いつか、正しい歴史認識に関する平易な本を書きたいと思っていて、このところブログを
「練習台」にエチュードのようなことを試みています。以下もそれです。
感想を聴かせて頂けたらありがたいです。「読みやすい/読みにくい」レベル感想でも。
十代から二十代をターゲットに、あと初心の大人にも読んで頂けるような本を目指して
思案中です・・・・。
「前書き」のつもりで打ってみました。
「これを書いて欲しい」ということも、あったらお寄せください。
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ドラマの書き手としてしか世間は私を知らず、某ヒット曲の作詞家であることも、合唱曲の作詞が高校の音楽の教科書に載ったことも、二つの小説の文章が高校の入試問題に採用され、国語の問題集の定番であることも、まして私がいっぱしの愛国者であることも、世間は知りません。
ですが、自らを愛国者と書いたとたん、ゾワッと来るこの気恥ずかしさはなんでしょう。私もいまだ学校で教えこまれ、マスコミにより刷り込まれた「あれもこれも、日本と日本人が悪うございました」という、いわゆる「自虐史観」の尻尾を残しているからでしょうか。いっそ「マゾ史観」と言うほうが解りやすいかもしれません。
自虐(マゾ)史観は「東京裁判史観」とも言われます。戦勝国である連合軍が、自らの正当化のために一方的に日本が悪であったと決めつけた裁判による、偏った歴史観です。
私は「自損史観」と名づけてもよいと思っています。
いずれにしても自らを愛国者と名乗ることに、これほどのためらいを感じるのは日本人だけでしょう。
日本テレビ「真相報道バンキシャ!」のゲスト・コメンテーターとして、多い時は月に二度ペースで出ていたこともあり、プロデュサー氏いわく現役ではキャリア最長なのに、この所めっきりお呼びがなくなったのは「古い者整理」にひっかかったのか、「語りタレント」としての私から旬度が失せたのか・・・・それとも真実に目覚めてからの私の発言が敬遠されているのか、解りません。
私とてテレビにおけるタブーは肌で感じているし、抑えに抑えて語るのですが、その瞬間にネットがいわゆる「祭り状態」に盛り上がり、私が語った部分が動画でアップされ削除され、それが交互に続けられ、ついには音声だけが記録され、とそんなふうなのです。
抑制しているし、大した事は言ってないのです。それでも私の発言に餓えていたかのように、ネット民たちが群がるのです。言論人としてテレビに出ている人たちが、いかに真実を語っていないか、ひしひしと感じたのでした。
報道番組の現場にいると「日本に言論の自由はない」と、思い知ります。
局から規制をかけられることは、余りないのです。しかし、日本に充満している「これ言っちゃいけない」感が、自己規制を強いるのです。
またうっかり喋ったら自分が傷付けられるのはもちろん、局やスタッフの所に徒党を組まれ押しかけられ迷惑をかけるので、口をつぐんでしまいます。
昔、ある局の朝のワイドショーに準レギュラーで出ていた時、もう一人のゲスト・コメンテーターがある女優さんの出自を、さらっと喋ってしまったのです。その瞬間、スタジオが凍りつきました。CMになったとたん舞い上がった司会者が私に「どうしましょう、ねえ井沢さんどうしたらいいんでしょう!?」
私が答えられるわけもありません。
翌日その件はでかでかとスポーツ紙の見出しを飾り、テレビで活躍なさっていたその方は、それ以来テレビからぷっつり姿を消しました。
思えば私が比較的テレビから呼ばれ、深夜番組の司会やCM出演の打診まで貰っていた時期というのは、歴史の真実を知らず無難なことを喋っていた頃です。
ある有名少女マンガのマンガ家と原作者が著作権問題で争っていて、結局原作者が裁判では勝つのですが、実は私も同じマンガ家から同じ被害を受けていました。韓国でもファンには知られた事件だったので、その問題のマンガのファンである韓国人の男性が、私のホーム・ページにも来ていました。
