コン・ユ出演の邦画を、やっと見た。
監督の出演俳優への思い入れは、登場のさせ方に出るもので、
どうでもいいと思っている俳優の出方は、正直にどーでもいい
写しかたになるもので、中国映画の「初恋のきた道」は
女優ばかりをカメラが追いかけて、相手の男がそっけなく
どーーーでもよく撮られていて、その正直な現金さに
思わず笑ったのだったが。
しかし、恋愛映画って女子が多く見るものなので、男優を
きちんと、きれいに撮らないと、中国の監督さん。
あなたの惚れた女優ばかりを夢中で撮っても
観客の女子は、相手の男にバーチャルな自分を託して
心地よく酔うのだから、あんな顔もろくに見えないー笑
ー写し方では。
さてコン・ユの登場シーンであるが、何と
「手」であった。
しなやかな長い指の優雅な手の動き から入るのである。
にやりとした。
この監督、よ~見てるな~と。
手だけでコン・ユと解る手、指、爪。
今世界で一番美しい、男の手だろう。
およそ日常の匂いがしない、手。
ゴミを出したり計算機を叩いたりしない手。
愛の仕草だけのためにある手。
誰にも等しく老いは来るので、いずれ手にも凋落は来るとしても、
あの手の輝きはスクリーンに留まる。
顔は・・・・不思議な顔だ。
韓国の俳優の顔は現地系と、日本人ふうと二手に分かれるが、
コン・ユはどちらにも属さないと思われる。
スーッと眦の切れ上がった・・・どこの顔だろう‥‥・・と考えて、あっと思い当たった。仏像の顔なのである。
突拍子もないことを言うが、輪廻転生を多く重ねた
深い広い魂を宿した顔。
怒っても笑っても、醜くならない顔。何を表現しても透明で濁らない。
下品に堕さない。
コン・ユとは別に、このところ韓国の俳優さんたちの芝居をずっと見てて、
パワフル人たちが多いので、実は日本と比較してややめげていた。
しかしコン・ユ出演映画の日本人俳優さんたちはそれなりに、よかったので
いくらかホッとした。
韓国の人は感情のテンションが高いせいか、芝居が独特なのである。
後感じるのは市場が狭いので、俳優、監督、脚本家軒並み生き残るのに
必死でその迫力も感じる。
褒め称えつつしかし・・・・韓国には小津安二郎がまだ出ていない。
溝口健二も。
娯楽としての映画は大変元気がいいが、アートとしての映画はまだ。
娯楽も黒澤ほど世界を魅了するには至っていない。
ただ日本でもアートとしての映画の命脈は絶えているので、それが今という時代なのかもしれない。