浅草へ出かけた。単衣の着物を見繕いがてら、友人の脚本家冨川元文さんと
久々に会う約束である。
冨川さんは朝ドラ「心はいつもラムネ色」大河「峠の群像」他を書いた人。
銀座線・田原町の駅前で落ちあい、地元民である冨川さんの案内で
男物和服の専門店に出かけた。
ショーウィンドウに飾られてあった紬の単衣に目が惹きつけられ、
すると主が「これは、いかが」と薦めてくれたのが、まさしく
それで、買い物も相手が「呼んでいる」状態の時は、すっと
そこへ目が吸い寄せられ、自分のために待っていたと感じるので、
迷いがない。
案の定、サイズもぴったりだった。
光沢のある夏紬である。下の紫は単に今日着る予定で中止した
長襦袢である。
下のも、着て行こうと出してあったのだが、午後から暴風雨だというので、
やめた。まだ一度も袖を通してないが、5月が終わるまでにはいつか
機会があるだろうか。明かりの加減で柄がくすんでいるが、自然光では
もうちょっと、くっきり出ている。
実物は上下の画像の、ちょうど真ん中ぐらいの色合いである。
昭和の趣のカフェに向かう途中、鳥打ち帽に袴という書生姿の
青年が床几に腰を下ろしお茶を啜りながら団子を食べていて、
写真に写させて貰いたかったのだが、声を
かけそびれた。振り向き振り向き、網膜に焼き付けた。
ああいう風情の青年を見ると、まだまだ「日本」がこれからも
残っていくようで一息つくが、界隈は中国人の観光客で
ひしめいている。
冨川さんの話では、この頃とみに多いそうである。
マナーをきちんと守ってくれ、日本の「家風」を尊重してくれるなら
歓迎であるけれど。
とは言え、ひところ、ブランド品を買い漁りにパリに押し寄せた日本人、団体で
動き回っていたあの時代のことを思い出したりなどする。
パリの市民たちが、どういう思いでそういう東洋人たちの狼藉を
眺めていたかも。バトウムッシュというセーヌを走る遊覧船内で、
宴会並みに大声で盛り上がっている日本人の一団と乗り合わせ、
恥ずかしい腹立たしい思いをしたのは、もう30年以上も前のことである。
日本人も、海外においては洗練されて来たと思う。
海外で評判のいい国の、確かトップ3の中に上げられていたはずである。
浅草には、着付け込みの着物のレンタル屋があり中国人の男が
きちっと和服を着て歩いていたりもするそうで、日本人と
見劣りはしないという。それはそれで嬉しいことである。
すれ違う着物の、美しいお姐さん3人組の首に、微妙な突起があるのも何やら
浅草っぽい。
舞台衣装を商う店も覗いてみた。話し好きの老店主が、あれこれ
語りかけてくれ、自前の着物は150枚持っているということで、
日舞をなさっていて、一行を引き連れて海外公演などなさるのだそうな。
男性である。
薄手の着物を2枚縫い合わせ、リバーシブルにもなさるそう。
踊りながら、裾がチラリとめくれると、もう一枚の着物の柄が
見える仕掛け。気に入った反物が二反あれば、リバーシブルも面白いかもしれない。
あ、踊りでも踊らなければ2枚を別々にまとえばいいだけか・・・・。
店には金襴、赤・・・と舞台用の衣装でひしめいているが、外国人の客は反物を指さし、
カットして売ってくれと言うのだという。「ノーカット」全部着物よ、で通じるのだと
言っていた。