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Channel: 井沢満ブログ
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「全然」という言葉の由来

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内館牧子の小説に触れ、「・・・のほう」や「・・・・になります」
という言葉の気色悪い使用について書いたら
コメント欄「のほうに」以上の2つに加え、「・・・の形」
もそうである、とご意見を頂き、これも、もっともなことである。
ご丁寧に3つ重ねて使うとするなら「これが当日券のほうになりますが、払い戻しのほうは出来ないという形になります」

「みたいな」も耳障りな言葉である。「これが一番嬉しい、みたいな?」
とわざわざ疑問形で尻上がりにするのも聞き苦しい。
すでに定着して久しいが、知性に秀でた人がこれを用いているのを
耳にしたことがない。

昔、「他人事」と脚本に書き仕上がったものを見たらある役者が
「たにんごと」と言っていたので、そこだけ録音し直してもらい
「ひとごと」としてオンエアしたことがあるが、最近
どうも「たにんごと」が定着しつつあるようだ。

「全然」という言葉については元来、肯定形に連なる言葉として
使用されていた時代もあることは、知っておきたい。

ネットで調べた使用例に過ぎないが、

・「一体生徒が全然悪いです」(夏目漱石「坊っちゃん」明治39年)
・「全然、自分の意志に支配されている」(芥川龍之介「羅生門」大正4年)

昭和初期までは「全然OK」というごとき使い方も間違いでは
なかった。

それがある時代から、辞書にも否定形と共に用いると記述され、しかし
後に、「明治・大正期には、もともと『すべて』『すっかり』の意で肯定表現にも用いられていたが、次第に打ち消しを伴う用法が強く意識されるようになった」と追記されるようになっている。

言葉も生き物なので、一つの意味を帯びて定着したらそれに
従うほうが、暮らしの中では無難かもしれない。

全然+肯定形を用いて、腹の中で(間違ってる)と思われる
使い方を敢えてすることはないと思う。言葉に出して注意され、それが間違いだとして小さな演説をぶつのも対人関係に円滑を欠く。

ただ、由来は知っておきたい。

あと、「韓流」を「はんりゅう」と言わせる風潮。なぜ
韓国語と日本語を抱き合わせにするのか、これも気持ちが
悪く、間違っていると思われるのを承知で私は
「かんりゅう」と日本語読みして抵抗している。
それでも、もう定着した言葉に抗うのもくたびれて
「はんりゅう」と言うこともあるが、言った口をアルコール消毒
したくなる。「流」は韓国語でも「りゅう」だそうだが
韓流を読む時は「はんにゅ」となるふうに聞いた。

化粧品用語の「テクスチャ」も不得手。「感触」や「質感」で
何の不都合があるのだろう?


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