初めて行く整体さんのところで、施術しながら
「物書きさんですか?」と訊かれ、そういう特殊な
骨の歪み方でもしてるのかと思ったら、
井沢満をご存知の方だった。
こういう時、60秒間ほど何となく居心地が悪い。
ただ、内心で(あ、井沢満だ)と思われつつ、黙っていられるよりはいい。
この感覚、どう説明したらよろしいか、相手はあなたのことを情報込みで知っているが、あなたは、相手には初対面。何も知らない。
旅先で開放感を味わうのは、あなたを誰も知らないからだ。
知られているからこそ、言動を律しもする。
大体、人なんて体面を気にしなければしどけなくなりがちなのであるから。
本当に有名な人は慣れているのでそれなりに視線もかわしつつ、
普段から顔も洗わぬまま、ぞろっと外を歩く事も無く暮らしているのであろうが、
私のような何百人のうち一人が知っているかな、という程度の者が一番
視線に不慣れなんで、戸惑うのである。
近くだし、ま、いいかと酷い姿で表にふらりと出たら、誰かがそれを
目撃していて、「井沢満さんを、どこそこで見かけたと、誰それが
言ってましたよ」ととんでもない後日、人から言われアララとめげることがある。
クリーニング屋も困ることの一つで、ひところ半端にテレビに顔を
さらしていたもので、名も言わぬのにさらさら名前を書かれ、
さあ、そうすると汚れ物が実に出しづらく、洗濯に出すものから
余りヨゴレの酷いものは除く、という本末転倒なこともある。
わざわざ店を変えたのに、またそこでも「俳句王国見てましたよ」と
言われたりする。
シーツに変なシミがあったりすると、出せない。
飼い犬たちが当時一緒に寝ていたので、色んなシミヨゴレがつくのであるが、
「これ、犬達が」とわざわざ言うのも、怪しいではないか。
ほんとは、あんただろ、と思われるような気がして。
日常、むっとして本来なら怒鳴りたいところ、相手が自分を知っているかと
ふと脳裏をよぎり、がまんしてしまうこともある。
テレビに出ることも少なくなったので、もうそろそろいいかな、と油断して
ゾロリとした格好で、整体に出かけたら言われたので、アララと思いつつ
書いている。