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美術品としての着物  日韓文化比較

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世界中に、歴史的価値という意味での衣類はたくさんあり、
贅を尽くした衣装というなら宝石など縫い込めばそれは
いくらでも作れるだろうが、布それ自体が美術品であり得る、
という意味でなら、和服が嚆矢であろう。

昔、気軽に誂えた百目亀甲の越後上布が、200万だか300万だかに
値上がりしたという話は書いた。それでも誂えた時は、それなりの
お値段だったはずですよ、と専門家は言うのだが30年以上
前のことで、良く覚えていない。
ただ仕立て上がりが届いた瞬間、体に電流が走ったような
感動を覚えたのは記憶に鮮やかである。

和服のことなど、皆目知らないのに着物が放つ生命力と品格に、
感応したのであろうか。

これをきっかけに、越後上布のことを調べたら昨年夏に誂えた
小千谷縮みの記述も対であった。双方、そうとう昔から
手間暇かけて織られていたようでそのことに感慨がある。

韓国がとにかく、何かにつけ自分の国が発祥であると言い立て、
侍から果ては俳句まで韓国発と言われるにいたっては、
萎えて物言う元気もなくすほどだが、しかし
彼らは、韓国が日本に文化をもたらしてやったというフィクションを
腹の底から信じているので、単なる朝貢使節であった
朝鮮通信使を半島の高い文化を、未開の日本にもたらしてやった
存在だと信じ込んでいて、ユネスコに登録しようとする意気込みで、
そこにまた協力を惜しまない日本の自治体がある。

町興しにそのイベントを利用するとか、それぞれ事情があってのことだろうから、それに対してとやかくは言わぬけれど、しかし歴史の真実は心得ておきたい。
当時の朝鮮使節団が書き残した「日東壮遊歌」という文献があるが、
それには、朝鮮通信使たちが自国に比べ、日本の文明度の高さに
驚嘆、そして妬んで憤っているさまがあからさまに書き記されている。

日本人なら、感嘆しそれに劣等感を抱こうと、妬み嫉(そね)みはそれに対して書かないだろう。少なくとも一昔前までの日本人なら。

単に事実を書くと、よろず悪口めくのが韓国の特色で・・・・という言い方
自体が悪口めいて心外なのだが、悪口を言う気はない。

再三申し上げているが、特に私の仕事ジャンルにおける
人々には私の尊敬措(お)く能(あた)わざる人々がいるし、言うところの
「嫌韓」などでありはしない。
ひところの、韓国の国策がからんだ芸能に対しては、懐疑的であるが。

それにしても、このところ対立軸としての「嫌韓」という言葉がひとり歩きして、
まっとうな批判ないしは事実指摘に至るまで「嫌韓」の一言で
くくられるのは問題の本質を見誤らせるのではないか。

それにしても、あの国に対しては不本意ながら、批判が多くなるのは事実。
私は嫌韓ではないが、とまわりくどい言い訳をしながらでないと、
批判しづらいというのもあの国の特殊性であろうか。

百済から影響を受けたのが奈良である、とかつてチェ・ジウの出ている
連ドラを見呆けていた時に、チェ・ジウの口からそのセリフが出て、
その一瞬は冷めた。百済は倭の統治国であったという説すら
あるほどで、それは措(お)くとしても百済と現在の韓国に直接の
相関性はない。

日韓の文化を比べるということをテーマに拙文を記し始めたが、
本意ではない。韓国以外に、一体どの国と文化度を比べたりなど
しよう? それというのも、韓国がむやみに日本と比べては、
韓国が秀でていると言い立てるので、つい防御の態勢で
身構えてしまうというのが、実情である。

一言で言えば身も蓋もないのだが、それほど優れた文化の国が、
なにゆえ、日韓併合時には世界の最貧国であったのか。

着物に則して言えば、美術品たる越後上布や、小千谷縮みに相当する
チマチョゴリがないのは、なぜだ。朝鮮自らが「白衣民族」と称して来たように、
色彩すら乏しかったのだ。若い女性が赤いチマ、中年が藍色、高齢になるとあさぎや灰色がせいぜい。
染料の文化がなく、貴族階級が色を楽しんでいたに過ぎない。
原色が多いチマチョゴリへと変化したのは、日韓併合後で明らかに
和服の影響であった。

現在、韓流の時代劇で見る如き華やかさは、あれは和服のテイストなのである。
韓国はそれを躍起に否定すると思われるが、当時の文献を見ればいい。
それまでの韓国の被服史にはなかった細かい細工が施された華やかなチマチョゴリを彼ら自身が「倭色」として、日本流であることを認めている。

かつて教科書から日本の古代史が削除されたが、原始時代から日本は
すでに衣類の文化を有していた。歴史は長く、さればこそ布自体が
一つの美術品たる域に達しているのである。