当時、私のホーム・ページは対面チャット式でした。達者な日本語で私が原作を書いたマンガのこと、韓国映画のことなど穏やかなやりとりが続いていたのですが、それが唐突に「韓国が日本にやられたこと」を並べ立てたのです。
あっけにとられていると、彼が、これを知っているかと示したのが、日本から修学旅行で連れて行かれる戦争記念館にある蝋人形の写真です。日帝(大日本帝国)がかつて韓国の人々に行っていたという拷問の様子を復元した蝋人形です。
ブログの読者たちは、「すみませんでした」「この画像をしっかに心に焼きつけ、二度と同じことはしません」など、心から謝罪をしたのでしたが、一人が「いったい、韓国は同じことをいつまで蒸し返すんだ」とつぶやいた途端、韓国人がわめき始めました。
そして彼は、韓国内のネットで私のホーム・ページに参集する読者たちを罵りわめき、掲示板には韓国からのアクセスが急増しました。
「あいつら(日本人)ってしょせん、そうなんだ」などと言われました。
いささか過剰反応ではないかと思ったのは、大半の日本人が誠実に対応、謝ってさえいる中、一人が一言言い返しただけであたかも日本人全体が、ろくでもないと言う口調で、絶対に許そうとしないのです。
今なら言い返せます。戦争記念館の蝋人形など、史実にもない拷問の「再現」です。
人形といういかにもな展示物だけで、写真もありません。でも私のホーム・ページの読者も私も、知識を持たぬばかりに謝るばかりで言い返すことが出来ず、罵られっぱなしなのでした。
私もまた「地球市民」として、人類は皆仲間、国境などなくてもよい、国旗も国歌も「うさんくせー」と思う「擬似日本人」の一人でした。
私がなぜ「日本」という国を意識し、考え始めたか? それは自民党から民主党へと政権交代したのが契機なのです。お名前を出す気はなかったのですが、鳩山由紀夫氏がクリミア問題はじめ、脳のネジがすっ飛んだ具合に惨状なので、書いてしまいます。政権交代前に、夫人といっとき、食事その他お付きあいがあり、あることに呆れ果て遠ざかったのですが、それがある日突然、ファーストレディとして登場、尻もちをついたのです。
(日本が危ない)とっさに脳裏をよぎったのが、その言葉です。それまで国のことなど、考えたこともないのにその瞬間、私の中に愛国の小さな芽が芽吹いたようです。
こんな人が日本の舵取りをしたら難破だよ、そう思ったのでした。国家など、どうでもいいと思っていた私が、なぜか強くそう感じたのでした。
たとえば「ねえ、今日キミなんかやった? 降ってた雨が急に止んだんだけど?」と鳩山氏が夫人に真顔で訊いたエピソード。
要するに、鳩山氏が何か戸外で政治活動なさる時に、それまで降っていた雨が急に上がって支障なくイベントが行われた。それが、夫人の精神力だか呪術だか、そのお蔭だと思いこんでいらっしゃるのです。私も不思議体験はするほうで、一概に否定はしませんが、しかし極めて三次元事象である政治に、スピリチュアルはマズイでしょう?
インドで占い師を訪ねたら、こう言われたのよ、と夫人が私に熱く語っていましたが、鳩山氏も占いには耳を傾ける様子。占いも全否定はしませんが国の運営を、インドの占い師に預けられては困ります。
夫人が私に喋ったことを、鳩山氏がとくとくとご自分の意見としてテレビで語っていたこともありました。いずれにしても、精神的一卵性双生児のようなご夫妻。「雅子さまは、インドで静養なさればよろしいのよ」と夫人が私に言い、すると数日後に鳩山氏がテレビで同じことを語り、聞くところによると鳩山氏は小和田恒氏(この方については、サンフランシスコ条約を巡る自虐史観の項目で取り上げる予定ですが)に、直接そうアドバイスなさったとか。
最初はしかし、その程度の懸念だったのですが、鳩山氏の語る、「愛」の「人類」の「地球」のと言葉は美しいのですが・・・・・「日本人の本能に逆らう」というような漠然とした言い方しか出来ないのですが、胸騒ぎがしてならなかったのです。私には妙な時スイッチが入る霊感未満の直感があります。ただそれまで政治に全く無関心、鳩山氏の存在に対抗するだけの知識が皆無なのでした。
