのだ。
女性天皇擁立論者には、神事に何たるかが解っていず、また軽視もしているのだろうが天皇とはそもそも
「祭祀王」なのだ。日本の神官を統べる最大の神官が天皇なのである。天皇親修の祭祀が途絶えれば、もはやそこは皇居ではない。元々が武家のエリアであり、単にそれだけのこと、神々は去る。

その天皇の存在意義が近年、揺らいで本来の姿を見失いつつあるのではないだろうか。

皇室が神事を喪うことは、日本の精神と美意識と、そして礼で始まり礼で終わる「愛」の
喪失であろう。

「愛」とは日本本来の概念ではないけれど、敢えて。現代語で伝達する言葉が見当たらないゆえに。

そして敢えて更に付記するなら、女性天皇擁立論者の論点の一つが皇祖神「天照大神」は
女性であった、と。

本来神に、人間の肉体の差異、要するに性器の存在は希薄だけれど、しかし人間の次元で
解りやすくするために男性神、女性神という区分けはある。形而上の存在に人間の狭隘な
区分けで男女の性別など意味も無きこと。
その上で言わせて頂けば、本家本元の伊勢神宮に於ける天照大神は男性神でいらっしゃる。

国連という戦勝国連合、つまりは反日要素が相当ある組織が男女平等の見地から要らぬお世話で
女性天皇擁立を言って来るけれど、それに対しては「ローマ法王に言え」と押し返せばよろしい。

土俵が神域である、ということは日本人なら感性で解かる。そこに女性を上げよなどという
のは、日本の心を見失った蛮族の言である。女性(女系)天皇擁立論も同じことである。

 

誤変換他、不備は後ほど。


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