朝、日本テレビを見ていたら、局としてのプロジェクトの一環に、プロの歌手を学校に
派遣して、唱歌や童謡を歌ってもらうというのが紹介されていた。
おぼつかない記憶によれば、確か東京は練馬区の下石神井小学校の校長先生だったと
思うが、日本テレビのプロジェクトを受け入れる理由として「たおやかな日本語を生徒に知って欲しい」とおっしゃっていて、
かねてより文部省唱歌と童謡が日本語と、日本の情緒の宝庫だというのが
持論である私は、思わずその校長先生の手を握りしめたくなった。
先生は「たおやか」という言葉は使われなかったが、それに近い表現だった。
先生の使われた言葉は、記憶から滑り落ちている。
ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンで構成される歌い手の皆さんは、
まず校歌を歌い、それから唱歌、童謡とマイク無しで滑舌よく歌い上げる日本語の
心地よさ。
子供たちも、しっかり聴き入っていて頼もしく、また心から嬉しいことであった。
音楽の時間に今の流行歌を歌わせるのも、親しみという点ではよかろうが、
どうぞ、唱歌と童謡をと思うのだ。
廃れさせたくない日本の言葉と情趣の宝庫であるから。
(1) (2)
木枯らし途絶えて 冴(さ)ゆる空より ほのぼの明りて 流るる銀河
地上に降り敷く 奇(くす)しき光よ オリオン舞い立ち スバルはさざめく
物みな憩える 静寂(しじま)の中に 無窮(むきゅう)を指差す 北斗の針と
煌めき揺れつつ 星座は巡る 煌めき揺れつつ 星座は巡る
「冬の星座」(訳詞・堀内敬三 )からだが、
この短い歌詞の中に、「降り敷く」「奇すしき」「しじま」「星座が巡る」「ほのぼの明かりて」
「オリオン舞い立ち」「スバルはさざめく」「無窮」と、喪いたくない言葉と感性が
びっしり詰まっているではないか。
今どきの流行り歌にはない、語句と感性があるのは、旧い演歌も同様である。
かつては忌避していた演歌に、しみじみと聴き入ることがある。
昔の作詞家には言葉の達人がいた。