思い余った私が電話したのは、美輪明宏氏でした。「つかず、つかず」離れずでもう、ほぼ四十年お付き合いを頂いていますが、私から電話を差し上げたのはその時、一回きりです。
私は鳩山政権に対する不安を美輪氏にぶつけ、美輪氏はこちらの電話の子機の電池切れで、かけ直すほど根気強く話に付き合ってくださったのでした。
勉強家の美輪さんのお話は生前親友でいらした三島由紀夫氏のことから、ハプスブルグ家の崩壊にまで及びました。美輪氏は一部で思われているような、単純な「左」ではありません。
政権交代前から鳩山氏のことは手厳しく批判文を書かれ、自民党の要職の方がその言葉をブログで取り上げていたほどです。日本の礼節や情緒の美しさを語ってやまない方でもあります。
たとえば「人道派」とでもいいましょうか。しかし、美輪氏の仏性に根ざした言葉をうかがっても、獏とした不安に胸を泡立たせていた私の心は鎮まりませんでした。美輪氏は長崎での被爆者であり、生き地獄を自ら味わわれ、女学生をいたぶる憲兵の横暴を目の当たりにされた方であり、その圧倒的説得力に私は向かい合うだけの語彙を持たなかったのです。
でもお陰で、日本を擁護するあまりにかつての軍部を美化し過ぎる過ちは犯さずに済んでいます。
相和していた三島氏と、どの時点で思想が枝分かれになったのか、それは伺っていませんが、私は現在、三島氏の考え方に近い所にたどり着きました。
鳩山氏を批判する言葉も、美輪氏とディベート出来るだけの知識も信念も持ちあわせてはいない自分を思い知らされた私は、猛勉強開始。日韓併合に遡って、第二次世界大戦、強制連行、従軍慰安婦と調べ始め、凝り性なので日に二時間、時に四時間、五時間。
最初は目を疑いました。それまで教わって来たこと全てが、どうやら真実とは真逆ではないか? 自分が間違っているのだろうか、と。
思いまどう時間が三ヶ月。学びを更に進めるうち、「嘘を教えられていたのだ」と確信、確信が憤りに変わり、政権交代から六年が過ぎました。
六年間の学習でしかないとも言えます。
しかし、私は韓国には無邪気に親しみを抱いていた人間で、それがなぜ百八十度転じて韓国を批判するようになったのか、その経緯を綴ることが若者や初心の大人たちには、解りやすいのではないかと思うのです。
かつての私が「無関心のまま、騙されていた無邪気な日本人」だったのだから、目覚め前の人の思考形態が手に取るように解るのです。
韓国中国、そしてそもそも日本毀損の発端であるアメリカに気づき、しかしもっともやる瀬ないのは、政府と国民が言われ放題でうなだれ、恫喝に対してお金を差し出していることです。
子供に対して「日本は悪い国なのだよ」と耳元でささやく大人たちが私は許せません。
言われたら「言い返せよ!」と、ぎりぎりと歯を食いしばりたいような毎日が続いています。韓国から伝えられる反日情報は、オーバーではなく毎日、それも複数です。見ないふり聞かないふりをしていても、その現実がなくなるわけでもなく、日々世界へ発信され日本を蝕んでいます。
教科書に近代史がなくはないのに、授業で教えられるのは明治維新までがせいぜい、という学校が多いようです。日本人が等しく、目を背けている・・・・背けさせられているその時代こそが、実は日本人の自立と誇りに関わる大事な部分なのです。
近代史に触れたくないばかりに、古代史を延々と教えるかと思えば、ゆとり世代になってからは逆に縄文時代が教科書から外されました。
縄文時代を検証すると、日本独自の文明文化の萌芽がすでにあったことが、知られてしまい、遣唐使や遣隋使を通じ支那からそして、朝鮮半島経由で日本が全ての文化を頂いたという仕組まれた定説が壊れてしまうからです。
近年、教科書は画像多くカラフルにはなりましたが、戦勝国連合であるGHQの口出し以来、日本の教科書の基軸にさして変化はありません。ただ英語と社会の教科書には大いに変化がありました。英語のテキストでは、日本人の友人がキムさんで、英語でソウルを案内しています。
