あるレストランの前にメニューが出ていて、もし美味しそうなのが
あったら、今度来てみようかな、と思いつつ眺めていた。
今度、というのは食事を終えたばかりであったからだ。
メニューの一箇所に目が釘付けになった。
「アボカドのアンチョビソース」。
アンチョビ・フェチである。練乳と同じ程度に溺愛している。
アンチョビとの出会いは、二十代のはじめ、オーストラリアに暮らしている頃メルボルンの、
市場、そこでイタリア人のおっちゃんが売っていた。
アンチョビ・ソースのアボカドだけ食べさせてくれないかなあと、
メニューを見つめて佇んでいたら、ボーイさんが現れて
どうぞ、というので入った。
赤ワインを注文したら、国産の一升瓶を抱えて現れ
グラスからなみなみ注いで、「ちょっ!?」、止めるまもなく下の受け皿が
たっぷりになるほど、こぼしてくれた。
日本酒の注ぎ方である。
「飲みにくいよ、これ」
と言ったが、ボーイさんは涼しい顔で「お手拭きがありますから」
今度来たら、グラスに八分目と前もって言わなきゃ・・・・。
案の定、グラスを持つと受け皿からくっついて来たワインが
カウンターにボタボタと、ワインで濡れたグラスで手はべたつくし。
カウンターならまだしも、和服の膝に赤ワインボタボタは泣ける。
そういえば、ドラマで向井理くんに赤ワインを頭から注ぐシーンを書いたが
彼もにおって大変だったろうし、衣装はあれ、お陀仏かもなあ。
ワインは甘口を頼んだのだが、ワイン音痴で極上ワインなど豚に真珠な私には
分かりやすい、ジュースみたいな口当たりで飲みやすかった。
熱々に調理したアボカドの、アンチョビ・ソースかけは絶品だった。
というより、たぶんアンチョビが美味しかったんだと思う。
かといって、アボカドがないほうがいいかといえば、そうでもない。
脇がいて、主役が引き立つのである。
体温くらいになって皿に残ったオリーブオイルが、やたら美味しく、どういう味付けだと
思ったら、アンチョビが溶け出しているのである。
要するにアンチョビを最初から食べればいいんじゃない? って話で
早速通販で申し込んだのだが、トーストに乗せたりなどして
食べ過ぎそうでこわい。ついに禁断の一線を超えて直接アンチョビを手に入れるのであるが。
人の目がなければ、皿を傾けて飲みたいくらいアンチョビが溶け込んだ、温かな
オリーブオイルが美味しかったので、グリッシーニにつけて全部、拭うように
食べてしまった。
グリッシーニは、ポッキーを太く長くしたような、サクッとしたイタリアパンである。
日本ではグリッシーニというが、店で出されたグリッシーニの袋にはGrissino、グリッシーノと
書かれてあったので、調べてみたらGrissinoが単数、Grissiniが複数であった。
アンチョビのびん詰が届いたら、トーストかクラッカーの上に載せ、あるいは
パスタをあえるか?
デザートは練乳味のアイスクリームになお、練乳をかけて・・・・・などと
絶対、やらないことを考えてみたりなどする。
アイスクリームはこの頃、ご法度にしている。
アイスクリーム哀れみの令を自らに発布。
憧れの、練乳味アイス森永mowが欲しいのだが、
どの店のも、抹茶とか苺とか要らぬものばかり。肝心の練乳バージョンがない。
なくていいのかも。あったら辛抱たまらず衝動買い、おそらく1週間はそればかり食べ続ける。
死期が目前に解ったら、練乳を丼いっぱいに満たして、練乳味の
アイスを浮かべて食べることにする。
後に知ったことだが、ワインドボドボは流行らしい。
ワイン音痴が言うのもなんだが、グラスを回して香りを楽しむ風情も吹っ飛び。
お金持ちの知人がいたので、高価なのは飲ませて貰ってきたが、それだけは
さすがに香りも味も違うのは解る。