貴乃花親方が理事選に落ちたとかで、疎い私は、それでも
奇跡がありそうな気がしていて、その細い蜘蛛の糸にすがって応援していたのだけれど、
実に納得行かない。
選挙だろうに?
なぜ、公益法人の選挙に対して候補者たちのマニフェストが公表されない?
やったのは貴ノ花親方だけ。
身内の都合だけの、それも既得権益を護るための出来レース。
汚い、くだらない。
恥を知らない。
被害者側の親方が悪者として、でっち上げられ印象づけられ、本来は大相撲の「膿」が
のうのうと。
外来種の席巻は皇室も同じこと、と友人がちょっと一般には分かりづらい怒り方を
していたけれど。
相撲から公益法人を取り上げるべきだろう。単なる格闘技として外人レスラーを使いながら
儲け優先で進むのなら。
以下コメント欄にてご紹介頂いた。
http://www.sumo.or.jp/IrohaKyokaiInformation/detail?id=142
平成28年初場所土俵祭(フルバージョン)
これを神事と言わずして、なんと言う?
そして神官の装束の何という美意識! 白の清楚に、金と朱の華やぎを添えた。
白い清浄を際だたせるための黒が一抹、配されていて見事。
これが日本なのだ。日の丸に通じる簡素の豪奢。
大相撲を単なる格闘技に貶めたい輩がテレビで喋り倒しているが、不遜だろう。
一体、何の目的だ? 日本国の国体への毀損か、とすら時に大仰に不快の念を
抱くことがある。
横綱の「綱」は神社へ奉納される注連縄だと、コメント欄でご教示たまわった。
委細は知らぬ私が大相撲に口を挟むのは「蛮族の勢力」で押しひしがれる日本の心を
憂えるがゆえに。
日本から神事と神事的なるものを抜き取ったのが、戦勝国GHQである。
皇居における祭祀は、「天皇の私的行為」として格落ちさせられて
72年間が経過した。白い蛮族の脳裏では「スポーツ」の範疇であったがゆえに、相撲における
神事はお目こぼしされたのであろう。
(白い蛮族というのは神事圧殺の行為者への表現であり、人種差別の意図はない。神事を踏みにじる
外国人力士にも同じ憤りを感じている)
従来の日本の横綱と、昨今の「モンゴルレスラー」の目を見ると、ある差異が
歴然とあるように思うのは、贔屓の引き倒しか?
大鵬など「きれい」だと思う。
ずる賢い、計算高い目の卑しい表情の横綱が現れるようになった。
向田邦子さんがかつておっしゃった「巾着切の目」である。
(向田さんが相撲批判でこう表現されたわけではない)
拍子木が打ち鳴らされることにも刮目したい。
拍子木(柝)は歌舞伎でも打ち鳴らされる。相撲に用いられる拍子木は桜だそうで、いかにも
国技。
不勉強で知らぬが、あるいは拍子木は神社における柏手と共通して「音」で邪気を
祓う意味もあるのだろうか。
動画を見ていたら、以前樹木希林さんと亡き加藤治子さんと連れ立って、枡席で大相撲見物した
ことを思い出した。
一歩国技館内に足を踏み入れた私がまず、思ったのは館内に漂う淫蕩の雰囲気(悪しき意味ではない、
なにか官能的な)、なんだろうと考えたらお相撲さんたちの鬢付け油の匂いなのだった。
それに、上記男の色気ということでいえば、まさしく。画面では全く解らなかった色気を感じた。
白くて太った体に美意識を感じるタイプではないのだが、国技館に入った途端感性が
大相撲用に発動したのかもしれぬ。
加藤治子さんは「どちらも、負けるなー、どちらも勝てー」と可愛らしく叫び、めちゃくちゃな応援をしていらした。
NHKの中継カメラが私達3人を抜いて撮り、あとでご挨拶にいらしたのはいいが、私は当時
まさしくそのNHKの連ドラを抱えていた身、さぼって相撲見物に行き枡席でいい気分で日本酒を飲んでいたことが、全国放送でばれちまったとさ、という思い出つき。
余談に流れたが、大相撲は神事であり国技であることを思い出したい。
また天皇陛下は神事がベースにあってこその、日本の要でいらっしゃるのだということも。
一部のご不快を承知で敢えて申せば、大相撲と皇室の有りようがパラレルで本来の日本の精神から
逸れて行っているようで心が鎮まらぬ。
それが近代化であるグローバルであるとやら、なら私は要らない。
誤変換他、後ほど。