「英語研修のために」韓国へ修学旅行に連れて行くという、意味不明の学校もありますね。
事前学習と称して「奈良は百済の影響を受けた」だの「奈良の地名は朝鮮語である」だのに加えて「いかに日本が悪かったか」がさりげなく教えられます。
中3社会の副読本で「身近にあるグローバル化」と称してチャン・グンソク(韓流タレント)の画像を見た時には驚きました。なにゆえ、韓人タレントの存在が国際化につながるのでしょうね。
韓国ではわがチャン・グンソクが日本の教科書に載ったと大喜びでしたが、副読本です。
少女時代は英語の副読本に載りました。韓国ではまた「日本の教科書に載った」と誇らしく報道されましたが、副読本です。嫌いな日本の
教科書に載って嬉しがるのが彼らの複雑な心理の一端です。そう言えばあのペ・ヨンジュンは
なぜか高校の地理の教科書に載り、日本のテレビ局でペ様の悪口を言った女子アナが謝罪をさせられた挙句、番組から追放されるという出来事もありました。それにしても、教科書にまで
押し寄せた韓流。裏に韓国の国家規模の仕掛けがあり、またそれを受ける受け皿が日本に
あったかと思われます。日本ではほぼ無名の韓流タレントが武道館で公演をする不思議。
民団の組織買いで、ヤフオクには一円でチケットが出まわったりなどします。
実質が伴わなくても、「日本で武道館を満杯にした」「日本で人気」が彼らの売りになり、
東南アジアでの巡業の際の箔付けになるのです。中には日本を踏み台に、ハリウッド進出した
反日タレントもいます。彼は日本人の忍者の役なのに、画面にはハングルを多様「韓国出身の
忍者」ということに設定を変えてしまいました。韓流タレントが日本のヒットチャートで上位に来るのも、在日の人々の組織買いが相当あると私は睨んでいます。
大学の入試も、出題の教授によっては、まるで誘導尋問。選択式で、「日本が、悪事を働いた」しか正解がないように仕組まれています。
私が知る高校生ですが「自分は合格ライン余裕なんで、誘導にはひっかからねーよ、ってことでバツを承知の解答をしました」という頼もしい子がいました。
スマホで情報をさくさくと取捨選択、使いこなせる高校生が正しい疑問を持ち、正しい知識を得つつあるようで、心丈夫なことです。ネットを見下げる人がいますが、今やネットが最も正しい情報のありかです。
玉石の石のほうが圧倒的に多いのですが、見抜く目を養えばあられもないほどの真実を知ることが出来るのがネットです。
よろしくないのが団塊の世代の人々です。学生運動家をやっていた人々。自国をけなし、反省することが良心だと思い込んでいるインテリもどき。偏った価値観で作られたマンガ「はだしのゲン」を学校の図書館に置く教師、あろうことか海外に送る外務省。これも後に記述しますが、外務省こそは長く反日の巣窟でした。
無論姿勢正しい人もいます。しかしGHQの日本弱体化政策下、反日者のほうが出世階段を上りやすかったように思います。
「日本は劣った悪い国」とそう笛を吹く一群がいて、国民の多くがそれに踊らされ、谷に向かって行進をしているのが今という時代です。
このままでは、日本という名のみ残して国は滅びます。
滅びてもよいではないか、普通に暮らしていければと、案外多くが漠然と思っている気がします。
国の滅びにより、日本人が何を失うかが見えていないのでしょう。
反日マンガ「はだしのゲン」の最後のほうは日教組の機関紙『教育評論』で連載されました。作者、中沢啓治氏腹案のラストは(ラフ画だけで他界されましたが)、ゲンが日本を棄て、船で異国に消えてしまうのです。象徴的ではありませんか。
かと言って、私のなけなしの愛国心の理由など、和食であり、和服であり、礼節であり、感性のきめ細やかさであり、それからなかんずく、世界で最も豊かな言語だと信じている日本語があるからに過ぎません。それなら、なぜ無関心であった私が、かくも熱く語るのか。それは、そもそも愛国心とは何か、という問いかけにもなると思うのです。
フィギュア・スケートやサッカーで、韓国の正体に気づきそれ以来、日韓問題の勉強を始めたという人も多いでしょう?
