今日は遣唐使ならぬ、遣日使についてのお話です。聞きなれない言葉でしょうが、
言葉として定着しているわけではなく、一種の造語でしょう。
空海についての小説を長年書きたく温めているのですが、不思議なことのひとつに
空海は、正式な留学生(るがくしょう)として海を渡ったわけではないのに、
中国語を身につけていたらしいのです。
空海には謎の空白期間があり、そこで何をしていたのか、興味の尽きぬところ、
超能力的なことが喧伝される空海だから、その空白期間に特殊な頭脳の
鍛錬をしていたのだとも言われています。
当時の名家佐伯氏に連なるものとして、高級官僚ではあったものの無名だった空海が一介の私度僧(私費留学生)として遣唐船に乗り込み、帰朝してから唐突なまでに、都にスターとして登場するのです。
それにしても、現地で学問を即修めるほどの語学はどこで? といぶかしんでいたら、
何の事はない、当時日本の文化を学ぶために、しじゅう遣日使が
日本を訪れていたのでした。彼らを師匠に空海は、言葉を身につけたのだと
思えば、不思議は消え去ります。
当時、日本は唐や新羅、渤海と頻繁な交流がありました。空海は歴史上空白とされている
10年間にさだめし、漢語や密教を、日本に渡ってくる人々から学んだのだと思われます。
その文章力たるや、本場の教養人たちをも感嘆せしめたというから、天才ですね。
直筆を京都で見たことがありますが、上手というのを通り越して芸術です。
空海が日本のおける最初の男色実践者だという説もありますが、そんなことはないので、
男色など考えられているより自然発生的なもので、人類誕生間もなくからあちこちで
あったことと思います。
余談に逸れますが、野生児空海に比して優等生最澄の弟子で泰範(たいはん)という男がいて、ある時、最澄が泰範を空海のもとに使いに出すのです。文献を拝借したい、と。
ところが、泰範、師匠の最澄より空海に魅力を感じ、空海のもとへ留まったきり
最澄の元へ戻りません。三角関係成立です。
空海と泰範との間に恋情があったかどうか、記録はないのですが最澄の
「戻って来ておくれ」とかき口説く様は、あたかも女の心情です。
というと、崇拝者のお心を損ねるかもしれませんが、泰範をさめざめと
かき口説く書簡が残っているのです。
空海のほうも、泰範を憎からず思った節がうかがえる、というのは
とても、えぐくまた笑えることには、空海が泰範に「こう書け」と
文章まで教えて、最澄への縁切り状を書かせているのです。
ここらへんの、仏教という「思想」を介在した男同士の恋情が添った三角関係が
面白くて、小説に書きたいと思いつつ、密教の勉強その他調べが
学習が進まぬので、書きそびれているのです。
泰範はさだめし、美しい青年であったのでしょう。名前が歴史の端っこに
ちょっと出てくるだけで、その詳細はいっさい知られていません。
典型的な優等生最澄と、光彩陸離たる野生児空海とが思想を介在して
奪い合った美青年。ちょっと高級BLの趣もあれば、一種の思想小説にも
なり得ます。料理の仕方しだいですね。
空海自身も、留学した先で一瞬にして恵果阿闍梨の心を捉えていますから、
さだめしチャーミングで知的な男であったのでしょう。
紫式部と清少納言の、女の物書き同士のいがみ合い、なども書いてみたいのですが。
・・・・・と、脇にそれてばかりです。
遣日使については、田中英道・東邦大学名誉教授が「遣日使の方が多かった―七~九世紀の日本と東アジア」(季刊 「日本文化」 平成十七年夏号)で触れているそうですが私は、田中名誉教授の他の著書で遣中使の存在を知り、いささかカルチャーショック、目からうろこでした。
そう教えこまれていたからですが、日本が一方的に文化の高い唐へ学びに出かけていた、
とばかり思い込んでいたのですが、事実は日本に学びに来る人たちのほうが多かったというではありませんか。
思えば、すでに縄文時代から火焔土器など意匠の優れた土器や、清潔な衣類を所有していた
日本です。(だからかどうか、教科書から縄文時代が外されていた時期がありましたね。今はどうなのでしょうか)
私たちが教わったのは、飛鳥時代から平安時代にかけて唐や随の先進文化を学ぶため、遣隋使、遣唐使が送られ、その回数十三回でありその他の四回は渡るに失敗したと。
これに対して田中名誉教授はこう記します。
「これは日本の歴史において、 常に外国から学び、 模倣することから日本文化 が形成されている、 という歴史家、 評論家の固定観念が、 日本の世界における文明的な位置づけを怠らせ、 その意義の検討を遅らせてきたのである。 遣唐使という言葉はあるが、 遣日使という言葉がないことも その証拠である」
しかし、遣唐使の何倍も実は唐から人が学びに来ているのだと。
