都心のビルのあわいからも、祭りばやしの音色と、お神輿のわっしょいの声が
立ち上り、東京は夏祭りの季節を迎えた。
昨日は、両国へ行ったのだが駅へ向かう道すがら、浴衣に半纏の男たちと行き交い
こちらは和服だし、一瞬江戸の時代に時間が巻き戻ったかのような感覚。
普段はビルの谷間のそこかしこに隠されている、人々の暮らしが一気に表に
出て来て、子どもたちもこんなにこの界隈に住んでいたのかと驚かされる。
顔見知り同士の挨拶が行き交い、日本人の祭りは地域のコミュニティの涵養にも
役立って来たのだなと思う。
日本人は無宗教だと言われやすいが、神社の数はコンビニのそれを遥かに上回るというし、
寺と共に暮らしに溶け込みすぎて、見えなくなっているだけだろう。
一神教のように、他との対立もないので存在が明確にならないのだと思う。
祭りもあちこち盛んで、それは漫然とレジャーでやっているわけではなく、
人々の念頭にあるのは、それぞれの神であろう。
コンビニの店員の若者たちまで、祭袢天の足袋裸足でいなせであり、
私はふと、結局自分は日本人が好きなんだなあと思った。
「いなせ」という言葉が使えることも、そこはかとなく嬉しい。
言葉が通じ、黙っていても分かり合える共通の価値観をわかち合っていることへの
静かな安堵感。
コンビニの店員にも外国人が増えて来て、彼らを否定はしないけれど、
日本人店員のきめ細やかさには、欠ける。外国人を排除はしないが、
日本という「家」の家風は学び、守って欲しいと思う。
祭りが続く限り、日本という国も続いていくのだろう。