私など、ひねくれているせいか五輪にせよ、何にせよ、なぜ日本人だからという理由だけで、日本人選手を熱烈に応援するのか、と不思議だったのです。
でも実はそれこそが、愛国心の正体なのです。
国という同じ船に乗り合わせ運命を共に分け合う者同志、闘いの場に出ればわがことのように応援する。人間の本能と「情」に属する部分でしょう。
まして日本は「国家」という言葉に「家」を含むように、神武天皇以来皇紀二六七五年を数える歴史を”ほぼ“単一民族、単一言語で過ごしてきたいわば、互いを身内のように感じている民族です。(異国の人々も来ましたが、日本はおおらかに受け入れ、客人もまた日本という家の家風に馴染み、いつしか日本人となって行きました)
スポーツで仮に敗けても相手が見事であれば、拍手は惜しまないし、「家族」が全力で闘ってくれれば、心からねぎらう。それが、日本人ですね。
しかし、そうではない国民がいるのです。どんな汚い手を使おうと「勝つ事が正義」だという国柄。
「お天道様が見ていらっしゃる」という、神道に培われた「直き心」の持ち主ばかりが世界にいるわけではありません。
むしろ腹黒い狡猾な連中が多いのです。自国の利益のためには、嘘すらいとわない。
それへの怒りは、あたかもサッカーの試合に於いてラフプレーや、審判買収による不正などに対して許せないと思う感情と似通っています。
敵が明確に見えた時発動する心情が、愛国心でしょう。
韓国、そして中国。どれだけ汚いプレーを日本に仕掛けてきているか。しかも日本の特殊性は、同胞側のスタンドに同じ顔をした連中が、日本の敗北を願いつつ工作を仕掛けていることです。
「許せねえ」。知ればきっと多くの日本人がそう思うでしょう。ただ、目隠しされ見えないだけ、聞こえないだけ。私は、そういう人たちに語りかけたいのです。日本人が黙っていると、なおさら叩かれます。それもラフプレーの相手から。相手は東日本の大震災に対して、スタンドに「お祝い(し)ます」とプラカードを掲げる国です。「日本沈没」もありました。世界中でもっとも日本の世話になりながら、震災に対する寄付は最も少ない部類。各国セブン-イレブンの募金箱への寄付金は、どんな貧しい国よりも少なかった国。しかし後に「韓国の国民が一丸となって、日本を助けようとした。それなのに日本は恩知らず、恥知らず」と言ってのける国が隣国です。震災救援を名目にお金を集めながら、そこから独島(竹島)基金にお金を回した国。日本が韓国を援助した莫大な金額の総計を韓国人も日本人も知りません。知らされていません。
昭和天皇の暗殺未遂者である李奉昌(イ・ボンチャン)が、英雄として小学校の教科書に1ページにもわたって記載され、建国勳章大統領賞を追叙される国。史跡孝昌公園には像と墓が建てられ「顕彰」されています。この公園を小沢一郎氏(当時自由党党首)が表敬訪問、李奉昌が祀られた独立三義士墓に参拝しました。ソウル大では日本の悪口を講演。いったい、小沢一郎氏とは、何だったのでしょうね。
しかし、自由民主党にも他党にも第二第三の小沢一郎氏はいます。いかなる理由でか、韓国や中国の日本毀損に嬉しげに加担する議員たちが。海外の左翼は愛国心がベースにありますが、日本の左翼は愛国心を嫌います。
2012年の80周年には天皇暗殺未遂者であった李奉昌の記念式典が行われましたが、李明博大統領による天皇土下座謝罪要求の直後の報道の影に隠れて、これを知る日本人はほとんどいませんでした。
また日本に定住する在日韓国人と韓国系日本人の組織民団(在日本大韓民国民団)の創設者であり、初代団長である朴烈(パク・ヨル)が当時の皇太子(昭和天皇)の暗殺未遂者であることも、大概の日本人は知りません。朴列は、民団を組織する前は朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)にいました。
民団が南、総連が北朝鮮と区分けされていますが、実のところ通底しています。民団と総連においては、ほぼ南北統一されているかのような印象さえ私は持つのですが、民団の運営費の6割から7割が韓国政府から出ているとも言われています。さして、日本に友好的な組織ではなさそうですね。
テレビ畑の作家として(時に活字は書くにせよ)、長く娯楽と質との兼ね合いに心を砕いてきて、だからこそ国家や外交を論じても、いかにある意味面白く平易に、日韓日中日米問題と歴史を語るか。学いまだ浅い私に出来ることはそれですから。
あられもないほど真実を申せば、どの国どの時代にも愚民のほうが多いのです。一握りの優れた指導者と、三割ほどの目覚めた民が世の中を牽引し、変えられます。目覚めた一人になって頂きたい・・・・というのも傲慢でしょうか。でも、目覚めは唐突に来ます。
それまで点と点でしか存在していなかった事象が、一気に明確な「日本破壊」の絵柄を浮かび上がらせる瞬間。それは地上で見ると単に点でしかなかったものが、俯瞰で見渡すと明確に立ち現れるナスカの地上絵にも似て、
「そうだったのか!」と、視野が一気に明るく広がった感覚。
