信号のない短い横断歩道。トラックが一台、渡りそびれてじっと人並みが途切れるのを
待って止まっていた。
ところが人波はいっこうに途切れず、トラックは待ったきりである。
やっと人波が途切れようとすると、一人が渡り、トラックは止まったまま。
ほんの数秒間、立ち止まってあげればトラックは横断できるのに、
誰も止まらない。
と、私がそこまで観察していたのは、私は立ち止まっていたからである。
気性の荒い人なら強引にトラックの鼻先だけでも突っ込んで、流れを遮るだろうに
と思いつつ、途絶えない人波に索然とした気持ちを味わっていた。
「かつての日本人なら、こんな時譲っていたよなあ」と。
中国や、韓国、フィリピンならけたたましいクラクション、怒声、トラックと
人波との喧嘩である。
多民族共生ということは、そういう刺々しい日常に日本がなることを意味する。
運転手さんが、静かに待っているだけ、ここはまだ日本なのだ。
そういうことを思いながら、私も辛抱強く佇んでいたら、やっと一瞬
人波が途切れ、トラックはさっと動き、そして運転手さんが
私に向けてありがとう、と目で語りかけながら、片手を上げた。
斜めにさす夕日が、その穏やかな笑みを湛えた顔をつかの間、
スポットライトのように浮かび上がらせた。
日本の微笑だと思った。