聖徳太子の誇り高さは「日出ずる処の天子、 書を日没する 処の天子に致す。 恙(つつが)無きや」と書かれた国書を小野妹子に持たせ、隋の冊封体制、要は親分子分ですね、に組み込まれず、対等に毅然としていました。
ここらへん、今どきの二階たら売国政治屋さんに教えたいところです。しかし、この時日本は敗戦を経験してませんしね。誇りも強かったのでしょう。ほとほと今の情けなさ。
ともあれ、日本の高い文化を吸収したいとやって来る遣日使たちは、ひきもきらず。とりわけ、天智天皇の御代には、毎年のように遣日使が、当時の剣呑な航海に命を懸けて現れています。向学心半端ならず。命を懸けた学びですね。671年には、僧侶たちなど二千人が日本を訪れているのだから、凄いことではありませんか。通商目的でもあります。
日本人で唐に渡り居着いたのは阿倍仲麻呂が有名ですが、その逆パターンも多いのです。
鑑真和上とその弟子たち、胡国人 (ペルシャ)たちもいました。
彼らは日本を敬愛し、自然に日本の風景の中に溶け入り、日本人となりました。
この辺りが、人工的になされる「異文化共生」とは異なる点です。棲むからには日本への敬意を持ってくれ、ということですね。だったら、どなたでも心広く受け入れましょう、同じ日本という家の家族となってください、というのが本来の日本人ではないでしょうか。
ドヤドヤと声高に土足で上がりこみ、食事作法も未熟、列も作れぬ蛮人は受け入れられませんね。
肝心の遣日使の話題が駆け足になりましたが、いずれまた。
日本がいかに実は先進文化を有していたか、というお話でした。
それにつけても、朝鮮通信使という日本の将軍への朝貢使節団を、「文化の高い
韓国が、低い日本へ文化を教えてあげに来たのだ」という韓国の大嘘を
許してはなりませんね。しかもそれをユネスコに遺産登録しようという動きが
あります。韓国側の言い分のまま、登録などされたら「文化の劣った日本は、
韓国から文化を頂いて、ここまで来た」というとんでもない捏造歴史が、
事実として、世界に定着してしまいます。
各自治体が街興(おこ)しのために、朝鮮通信使を祭りとして定着させる試みに
異は唱えませんが、やるなら史実正しくどうぞ。しかし現状、韓国から
言われるまま、捏造通信使を持ち上げている例が余りにも多いのです。
そして、あろうことか総理夫人である安倍昭恵さんが、山口県の
それに加担などなさっているので、本当に止めて頂きたいのです。
首相夫人が韓国に都合のいい捏造史のお手伝いをして、どうするのですか。
迷惑だし、やってはならぬことだと思います。
山口県のそれが、どういう主張でなされているのかは知りませんが、
朝鮮通信使に関しては他でしきりに、韓国優位、日本劣る、と主張されているので、どのみち
一括して扱われてしまいます。昭恵さんはじめ、朝鮮通信使を持ち上げている人々は、
いったい、朝鮮通信使をまともに調べてみたことがおありでしょうか?
単なる日本の散歩道に、「オルレ」とわざわざ韓国名をかぶせて、その界隈は
ハングルの氾濫。こんなことにも昭恵夫人は加担しています。
よかれと思ってやられているのでしょうが、日本を損ないます。
(日本の散歩道に、何が悲しゅうて朝鮮語のオルレという名称をつけ、ハングル表示にするのでしょうか。しかもハングルが先という、あたかも侵略地のごとき表記。これでは、竹島が日本の領土だという声も弱々しくなってしまいます。こんな形で、媚びてしまっては)
1,2年前であったか西田昌司議員から、安倍総理とのお食事会にお誘いを頂戴したのですが、行かずに、ちょっと悔いています。行って知己をもし得て、意見を言う機会があるなら、夫人のこともお願いしたかったな、と。放置なさらないでください、と。
もっとも、夫人について物申す人達はいるようですが「私的なことに踏み込むな」と、総理のご不興を買うとのこと。
私的な人というご認識なら、なおさら総理夫人という名のもとに、日本壊しをなさらぬよう
お願いしたいし、私人であるなら党の人事に口を出し、元ヤクザを推薦なさるごとき止めて
頂きたいのです。国民は夫人に付託しているわけではありません。安倍総理のこのところの幾つかのご決断には、拍手を送っているだけに、残念な夫人のありようです。
またまた主題が脇道に逸れましたが、中国には実は日本製の漢字がいっぱいあるといいます。明治初期の日本人が作った造語ですね。
中国教科書で使われている熟語三千文字の中でも、芸術・科学・技術・哲学・理性・自由・権利・義務・宗教・進化・経済・人民・共和国・革命・神経・国会・司法・立法・行政・宇宙・客観・主観・典型・営業中など、70%以上の文字が、「和製漢語」の日本語なのだと、知ってましたか?
「日本は中国の忘れ形見」と言われますね。中国自身が文化大革命で葬り去った
本来の中国文化を大切に引き継ぎ、保っているのは日本なのかもしれませんね。