上布は、天平の時代にまで遡り、天平3年(731年)に越後の国から朝廷に献上された「越布」が、正倉院に納められているから、歴史は更に遡るということである。思えば凄いことであり、本来の日本文化の凄みがここにある。

鎌倉時代には「吾妻鏡」に上布の記録はある。

東の越後、西の宮古と言われる如く、上布の生産は南から新潟を北限として
行われて来た。

越後上布の重要無形文化財指定の要件は次の通りである。

 

一 すべて苧麻を手うみした糸を使用すること。 二 絣模様を付ける場合は、手くびりによること。 三 いざり機で織ること。 四 しぼとりをする場合は、湯もみ、足ぶみによること。 五 さらしは、雪ざらしによること。

何という丹精の込め方であろうか。
布1枚にこれだけの、手間暇をかける日本人の美的感受性の素晴らしさ!

一つの美を手に入れるのに、日本人の根気の凄さ。

とりわけ、雪ざらしするくだりに私は気が遠くなるほどの嬉しさを・・・・・
それは恍惚感と表現してもいいのかもしれない。日本人であることの
喜びが噴き上げるのだ。

「この国に生まれてよかった」!!

日本人の繊細さが失せれば、着物も息絶える。

これらの光景を見ると、私は危うく涙ぐみそうになる。私の中の
「日本人」が感応するようだ。

画像は小千谷市のHPから拝借した。

http://www.city.ojiya.niigata.jp/soshiki/shogai/ojiyachijimi-bunkaisan.html

 

http://snow-country.jp/?a=usefuldetail&id=196&catid=1

 

雪国観光圏さんのHPより

 

http://snow-country.jp/?a=usefuldetail&id=196&catid=1

(抜粋)雪晒しとは、織り上げた布を雪原の上に広げてお日様に晒すこと。越後上布を作る上でなくてはならない行程で、真っ白な雪原に布が晒された光景は雪国ならではといえます。

 

雪晒しは、晴れる日が多い二月中旬と三月下旬あたりに行われます。雪晒しによって汚れを落とすとよく言いますが、主にかすりの色汚れや使用して出来た黄ばみを雪に晒して漂泊することを指しています。これは雪が融けるとき、オゾンというものが発生して食物性繊維を漂白する働きを利用したものです。反物の品物の種類や汚れによって日数も違ってきますが、通常約1週間くらい晒します。

 

『雪中に糸となし、雪中に織り、雪水にそそぎ、雪上に晒す。雪ありて縮あり、されば越後縮は雪と人と気力相半ばして、名産の名あり。魚沼郡の雪は縮の親といふべし。』(北越雪譜より)

小千谷縮 苧績み

着物を着ると丹田に意識が行き、背筋が伸びる。椅子に座っても背もたれに寄りかからず、足も組まない。自ずと食事の作法も美しくなる。これが本来の日本人であろうと、私は思う。

また着物まとう時には、床が清浄でなければならない。足袋裏が汚れるような
部屋を着物は好まず、従って環境も清浄になる。

私は韓国映画やドラマをわりに見るほうだが、食事のシーンだけは半ば目を背けている。その国の風習と言って、割り切れない何かなのだ。
たとえば、インド人がご飯を手で食べる。それは風習のレベルで、
他国がとかく言うことではない。

だが韓国の場合は・・・・・。

日韓のみならず、どちらの文化が優れて一方が劣っているなどと比べる習慣は
おそらく私のみならず、日本人は持っていないと思うが、韓国が余りにも言い立てるので、ついこちらもいいたくなってしまうのである。とりわけ、韓国が日本に文化を教えてやったは、失笑するばかりであるが、あいにくそれを信じこむ日本人がいる。
安倍総理もそうである。この方の著書、「新しい国へ」を拝読して、その政治外交姿勢は興味深かったのだが、日本が韓国から文化を頂いたという、韓国に関する記述だけは間違いである。もし本気で信じていらっしゃるなら、今どきの言葉で言う「お花畑」であらせられよう。
「韓国は日本と同じ法治国家で価値観を同じくする」も、これ真面目にお書きになっていらっしゃるのだろうか。
盗んだ仏像は返して来ぬし、産経新聞の前支局長はもう半年拘束状態、
法廷に出れば、ヘイト・スピーチの怒号の嵐、車には玉子がぶつけられる。
水泳選手の裁判には、通訳すらつかぬ。これは人治国家ではなかろうか。

奥方に至っては、言葉も無い。朝鮮通信使に肩入れなさるのはいいが、正確な
歴史を把握なさってからにして頂きたいのだ。

安倍総理の全否定ではない、念のため。肯定すべき点は心得ての話である。

 


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