朝、ベッドでテレビのニュースを見ていたら、八千草薫さんの
お顔が大写しになりドキッとしたのだが、ガンだという
ことであった。
急を告げるような内容でもなさそうだったので、ほっとしたのだが
お食事を共にしたのがもう、4,5年前になるだろうか。
「母。わが子へ」というドラマでご一緒した後、
きれいな文字の書簡を頂き、これはこの年代の女優さん
特有で、ドラマが作家性を大事にしていた時代を
ご存知だからだろう、そういえば草笛光子さんも
そうだった。
八千草さんとは、二度実は仕事が実らなかったことがあり、
一度目は、八千草さんを主演でというドラマ企画だったが、
私があることでつむじを曲げ、書く前に降りたことがあり、
だがこれは八千草さんのせいではない。
二度目が「夏休みのサンタさん」というドラマで
渡哲也さんといしだあゆみさん、安達祐実さんに
出ていただいたドラマだが、渡さんの母親役に
八千草さんがキャステイングされた。
ところが、台本を読んだ八千草さんがこれは、やれない、と
おっしゃる。
二度のご縁で最初は私が降板、二度目は八千草さんからである。
老いつつある母親が息子夫婦の家を出て、自ら北海道の
老人ホームに入ってしまうという話なのだが、家を出る
きっかけというのが失禁で、夜中に風呂場でひっそり
シーツを洗うシーンを私は書いた。
八千草さんが抵抗を示されたのは、そのくだりであった。
その時は残念だったのだが、しかし時が経ち冷静に
なってみると、八千草さんはある年代の男たちの
永遠のアイドルなのであり、そのイメージを
お守りになりたかったのかもしれない、ファンの
男たちのために。
そしてようやく三度目の正直が「母。わが子へ」であり、
これは何かの賞を頂いた。八千草さんは脚本に
込めた思いと狙いをそのまま正確に受け止めて演じてくださり、
さすがだと唸った。若い頃イタリアのチネチッタ撮影所で
撮った「蝶々夫人」出演の折の、おそらく外には
お話になってはいないであろう逸話を聞かせてくださり、
そのうちまたお食事をと思っているうち、諸事に
取り紛れて機会を失ってしまった。
八千草さんが降りた「夏休みのサンタさん」は草笛光子さんが
演ってくださった。
お二人ともにお若く、そして美しくいつまでも仕事の現役で
いらっしゃり、「美しく」のほうはともかく健康と
仕事上の長寿ということで、お二人とも私の密かな
お手本だったので、八千草さんが病を得られたことは
少々、ショックだったりもしている。テレビで知ったのだが、
八十五歳だそうである。
八千草さんだったか草笛さんだったか忘れたが、あるいは
他の女優さんだったのか、記憶がおぼろなのだが
私が朝のテレビ小説を三度も書いているのになぜ大河を
書かないの、と訊かれたことがある。
オファーは頂いたのだが、辞退したのだ。
西郷隆盛だと聞いておそれをなしたのだ。
「お札の顔になるような偉人は書けない」という
意味のことをおっしゃったのは向田邦子さんだが、
私も似たようなことである。教科書に載るような
人物はどうも、ある意味「大味」で関心が
湧かないのだ。書いて書けないことはなかろうが、
打診を受けた時、忙しい最中で健康を損ねていたこともあり、
大変お世話になった方からの依頼であったので、
辞退は辛かったのだが、勘弁して頂いた。
西郷隆盛は、近年のそれではなく随分以前のそれである。
テレビに写った顔で、ドキッとした人はもう一人いる。
私が親しくしているある男優さんの実子ではなかった、
ということで話題になったその「子」が警察署から
出てくるその姿に、胸をつかれた・・・・というのは、私が
会ったのはまだ5歳かそこらであったと思うのだが
面影から華奢な体つきから、その時のままであったからだ。
まだ男優さんが自分の子だと信じて男手で懸命に育てていた頃であり
(すでに離婚していた)、その男優さんと夜、久々に
会おうということになり「今日は実家の母がいないので、
息子を置いて外出出来ないんだけど、満さんには会いたいし・・・
息子を連れて行っていいかな」というので、どうぞどうぞ、
ということで、子連れで会ったのだった。
別れ際しばし見送ったのだが、父子が夜道を手をつないで遠ざかる
後ろ姿のシルエットがいまだ目の中にある。
切ないことである。
入院なさっている八千草さんに、今度は私が手紙を書かねばならないのだが、
お手紙も年賀状も整理ベタで散逸していて見つけるのがおおごとである。
メガネ3つ、オペラグラス、長襦袢、コート他あれこれ行方不明のまま暮らしている未整理の室内を今年は少しスッキリさせようと思う。
八千草さんのお手紙を探しつつ、少しずつ整理整頓したい。