昔から、他人と何かの感動を共有、おおっぴらに表現することが
不得手で、これは幼児期体験(インナーチャイルド)による、
と修行に出かけたインドで僧侶に言われたが、そうかもしれない。
だから、サッカーや野球に打って一丸、声をからし応援、ごひいきチームが
勝てば抱き合って喜ぶというごとき光景がずっと解らずに来た。
しかし、生まれて初めて人々と感動を共有、連帯する喜びを教えてくれたのが
「ボヘミアン・ラプソディ」であった。映画館にかかってから、もう
2ヶ月近くになろうというのに、さっき他の映画の演目を漁りに
公開中のサイトを眺めていたら同じビル内数館で上映されているのにもかかわらず
「胸アツ応援上映」を含めて残席わずか、の表示。
昨夜、やはり日本びいきの女性シンガーが主演している映画を
見に出かけたのだが、これが退屈で・・・・。そのシンガーを
私は好きだし、彫刻的な意味での美貌の持ち主なのだが、
アップの顔を観ているだけで満足というのは、古い古い話で
恐縮だが、マリリン・モンロー、エリザベス・テイラー、
オードリーヘップバーンで、私は過去完了形なのだ。
そして、ロック。TCXの巨大画面で観たのだが、音響もドルビー・サウンドで、
のっけに流れる巨大音声のロックに耳を塞ぎたかった。
なにごとによらず、いったんは胸の内に無批判に取り入れるだけの
柔軟さを持ちたいと願っているのだが、ロックはやはりダメだった。
なぜクィーンの楽曲がまっすぐ胸に届くのか、解らない。
強いて分析すれば、オペラという古典にその基盤を置いたり、
ギターの奏法に津軽三味線を取り入れたりのダイナミックな
曲想だからかもしれない。日本独自のヨナ抜き音階を使用した曲には
日本人としての郷愁さえそそられる。
女性シンガーも歌唱力が圧倒的なのだが、フレディ・マーキュリーの
歌声が私の耳には残響で住み着いてしまっていて、いまだ不意に鳴り響き、
動画で追いかけては、初めて聴く曲に涙している有様である。
昨夜は、実はその「胸アツ」に再び浸りたく、上映スケジュールを
チェックしたら、思い立った時間に上映されていず、それで
予告編で興味がなくもなかった、女性シンガー主演作を
観に行ったしだい。退屈だったが、しかし技術的なことで
学ぶ点はあった。この間の化け物映画とは違い。
要所要所でうたた寝することもなく、しかしかえってそれがしんどかった
のだが。上映中の暗がりで席を立つ勇気がない。ひょっとしたら、
感動しているお客さんもいるかもしれないし、そこへ水を差すのも
気が引けるので。館内の空気は、ボヘミアン・ラプソディの時のように
熱気で密度が高くなるということもなかったように思うが、
映画に浸れなかった私の偏見かもしれない。
映画は見始めると癖になる。この際、お勉強も兼ねて2作品ほど観ておこうと
思い立ち、上映中の映画を調べたらマリア・カラスを取り上げたものと、
若者向けのコミカルなラブストーリーの2作品がアンテナに
引っかかった。どちらかというとマリア・カラスに針は触れているのだが。
まだ決めてはいない。時間の組み合わせが上手く行けば2作品を
連続で観るというてもある。
3作品を続けて観たこともあるから、2作品なら軽い。
楽しみが勉強にもなるという職種でよかった。