コロナ騒ぎも永遠に続くわけではない。マスコミの煽る過度の危機感に巻き込まれたくないし,
気の塞ぐ報道ばかりだということもあり、ウィルス報道が突出したニュースは極力見る時間を少なくしているのだが、
ついつけてしまったテレビに映っていたのが、宝塚劇場前にいる中年女へのインタビューで、「家族に謝ってやって来ました」と笑みさえ浮かべてのコメントである。宝塚歌劇ならではの魅力は承知しているし熱く浸るファンの気持ちは理解していることは、先稿で述べたが、それでもこの女性の平然とした様子にため息が漏れた。
カメラ正面に顔をさらしてのコメントだから、さして後ろめたさも感じていないのだろう。
宝塚劇場とそこに群がるファンに向ける世間の視線が呆れから怒りと侮蔑を含んだ冷笑に変わりつつあるその空気感にも、気づいていないのだろう。
しかし宝塚見物に来るにあたり家族に謝るほどの良心はあるのだろう、しかし謝るべきは家族の他に日本に住む全ての人たちに対してであり、「武漢ウイルス」に苦しみ、その対処に疲弊しつつある世界中の人々にも詫びが必要だろう。と言ってもピンと来ないだろうか。
今は幼い子供たちまで辛抱をして耐えている時期であり、店も企業も追い詰められつつありそれは日本のみにとどまらない。五輪への飛び火も傷を負うのは日本国民ばかりではないのだ、この時期世界は緊密に結びつき連動しているのだ。宝塚劇場前の女性にとっては、宝塚の舞台さえ見られれば東京五輪も世界も医療システム崩壊も どうでもよいことなのだろうか。
「武漢ウィルス」の本当の脅威は、入院を必要とする患者数が増えすぎ、医療システムが容易に崩壊する恐れがあることだという。
個人個人の防衛意識が今は必要な時期であり、
個人の迂闊さが世界規模に伝播してパンデミックになりつつあることを自覚できる知性と広い視野を持ちたい。
難しいことをする必要はない。多くが心掛ているように不要不急の人混みには出ないよう、少々の欲望には我慢して一定期間耐えるだけのことである。
目に余るので少々きつめに言わせていただく。見たいという目先の欲望に屈して人の迷惑と不安・困窮、痛みを顧みず欲望の対象へと突っ走る己の姿が浅ましい、という自省はないだろうか。大切であろう宝塚の名をも貶める。トップスターさんに「正しいうがいの仕方」などステージでさせては、いけないよ。世間は後ろめたさへの言い訳に劇団側が指示したかと邪推する。サーモグラフィー設置や消毒液の吹きかけも姑息なパーフォーマンスとしか捉えていないように。マスクも免罪符にはならない。マスクをしていた医師が飛沫感染している。日本中が我慢しているときに娯楽のために密閉空間に大挙押し寄せる、そのこと自体に眉が顰められている。
ライブハウスやスポーツ観戦のように観客に激しい動きはないが、ステージでの動きは相当激しい。頑張っている「生徒」さんたちのためにもどうぞ自粛をとこれは劇団側に言うべきことなのかもしれない。いずれリスクの水域は下がるのだ。その時再び華やかに幕を開ければいい。金儲けのために公演を強行したというのが世間一般の見方であり、夢を振りまく宝塚とすれば味気ない。
武漢ウィルスを乗り切るには、日本国民のみならず世界との連帯が必要な時期である
なぜWHO理事長地名を用いるなという提言に逆らって「武漢ウィルス」と表現するのかも、先の稿で説明した。 習近平国家主席と癒着、中国マネーに転んだテドロス・アダノム理事長も、元の紙幣を火種にパンデミックの導火線に火をつけた一人だが、そのさもしい理事長が「ウィルスに地名をかぶせるな」と世界を牽制した。発生源中国へのおもねりである。こういう人物が言うことに唯々諾々と従うことはない。
将来同じ轍を踏まぬためにも今後も末永く「武漢ウィルス」でいいと思う。
世界保健機関WHO」は「人間の健康を基本的人権の一つとして捉えた国際連合の機関である。国連システムの中にあって保健について指示を与え、調整する機関だが、さてその国連自体で中国が幅を利かせ 韓国人を含めた対日本工作が行われている清潔とはいい難い組織に成り下がっている。
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拙文中の瑕疵については後ほど