その快感を味わってください。人は虚偽で作られたお花畑にいるよりも、つらくても真実を知るほうがましです。中韓米に虚偽まで言い立てられ理不尽に吊るし上げられたら「即言い返す」。これが出来るためには基礎知識が必要です。だから学んでください。
更に日本という国が世界でどのように重要な位置づけにあるか、それを知って頂きたいのです。真の意味でのグローバル化は韓国に生徒を修学旅行に引き連れて行くことでもなければ、多民族共生とやら、外国人優遇で、自国に呼びこむことでもありません。
日本が日本であることの意味、日本人であることの意味、それを悟る事こそが世界を良き方向に進化させることにもつながります。それだけ、私たちの先祖は素晴らしい精神と文化を築きあげてくれました。
韓国でも人気のある若手俳優Mくんが、英霊を扱ったドラマでの役作りのために靖国参拝したというだけで、韓国内のネットは大騒ぎになり「もうファンは止める」とまで罵声を浴びた出来事がありました。日本の韓流ファンが、日韓問題の基本すら心得ぬまま「文化と政治は別」と言いながら、せっせと韓国の芸能人にお金を貢ぎ続けるのと対照的です。文化と政治をごっちゃにしているのは、韓国なのですけどね。地上波ではいまだ、日本の番組や歌のオンエアが禁止されているのですから。韓流のスターが、「海外で悪いことをしたら、どうもすみません、と日本語で謝って日本人のふりをするんだ」とテレビで言い放ち、スタジオで大受け、拍手と笑い声が起こる国なのです。
ある韓流スター主演のドラマを頼まれOKしたのですが、そのスターの条件が「韓国ではオンエアしないでくれ」でした。結局その企画は流れましたが、後に知ったところによるとそのスターは、韓国内の親日派を竹槍で突き殺し、日の丸を焼き捨てるMVに出演していました。
私も韓流には好きな作品も、監督も俳優もいますが、しかしながら、日韓問題の基本だけは韓流ファンにも腹に据えて欲しいのです。私が最近激賞している某スターも、上記の反日MVへの出演者だと、知りました。個々の心の内は知りません。真実を知る数少ない韓国人がいることは事実です。でも韓流スターも韓国民として、いやおうなく反日の構造の中に組み込まれているのです。その上で日本には稼ぎに現れる・・・・。日本に根ざして比較的友好的であるかに見える某韓流二人組も、民団イベントの協力者です。民団が必ずしも親日的位置にはないことは、知っての通りです。
それでも、ごひいきの韓流スターを擁護するファンがいます。「彼だけは別です。日本を本心から好きなんです」が擁護の定番です。だったら彼に一言聞いてごらん、と。「竹島はどこの領土ですか?」と。
韓国に修学旅行に連れられて行き、あちらの生徒たちが別れ際に泣いてくれた。だから日韓友好は可能だ、と言いはる高校生もいます。同じ質問を彼らにしてごらん。「竹島はどこのもの。強制連行なんてなかったでしょ。性奴隷なんか韓国のでっちあげだよね」と。
チープな感傷の涙は乾き果て、別れを惜しむ彼らの言葉は罵りに変わりかねません。
今の段階では日韓友好など砂上の楼閣、蜃気楼です。
Mくんが英霊を扱ったドラマに出てからしばらくして、今度は特攻隊員を主人公にしたドラマに出演するというので、私は靖国神社内の遊就館にある特攻隊員の遺書のことを彼に話しました。役作りのために靖国に詣でるほどの彼だから、遺書は当然見ただろうと。
しかし彼の返事は意外でした。
「見ません」と、そう言い切ったのです。
「自分は飛び立つ人間です。遺書を客観的に見る側の人間ではありませんから」
なるほど、と感じ入ったのでした。戦争を巡ってわずかに言葉を交わした時、彼の口から「ABCD包囲網」という言葉がさり気なく出たこともあり、勉強していることが伺えましたが、但し彼の役者としての性根がそう言わせたのか、あるいは特定の立場があるのか私は知らないので、念のため。彼の内面は解りません。
反日映画に理由のいかんを問わず出演する俳優に対しては、「あなたは一体日本人なのか」と問いかけたい思いがあります。俳優だから、あらゆる役を演じますと言われれば返す言葉はありませんが、中には曲げて教えられた史実を信じこみ、出ることが日本人の良心であるかのように、思い込んだ人もいます。
Mくんと初めて組んだドラマで、日の丸の大旗を振って貰いました。
お断りしておきますが、私はドラマをプロパガンダ(政治宣伝)に使うような下品なことはしません。物語の必然性から振って貰いました。すると、クレームをつける人達がいました。日本の国で日本の国旗を振るのがいけないという日本人がいる、ほとほとこの情けなさ。
日の丸が侵略の象徴だからだそうです。だったら、中国の五星紅旗に対しても同じことを言いなさい、と言いたくなります。日本が不法に占拠された竹島に翻っているのは、韓国の太極旗です。星条旗だって、そういう意味で無垢でしょうか。日の丸を忌避する人たちが海外で危険にさらされた時保護する領事館に、日の丸は翻っていないでしょうか?
