以前、長期入院を余儀なくされている子供たちに焦点を当てた連続ドラマを書いた時、某大病院を取材に訪れ、白衣を着せていただき、院内を歩き、手術中のオペに片隅で立ち会った。(かなり以前のことで、現在では無理だろう)
コロナでの自粛が続く中、育ち盛りの子供たち(もその親も)しんどいだろうと思いつつ、子供たちが多く入院しているその病院取材のことを思い出した。
自粛も何も、病院の一室から出られない子もいて、さらに幼い子まで含めて病気と治療の痛みに耐えている。
切ないのは先がこれといって見えない子たちもいることだ。コロナによる自粛にはいずれ出口の明かりが見える。
こういう子たちを思うとき、大人が「自粛疲れ」と言ってのけることの贅沢さ。
現世は時に苦しい。
病院取材の折には、保育器の中の赤ちゃんたちも見せて頂き、中に生まれつき不自由な赤ちゃんがいた。
その子には親も会いには来ないと聞いて、保育器の中で小さく丸まっている姿に言葉を失った。
それ以来親ごさんがわが子への不満を漏らすのを聞くと「元気ならそれで十分」「社会的悪事をしなきゃそれだけで素晴らしい子」と言い続けている。
これは人から聞いた話なのだが、入院中だったその人が中庭に出るとベンチに少年が座っているので話しかけたら中学一年生で「あと1年の命です」と淡々と答えたという。
医師が余命をその年齢の子に告げることはないのだろうが、その子はある私立名門で学んでいたので ドイツ語を他言語と共に履修していて、ドイツ語で交わされる医師たちの会話の内容の断片から自らの状態を悟ったのだった。少年の表情は穏やかで静かだったという。
余命を医師から密かに告げられていたであろう親御さんもどんな思いでいらしたか。
知人がその少年と話を交わしたのは10年ほど前だというから、奇跡でも生じていなければ、もうこの三次元にはとどまっていず、天の住人であろう。
その子の聡さから、自分が余命を知ってしまったことを両親には黙っていたのではないだろうか、おそらく何も言わず去ったかと想像する。
その話を私が聞いたのもご縁には違いない。ご冥福を心よりお祈りする。
病室から一歩も出られない子供たちが今もひっそりと耐えている。 病室から出られないどころか、ベッドで身じろぎすらできないでいる大人も、いる。
自粛は子供だけではなく大人も大変だが、たとえ室内であろうと、自由に歩けて自力で食べられることのありがたさを時に思いたい。