御霊祭りに灯籠を奉納、靖国神社敷地内での国民決起集会で下手なスピーチなど、
その程度のご縁でしかないが、新宮司になられた小堀邦夫氏の言葉が
賛否、激論を巻き起こしているようだ。
その言葉の真偽がまだ確定的な段階でもなさそうなので、そこへの
論評は差し控えるが、わたくし個人の思いを正直に述べるなら、
神社内の応接室に通され、その時天皇陛下行幸の際の
お部屋を表から見せて頂き、毎日清らかに拭き清めている、
というお話をうかがい、「待ち焦がれていらっしゃるのだなあ」と
素朴に感じた。
椅子や卓はなく、それは行幸の際に宮中から運んで来るそうで、
しかし、その椅子も卓ももはや奥深くしまわれたきりなのだろう、とも
思った。
春秋の例大祭にお招きを頂戴し、天皇陛下の勅使である人達の古代衣装に
身を荘厳したそのさまに、ほっとしながらも肝心な方のお姿が
ないことに一抹の物足りなさも覚えた。
英霊のお御霊もわたくしども来賓の一握りのご供養より、
天皇陛下のお姿一つに深く慰霊されるのであろう、とも思ったと
それは率直な感想である。
何かのお招きの折り、直会で前宮司でいらした徳川康久氏のお隣の
席に座らせていただいたが、さしたる言葉は交わしていない。
新宮司でいらっしゃる小堀邦夫氏には、お目にかかれば
話がはずむであろうと思われる・・・というのは今回の発言の有無とは別に、
「神宮祭祀・神宮制度史・式年遷宮制度史・神宮教学などを基本に、神宮から未来へのメッセージ」を語っていらっしゃるとその経歴にあり、その「神宮から未来へのメッセージ」という箇所にいたく興味をそそられたのだ。
というのも、キリスト教文明その他の宗教を基盤とする文明が行き詰まっている
現在、ひょっとしたら神道にこそ活路があるのではないか、と常々思って
いるからだ。
日本人はもはや神事を人任せにする時代は去り、個々ひとりひとりが
SOMETHING GREATとじかに結びつく時代の到来ではなかろうか、
というわたくしの持論への感想もうかがってみたいのだ。
誤変換他、後ほど。