私が小説と脚本を手がけた作品で、Mくんに演じてもらったのは、赤ん坊の時に親に捨てられた青年の役です。彼は自分の出自すら解らぬまま悩み、しかしついには日本人であることを自らの意志で選びとります。スタジオの片隅で、役作りの一助になるかとMくんに話させて貰ったのは、そのことでした。その象徴としてのラストシーンの日の丸でもありました。
これは、私の持論ですがただ日本に生まれた、というだけでは日本人ではありません。
「よし、日本人であることを選ぼう」と自ら能動的に決めた時、本当の日本人になると私は思っています。
四方を海で囲まれ、外敵の存在を体感せぬまま長いこと過ごしてきた日本人は国を殊更意識することがありません。だから、いつかは意識的に日本人であることを自ら選びとることが必要だと、私は思っています。
私の亡くなった親友は台湾の人でした。父上が外交官で友の結婚式には李登輝元総統から、お祝いが届くような家の人でした。友が日本を思う心は熱く、しかし私は彼の思いが全く理解出来ていませんでした。今なら彼が日本を思い、日本に仇なす存在に憤って発した言葉の端々が、逐一理解出来ます。
彼は帰化という形で、「日本人であることを選んだ」人でした。
私はやっと、政権交代時の六年前に日本人であることを選びました。
私は日本人です。日本を損なう勢力に対してはよろよろとでも、闘います。
世界皆仲良くは麗しい理念ですが、いまだ人類はそのレベルには至っていません。
自分を愛せぬ者が、他者を愛するすべを知らぬように、自らの国を愛せない者が他国を愛せるでしょうか。愛を成就させるためには、時に闘いが必要です。
今この時代は、言語をもって行われる情報戦という戦争があります。
言われたら言い返せ。しかしかつての私のように、知識がなければ言い返せません。
政治も外交もサッカーや、フィギュア・スケートの場と変わりはありません。
ラフプレーや、採点の捏造などもっと日常茶飯事です。それに対して黙っているのが、
日本というスタンドにいて、日本人選手を応援しているはずの、私たちなのです。
いえ、スタンドに居続けていてはなりません。とりわけ若者たちよ、スタンドから立ち上がり、スタジアムやリングに駈け出ようではないか、と私は言いたいのです。当事者でなければ、政治は退屈ですが、ドラマ書きの私が言うのもなんですが、下手なドラマやコミックなどの数倍も手に汗握り面白いのが、実は政治の世界なのです。選挙の投票権年齢が引き下げられることが検討され、未熟な年齢への参政権付与を反対する人もいますが、幾つであろうと無知で学ばず、愚かしい選択をする一群はいます。精神的成熟と、知識に年齢は関係ありません。周りの愚かしい大人たちを見てごらんなさい。
愚者の群れに混じらぬよう、日本を牽引する側の三割に入って欲しいのです。
ゲームも人生も、参加してこその面白さです。
傍観者でそこそこ生きる人生よりも、闘う当事者であれ、と願っています。
SNS(Facebook、LINE、Twitterなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス)も、情報戦の
戦場では武器として使えます。
ミックスチャンネルにラブカップル動画を投稿するのも使い方でしょうが、これもまた情報発信の強力な
ツールになるかもしれません。
政治という、とっつきにくいが、知ればとびきりスリリングなゲームへのガイドブックとして、この本を著(しる)します。
いずれは美しい平穏な地球が誕生するのかもしれません。そうであることを切に祈ります。でもそれまでは日々闘いなのです。