ヌレエフの再来と言われるセルゲイ・ポルーニンの、ドキュメントを見た。
バレエダンサーとしてのその飛翔にも近い跳躍力と優美な動きに
感嘆したのだが、その栄光と引き換えに彼が払った代償も
大きい。
ステージに立つ前に、心臓の薬、鎮痛剤、強壮剤を喉に流し込む
彼の姿は、いずれ滅びの時を予感させ痛ましいのだが、
それは凡夫のつまらない感想で、身を贄にミューズに捧げ
刹那の動きで永遠を刻むその至福を誰が阻止出来よう。
その天才ダンサー、セルゲイ・ポルーニンはいつしか
英才教育を施した母を憎むようになる。
朝から晩まで、ダンスの練習を強要、踊り続けた自分に
青春がなかった、と恨むのだ。
その母には母の思いがあり、生まれ落ちた時から股関節が
並外れて柔らかい我が子に、母親の直感でダンサーとしての
資質を感じ、すべてを息子に捧げ一流のダンサーに仕立てあげるべく
働き通し、夫は海外に出稼ぎに出てこちらも息子一筋に
生きる。
だが、そういう生活形態が夫婦の離婚という帰結で終わり、
家族がいつか一緒に暮らせる日が来ることを支えに故郷ロシアを
少年の頃離れ、ロンドンで頑張っていたセルゲイの
心を折ってしまい、ロイヤルバレー団のプリンシパルの地位を棄てさせるに
至る。
セルゲイが持てなかった凡庸の徒の青春期など、彼が思うほど
輝かしいものでありはしない。彼が凡人のみすぼらしい青春と
引き換えに得た、目もくらむ名声となかんずくステージで得る
一瞬の、しかし永遠に通じる恍惚に比べれば、白鳥が
カエルを羨むようなものである。
青春期を人並みに楽しんだ凡夫たちは、いずれ名もなき
墓の一群にまぎれるだけだが、セルゲイの飛翔は星を
つかみ、そのまばゆい残像は長く残る。
母は母の思いがあり、自分が放任主義で親に育てられたことを
怨みに思っている。何事か一筋に幼年期から打ち込んでさえ
いたら、世間から頭一つ抜け出た存在になり得たのに、
という思いでもあろうか。
こうして父も母も、そして祖父祖母もすべてをセルゲイに捧げるのだが、
そのことが一家をバラバラにすることになり、セルゲイはそれを怨み、
公演に家族を呼び寄せることはなかった。
がドキュメント映画の最終章で、セルゲイは父母、祖父母を初めて
公演に招き抱擁する。
私など、親が私の乏しい才能の切れ端でも見抜いてくれて一筋の
道を進むよう導いていてくれたら、つまらない並の青春期など
棄ててもよかった、と思うのだがいざそうなっていたら
親を謗るのかも知れない。私は国語の成績だけは図抜けてよかったのだが
親は「日本語など日本人なら出来て当たり前」というような人たちだった。
体を用いる領域ではないので、そういう意味での些細な”逆境”は
物書きとしてはかえってよかったのかもしれない。
セルゲイの父母、特に母親はその跳躍としなやかにたわむ身体とで
神を見せる息子を世間に捧げるために生まれた巫女であったかもしれない。
もしセルゲイの母が英才教育をセルゲイに強いていなければ、
世界はセルゲイを見ることが出来なかった。
あるいは前世の約束事で母親が”悪役”を買って出たかとも
思うのだが、それはお互い死後に解かることである。
私がもし幼児期からやり直すことが出来るなら、自身で
英才教育を強いる。人が一心に一筋に生き貫くなら、どの領域であれ、
神の道に通じる。