グラミー賞とアカデミー賞の作品賞を得た「グリーン・ブック」を
観てきた。
黒人ヘイトのイタリア系アメリカ男が、黒人のピアニストに
雇われ、南部のコンサートを巡るうち、自らも
その出自のせいで侮辱を受けたりなどしながら
差別の不当に目覚め、その黒人ピアニストと
終生の友情を結ぶ、というごとき物語で
実話をベースに脚色された話である。
besed on true story ではなくinspired by true storyと
表記されている。
ユーモアも適宜に施され、脚本も巧みで(脚本賞も得ている)
退屈はしないのだが、内心(しかし、なぜボヘミアン・ラプソディが
作品賞ではなかったのか・・・・)と思いながら観ていた。
ところが、ラストの1分が鮮やかで、これは先の作品賞受賞作
「ムーンライト」でも同じ。こちらも黒人差別に加えゲイヘイトが
かぶさっての物語だったが(あ、いや、そう書いて思い出したのだが、
グリーン・ブックのピアニストも人種差別に加え、ゲイヘイトの
中を生きているのだった)。ムーンライトも退屈はしないが、なんだかなぁ、
「ラ・ラ・ランド」を押さえて受賞するほどかなあ、と思いつつ
観ていたのだが、ラストの数分間のキレのよさに、ああこの
ラストに向けての作品は作られたのだな、ということが
よく解り、なるほど「ラ・ラ・ランド」よりこちらが
深みに於いて勝る、と思ったのだった。ムーンライトは
結局、屈折した二人ながら、純愛物語だった。ラストの
1分間でそれが痛切に迫る。
ところで、グリーン・ブックの主人公はのべつ煙草を吸う。
幼い子供を腕に抱いたまま、喫煙する。
それを観ながら脳裏をよぎったのは、大河ドラマの喫煙シーンに
抗議を寄せた人々は、この映画にもクレームをつけるのか、
ということだった。
私は大河ドラマのほうは観てないが、明治から始まり1960年台で
終わるなら、喫煙は当時の日常である。国際線の飛行機内でも
ナイトショーの映画館でも紫煙が立ち込め、大人は赤ん坊の
前でも吸っていた。そのことの良し悪しではなく、単に事実として
その時代にあった。映画もドラマも喫煙の薦めでもなければ
受動喫煙の害を否定するものでもなく時代の「表現」として
描いているだけのことだ。
私も「母。わが子へ」というドラマで、喫煙シーンを書いた。
それに対してもクレームが来て、たまげた。
そのドラマ内における喫煙者は路上喫煙を注意され、
生まれて来る子供のために禁煙するという運びなのだが
喫煙シーン自体がいけないという。喫煙肯定で
書いたのでもなければ否定で書いたのでもない。
ドラマに保健の教科書や、道徳読本を求める人達がいる。
NHKに抗議を寄せた人達は、流血シーンのようなものは
画面で規制をかけるのに、喫煙シーンを控えないとは
何事か、というのだが流血などという「非日常」と、その時代においては
単なる生活風景であった「日常描写」と同じ俎上に上げるのは
ロジックの混同であろう。
大河ドラマは明治期に始まり、1960年台で終わるらしいが
「グリーン・ブック」も1960年台が舞台である。だから
当時の風俗を描くのに、煙草はひっきりなしに現れる。
戦時中、時局柄、晴れ着の袂がけしからんと人の着物に
ハサミを入れるごとき極端なことがあったらしいが、
「正義」というゴールを目指して、視野を狭めるブリンカー (ブラインダー) をつけられた競争馬みたいな人達だな、と思う。
喫煙などという時代のリアリティの細部表現に謝罪せよと詰め寄る人達は、
捏造史観に基づく、とんでもない日本毀損番組(少なくはない)に
声を上げる人達だろうか?