「アジアトゥデイ」という韓国紙が、日経新聞の記事を引用して記事を掲げた。
日本経済新聞(日経)は6日、社説で、「世界で愛される日本食」「高レベルのアニメーション」「小学生が一人で買い物をすることができるレベルの治安」で「街がきれい」と、些細なことまで日本の偉大な文化と親指を持ち上げている日本文化界の姿が間違っていると指摘した。
元の日経新聞記事を読んでいないのだが、この通りとすれば呆れる。
日本食、アニメーション、治安、町並みの清潔さ、どれも世界のトップランクで
誇ることがなぜ、悪いのだろう? 「些細なこと」?
キムチや韓国食を世界レベルに持ち上げたく、国費まで出している韓国は
じゃあ一体、何なんだ?
私は当面、「言われたら言い返せ」をモットーに発信していくつもりだが、
なぜ言い返さないのだろうと思うことに、菅長官の
> 菅長官「『粛々と』使いません」 上から目線と言われ
これが、ある。
菅長官「『粛々と』使いません」 上から目線と言われ
朝日新聞デジタル 4月6日(月)12時39分配信
菅義偉官房長官は6日午前の記者会見で、米軍普天間飛行場の移設問題をめぐり、これまで繰り返していた「粛々と工事を進めていく」との発言について、今後はやめる考えを示した。
5日に会談した沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事から「上から目線」と批判されたため、表現を改めることにした。 以下略
実のところ、翁長雄志知事の「上から目線」発言が、菅義偉官房長官の「工事を進めていく」に
かかっているのか、あるいは巷間言われているように「粛々と」をあげつらったものなのか、今ひとつ私にはわからない。
もし「粛々と」を指しているなら、それは言葉の勘違いなので、菅官房長官には
日本語を大切にする見地から言い返して欲しかったのである。
世間の評判は「粛々を使いません」と言った菅官房長官を、大人の対応、
翁長知事のは「感情的言いがかり」だという評価のようだが、それにしても
言葉の誤解は誤解。
正しておきたい。
父が見よう見まねの詩吟をときどきやっていたので、
鞭聲粛粛夜過河/鞭聲粛々夜河を過る(べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる)
というのは、知っている。頼山陽の作で、上杉謙信へのオマージュであり、
粛々は上から目線とは、何の関係もない。
ところで、「正す」と書いて、糾すや糺すとの差異をきちんとしておきたくなった。
正すは、
1 よくないところ、まちがっているところをなおす。正しくする。「誤植を―・す」
2 乱れているところを整える。「姿勢を―・す」「襟を―・す」
糺す・糾すは是非を問い調べる。吟味する 。詮議する。[基本例]「不正経理の責任を糾(糺)す。